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バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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「絶対王政」とは、統合課題が国王に押し付けられた体制ではなかったか


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16~17世紀のヨーロッパは、かつて国王と権勢を競った教皇や諸侯の力が落ち、「絶対王政」の時代となります。

中世が終わりに近づくにつれ、状況に変化が訪れた。交易の復活、伝染病や戦乱による農村の疲弊、武器の改良。いずれも小規模な領主の力を衰えさせるものだった。これらは同時に、(相対的にも絶対的にも)国王すなわち国の第一人者の力を伸ばす変化でもあった。

それまで「自由」だった領主たちは次第に国王の権威の庇護下に置かれるようになり、商工業に従事するものは保護や特権を求めて国王に接近してゆく。巨大化する戦争と火薬の導入は専門の兵士と(国王でもなければ負担しかねるような)巨大な戦費を要求するようになり、地方の騎士たちと小城塞の軍事的価値は暴落した。

かくて王たちは家政の域を超えた国家財政を取り扱うための手段、強力な官僚機構と徴税システムを欲し、それを整備・強化していった。軍事的な裏付けとしては常備軍があり、論理的な裏付けとしては王権神授説があった。中世は終わったのだ。

「巨大な戦費」が国家間闘争に勝利する条件となった以上、当然の帰結として国家は慢性的な財政難、つまり借金まみれとなります。

そして金を借りる先は、交易で莫大な利益を上げた「金貸し」以外にあり得ません。

国王は、「戦争外圧に対峙して国民を守る」という闘争課題=統合課題を担っていましたが、その陰で、国家に金を貸していた商人・貴族は、莫大な利子収入を得ていました。

つまり、国王だけに国家的な統合課題が押し付けられ、金貸し達は、私腹を肥やしていったということです。この時代、多額の経費が掛かる戦争も、金貸しにとっては純粋な「投資先」となったのではないでしょうか。

この時代、国王の権限を正当化する「王権神授説」といった観念が作られましたが、これも後の近代観念と同様、金貸しが国家を食い物にしていくためのお膳立てだったかもしれません。

そもそも、「絶対王政」などという歴史学者が作った概念も実に怪しい。「市民革命」と同様、個人の自我を正当化し、市場拡大の原動力とするための概念に思えてなりません。

16~17世紀とは、「市場による国家への寄生」がはじまった時代と言えるのではないでしょうか。

ブルボン朝最盛期の王・ルイ14世(在位1643~1715年)は、『朕は国家なり』と言いました。

しばしば「国王の権勢や驕り」を象徴するエピソードとして紹介されますが、実は、驕りでも誇張でもなく、国王だけが国家の統合課題を担わされていたのかもしれません。