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バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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東南アジアは世界貿易の中心地だった


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欧州が大航海時代以降の世界侵略で、世界の文化も支配してしまっているが、それ以前はアジア、イスラムが世界の中心だった。

欧米の世界支配は、200年程度の歴史しかないのですが、世界文化を我がもの顔で支配しておいます。そのような歴史観を、日本の学校でも教えないので、欧米に追従するという日本人意識が、なかなか払拭されていきません。

そんな中で、当時の生き生きとしたアジアの歴史文化を、簡潔に俯瞰・説明してくれているとても面白い文章があったので紹介します。


歴史を顧みれば、アジアは有史以来、世界の先進地域だったのである。西欧がアジアを経済的に上回ったのはせいぜい19世紀以降のことである。産業革命が18世紀の後半にイギリスで始まり、それがヨーロッパ大陸に波及し世界経済をリードする以前は、アジアこそが世界で最大の輸出商品の供給地域であった。

西欧はアジアの物産を求めて、遠路はるばる航海してきていたのである。しかし、欧米のアジアに対する優越はそれから200年強、20世紀の終わりまで続いた。だが、この勢いが続けば21世紀はアジアの世紀となることは間違いない。

しかし、それには条件がある。それは、アジアを過去数百年遅らせてきた「封建主義的」で自己中心的な「萎縮した思想」からの脱却が必要である。今求められているのは「グローバル(世界)に開かれた」アジアである。

■〔アジアは古代から近世に至るまでどのように世界市場にかかわってきたか〕

 アジアは古代から現代に至るまで、植民地時代から20世紀後半の約200年を除いて商品(工業品と 1 次産品)の世界最大の供給基地であった。

 陸のシルクロード(主に中国と中央アジア・インド北部とのラクダの隊商による交易)と海のシルクロード(主にインド沿海部と東南アジアと中国との交易)と現在呼ばれている海上ルートによる交易と 2 通りの交易ルートがあったが、中世以降主流になったのは海上ルートであった。

◆(古代:紀元前から10世紀頃まで)
 モンスーン(季節風)の卓越風の変化(夏季は南西風、冬は北東風)を利用し帆船で 1 年サイクルの交易をおこなった。その時に積極的な役割を果たしていたのは主にインド商人であった。インド商人(アラブ人、ペルシャ人も存在した)がインド、東南アジア、中国の間を往来し、インド文明(バラモン教=神権王制、仏教サンスクリット文字、農耕技術など)を東南アジアにもたらした。

 主な貿易商品は中国が輸出していたものは絹織物、金属製品、陶器(量的に増えたのは10世紀の南宋以降)であり、インドの輸出品は綿織物、貴金属、宝飾品であり、東南アジアの輸出品は香辛料、香料(香木、乳香)、貴金属などであった。

 また、インド商人は東南アジアのマレー半島ビルママンダレーまで偏西風にのってやってきて、そこで食料(主に米)と飲料水の補給を行った。マレー半島西側の主な港にいったん陸揚げされた商品は牛車や象にのせてマレー半島を横断し、シャム湾側の港から再度、船にのせてベトナム、中国方面に運ばれた。マレー半島の東側の貿易で大きな役割を果たしていたのはカンボジア人の扶南や後の真臘(クメール)であった。かえり船で中国の商品が逆ルートでインド方面に運ばれた。
・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・

 10世紀に入り、中国の宋の時代になると東西貿易の形が一変する。それは宋が陶磁器(景徳鎮)の大量生産に成功し、輸出が急増したからである。陶磁器は重量が重く、梱包も大きくなるので、マレー半島を横断するルートは次第に使われなくなり、中国商人がマラッカ海峡まで大型船で直接進出する。

そのため、スマトラ島におけるパレンバンやジャンビ、後に14世紀終わりごろからマラッカが貿易の主要な中継点になる。同時にインドシナ半島の中継機能は次第に低下し、クメール帝国も没落を余儀なくされてくる。
 元、明朝時代に陶磁器貿易はいっそう盛んになる。

 当時のヨーロッパはイスラム商人(オスマン・トルコ)経由でアジアの商品(香辛料、綿織物など)を買っていた。地中海貿易によってイタリーのベネツィアなどは大いに栄えた。

 また、この時期になるとインド、アラブ商人がイスラム教をもたらした。1400年前後にはマラッカ王国が成立し、一大貿易拠点となった。マラッカ王国イスラム教を受け入れた。インド商人のもたらす綿織物が東南アジア最大の人気商品となり、インドネシア港湾都市の商人はイスラム教に改宗するものが増えていった。

 当時の貿易商品はいっそう豊富になり、東南アジアでは胡椒のほかモルッカ諸島の香辛料(丁子、ニクズク、メース)が目玉商品としてヨーロッパにもたらされた。中国からの輸出品は陶磁器が主流となり、インドは綿織物が主な輸出品となった。

 それに対しヨーロッパは目立った輸出商品が少なく、金銀でアジアの産品を買い付けていた。コロンブスが金を求めて「ジパング=日本」に向かったのは当然の成り行きであった。