バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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森を忌み嫌ったキリスト教


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 遊牧という行為は人一人を養うために、農耕に比べてはるかに広大な土地を必要とする。また農耕にしても、寒冷少雨のヨーロッパの主要農作物であるオオムギ・コムギなどの穀物は、(温暖で多雨地帯のコメに比べて)蒔いた種の量当たり面積当たりの収穫がはるかに低く、しかも地力の収奪がはげしい。したがってヨーロッパでは生きていくためには、より広く森を、そして草地を開墾していかねばならなかった。

 中世は12世紀に至り、西・東欧の湿った重い泥炭質の土地を深く耕すために、数頭のウシかウマに牽かす重輪犂(すき)が生まれ、やがて「三圃農法」という、冬から春にかけてコムギ・ライムギの収穫、春から夏にかけてはオオムギ・エンバク(燕麥)・エンドウ(豌豆)などの収穫、夏から秋は休耕して家畜を放牧することで、土地の休息と糞の供給による地力の回復をはかる農法が編み出された。

 秋にはブタは近くの森に放たれ、ドングリを食べて太る。そうした家畜は冬場エサの不足する時期には屠殺され塩蔵された。この塩辛くてまずく、しかも臭い肉をおいしく食べるための「魔法の食品」として、コショウ(胡椒)をはじめとする香辛料がなによりも珍重され、西洋の国々をして海洋国家の道へと駆り立てる一因にもなったのである。なにしろコショウに対する渇望は、いつしかペストの特効薬にまで祭り上げられるほどであった。

 この重輪犂の発明と三圃農法という新農法の普及は、結果として森の破壊に大きく貢献するのだが、加えて修道士の活動が預かって力があった。彼らが伐り開いた森の跡には修道院が建てられ、その領土としての耕地が拡がり、次第に人が集まって町が作られていった。

 かつてのドイツの深い森は、ブナ(撫)やナラ(楢)という落葉広葉樹林であった。グリム童話は、日本と違って尾根や沢のない、いったん迷うと出てこられない恐ろしい平野林を舞台に繰り広げられる。こうした欝蒼と茂るドイツの森には当然森の守護神がいた。キリスト教の伝道者は、そうした異神に惑わされぬよう、伐採しても祟りがないことを証明するために、必要以上に森を破壊していった。

 アルプス以北の豊かな森は、こうして次第に伐り開かれ失われていった。すなわちオークは、森の遷移の極相なのだが、陰樹である極相林の破壊は簡単には復活出来ない。結局ドイツでの植林は今のシュバルツバルトの黒い森に見られる、陽樹であるトウヒ(唐檜)やモミ(樅)といった常緑の針葉樹でなされることになった。日本のマツに見られるように、針葉樹は排気ガスによる大気汚染や酸性雨に弱い。ドイツの誇る針葉樹の森も例外ではない。

 キリスト教による破壊は、森だけにとどまらずそこに棲む動物にまで及んだ。安田喜憲『環境と文明の世界史』は、7世紀に地中海世界で大流行したペストがアルプス以北に及ばなかったのは、そこがまだ森の国であって、ペストを媒介するネズミを食べる猛禽類のフクロウ(梟)やオオカミ(狼)がいたからだとした上で、

 一二世紀は大開墾時代になり、森をどんどん破壊していきました。森がなくなり畑地が拡大していく。畑地というのはペストを媒介するクマネズミにとってはものすごく適応しやすい状況にあって、クマネズミが爆発的に拡大する。それにもかかわらず、クマネズミを食べる天敵のフクロウやオオカミを、キリスト教世界では最も恐ろしい悪魔として位置付けていたために、彼らは大量に殺されてしまうわけです。オオカミの食糧の80%はネズミです。(中略)
 ですから、僕はペストは森を破壊し、森の動物たちを殺したことに対する報いだというふうに思っています。

 続けて安田は、家畜由来の伝染病によって免疫性のない森の民がいかに大きな被害を被ったかについて触れて、「家畜の民のもっている恐ろしい属性を考えると、免疫力のない森の民は圧倒的に不利だから、人類史において、動物性タンパクを食べて体力的にも強い家畜の民が、森の民を征服するのは必然なことだ」と語っている。たとえば、インカの民がごくわずかのスペイン人と接触したことで、絶滅に瀕する打撃を受けたことを考えると、この言葉の示す意味は非常に重い。


その後キリスト教は次第に俗化し特権化していく。その結果教会は、その富の象徴として森の所有を拡大していくことになった。ジャック・ウェストビー『森と人間の歴史』は、全ヨーロッパを通じて中世の最大の資産所有者は教会で、森林を必要とする農民に構うことなく、林地を伐り開いて農地に変えて富と力を蓄えていったことや、最大の地主である教会が、その土地の権利が侵されるとみるや、野蛮なほどの厳罰でのぞんだ事実を、史実を元に詳しく述べている。

 現在(いま)の常識や感覚では理解しがたいことだが、当時はそんな非条理が堂々と罷り通っていたのだ。阿部謹也『物語 ドイツの歴史』もまた、キリスト教がドイツの人たちに与えた影響について、「人間関係を合理化しようとするキリスト教会の努力は一面では成功し、近代的個人を生み出す第一歩になったが、他方で、伝統的な生活様式の中で生きてきた人部との間に大きな亀裂をもたらした」として、

 古ゲルマンの時代からドイツの地に住んでいた人々は樹木や泉、山や川にはそれぞれの霊があると考え、一種のアニミズム的な信仰をもっていた。したがって彼らは森に入って木を伐るときも、川で魚を捕るときでも、それぞれの儀礼を営んでいた。それは神々や諸霊の世界と互酬の関係を結ぶという伝統と信仰に基づくものであった。それらの霊に供物を捧げ、守ってもらうためである。 (中略) (そうした贈与・互酬の関係自体)呪術的な関係であり、キリスト教の普及とともに解体されてゆくが、カトリック教会の中にも贖罪とかたちで入り込み、最終的に解体されるには宗教改革をまたねばならなかった。

と述べている。こうしたドイツでのアニミズム的な信仰は、日本の森に発した原始的宗教観と非常に似通っている。もし日本に早くからキリスト教が伝来して、強力に布教を行ってきたならば、ドイツでのケースと同じような結果を招いかもしれない。阿部はキリスト教がそうした原始的宗教観を破壊していった結果、かつて呪術的な力を持っていた人たちを始め、尊敬に値するとされた職業まで、キリスト教による一元的宇宙観によって卑しい位置=賤民とされて名誉を失っていくことになったのだと指摘する。日本においては、明治という西欧化を急ぐ時代、彼らの指導で日本オオカミが、ストリキニーネという毒薬によって、時ならずして絶滅させられたことを思い出すべきだろう。

 文明の黎明に合わせて受難の一歩を踏み出したヨーロッパの森は、その後もキリスト教の普及に歩調を合わせて、限りなくその地位と面積を失い続けていく。寒冷でしかも泥炭質のヨーロッパにおいて、(陰樹である)ブナ極相林の破壊は──もしその気があったとしても──当時の植林技術では再生を困難なものにした。かくしてこの地の植生は、ますます貧弱なものに成り下がっていくことになった。