バトシーラー日記

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江戸時代の上杉鷹山から学ぶ倹約のススメ


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江戸時代には、多くの飢饉から各藩で様々な質素倹約事例が見受けられます。

なかでも、米沢藩上杉鷹山の倹約方法は、現代でも学ぶところが多いように思います。

■備籾蔵
 このように体質改善が進められていくことが前提となって,諸々の政策は効果を発揮していきました。鷹山たちが力を入れたのは,米沢藩の経済的体力をつけることでした。その核となった政策が,身分ごと・地域ごとの備籾蔵(そなえもみぐら)の設置です。これは「非常食米の備え」ですが,米で納税され,藩の財政規模が石高で表される当時,米は現金としての性質も併せ持っていましたから,「資本の備蓄」という意味合いもありました。これらの備蓄は,大飢饉によって消耗することはありましたが,飢饉の被害は最小限に止められ,その効 
果が実証されました。そのため,財政難の苦しい中でも備籾の蓄積は継続されました。
 備籾蔵政策の注目点は,受益者負担のやり方だったということです。当時の食糧備蓄は,富裕者の供給によるものが一般的で,米沢藩内でも受益者負担には反対の声があったようです。しかし,鷹山の政策はいずれもそうなのですが,決して「恵んでやる」ようなことはしませんでした。領民一人一人が自分の足で立って生活していけるように、あらゆる支援や指導,体制づくり・環境づくりに手を尽くしても,生きていくためにやるべきことを肩代わりするようなことはしなかったのです。鷹山は,藩主になったときに「受けつぎて 国のつかさの身となれば 忘るまじきは 民の父母」という歌を詠んでいますが,受益者負担のやり方は,まさに我が子の未来を案じ自立を願う親心だったと言えましょう。

■自給自足体制
 支出削減策の基本は,自給自足体制の推進です。民間産業の発達した江戸時代においては,必要なものはお金を出せば藩外から購入することは可能でした。それを,できうる限り藩内で自給しようというものです。藩からは「品質の善悪にかかわらず国(藩)産品を利用するように」という通達が出されました。大きなところでは陶器(成島焼)の製造が知られていますが海を持たない米沢藩が小野川で温泉水から塩を製造したことには驚かされます。そして,これらの中でもとくに有名なものは冊子「かてもの」の作成です。穀類とともに食す非常食・保存食を紹介したものですが,野草82種の名称・調理法のほか,味噌・醤油の作り方や魚鳥獣肉の貯蔵法などについて書かれていました。この冊子は藩内に配布され,天保の大飢饉で威力を発揮したほか,太平洋戦争時の食糧難にも大いに役立ったということです。

■収入増加策
 収入増加策の基本は,新田開発です。その前提として,農村支配体制の改善と自治能力の回復策,灌漑用水路の開削,人口増加策等が行われました。商工業政策については,現代の日本において考えられるような方策のほとんどが当時も行われていたと言えます。その中で大きな収入を生み出したものは米沢織ですが,藩が織物業に力を入れ始めてから40年もの試行錯誤の積重ねが実現させた成功でした。
 鷹山たちの財政改革でき評価すべきは,効果的な借金と投資を駆使しているところです。これらの政策に商人の協力があったことはもちろんですが,鷹山の時代は商人を藩に迎えることもしています。近年の研究では,改革の中心人物だった莅戸善政(のぞきよしまさ)が酒田の豪商本間家より具体的な指導を受けたとも考えられています。彼らは,いわゆる公的な行政者というよりもむしろ,民間企業の経営者並みの手腕を持って財政に当たったと言えましょう。学問・政治に偏らず,バランスの良い経済観念も持ち合わせていたからこそ,改革は米沢藩地域社会の良質化をもたらしたのです。
(中略)
 さらに鷹山は,食材の面からも領民の健康保持に心を砕きました。現代のように鶏肉・獣肉を日常的に食べ 
なかった当時,海を持たず魚の入手が困難な米沢では動物性タンパク質が不足していました。そこで鷹山は,養鯉の先進地相馬(福島県)から稚鯉を取り寄せ,鯉の養殖を始めたのです。鯉は,ビタミン類やカルシウム・リン・鉄分等も豊富で,中国でも古くから薬として利用されていました。鷹山は,家臣にも池を掘らせて養鯉を勧めており,鯉料理は現在も郷土料理として定着しています。

 近年,石油危機やバブル崩壊で日本経済が苦境に立たされたとき,上杉鷹山の藩政が注目され,鷹山を扱った本も多く出版されました。しかし,それらは更なる繁栄が期待された視点で書かれ,鷹山の手法が断片的に評価された「つまみ食い」のようなものでした。鷹山の改革は,目先の繁栄を捨てて将来の存続を志向するものです(このことは「大倹令」の中で鷹山自身が語っています)。歴史的に見ると,日本の商工業経済(資本主義経済)は昭和末年のバブル経済がピークであり,情報化と人口減少によって経済規模が縮小していくことが予見されます。そんな今こそ,鷹山の改革を正確に理解し,鷹山を正しく評価する意義があると思います。
 ある大学教授が「現在の日本が抱える様々な問題点の答えは全部 鷹山が持っている」と言われました。本当に「全部」かどうかは吟味の余地があるとしても,鷹山を学ぶことで,問題点の相当な部分に指針が得られることは事実でしょう。目先の20年,30年程度の繁栄のために,子孫の存続を危機にさらしかねない主張が飛び交う現代の世界情勢の中,まずは日本人が鷹山に学び,より正しい指針を打ち出していきたいものです。