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バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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薩長天皇について裏情報筋の千家鳴争 Part3


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明治天皇大正天皇も正妻の子ではない
明治・大正天皇には正妻のほかに側室がいた

皇室典範の第1条に、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と、うたわれているので、天皇の血族の男性しか天皇になれない。天皇制は前近代のものだから、現代社会にはなじまない。近代社会に天皇家を生き延びさせるために、1夫1婦制を取り入れて、側室制度を廃止した。しかし、そのツケは大きく残っている。昭和天皇だった裕仁が側室制度を廃止したことは、もっと注目されて良い。

 裕仁戦争責任が、あるとかないとか云々される。もちろん彼に責任があったのは当然で、軍部に踊らされたというのは、天皇家を存続させるための責任逃れである。彼は日本国の裕仁ではなく、天皇家裕仁だったから、太平洋戦争に負けたときの最大の関心事は、わが国の存立ではなく、天皇家の存続だったろう。

 何もできない天皇を装っているが、裕仁は皇室制度をさかんにいじっている。女官についても、周囲の反対を押し切って、制度改革を行っている。女官とは、天皇家の女中さんではない。天皇のセックスの相手のことである。

 明治天皇大正天皇には、多くのセックス相手がいた。建前上は、ある位以上の女官しか、セックスに誘ってはいけなかったが、女性の色香に迷うには男の常である。しかも、子供を産ませることが奨励されていれば、天皇たちは気軽に女性に手をだした。明治天皇大正天皇も、正妻の子供ではない。

明治天皇と一条美子の結婚には法的規定はなく、美子が入内して「女御宣下」(天皇の寝所に侍する高位の女官であるという内輪の命令)があったのみであった。今日「古式ゆかしい」と伝えられる賢所大前での神前結婚の定式は嘉仁親王(=大正天皇)と節子の結婚以後に定まったものである。
 皇室婚嫁令のみならず、近代天皇制を支えた法令の多くは明治以後に制定されたものである。P69

 明治以降、天皇制を確立するために、さまざまな手段が講じられた。とりわけ皇位の継承には、細心の注意がはらわれた。それが側室制度で、天皇たちは多くの女性とセックスをし、多くの子供を出産させた。しかし、その多くは小さいときに死んでしまい、なかなか育たなかった。

 ちなみに、昭和天皇裕仁は、正妻・節子の子供であるが、節子は16歳で裕仁を出産している。つまり、大正天皇は15歳の節子とセックスをした。15歳とは、今日の中学3年生である。中学生のセックスを、世の親たちは奨励するだろうか。天皇にとってはセックスが可能なら、相手の年齢など、どうでもよかった。

 天皇と肉体関係をもったことにより、女官の発言力が高まり、隠然とした権力を手にすることもあった。また、天皇の生母であれば、発言力もました。大正天皇の母親である柳原愛子は、大きな影響力を持ったらしいし、「魔女」といわれた今城誼子は、裕仁の妻=良子をつうじて、さまざまに影響力を行使したという。
 女官は、おおくが華族の娘から選ばれたが、例外もいた。

 華族出身ではない女官で異色なのは、岸田俊子下田歌子であろう。俊子と歌子は近代の女官のなかでも特異な存在であったが、俊子と歌子の女官辞任後の生き方はまったく対照的であった。P78

 大正天皇の正妻だった節子は、裕仁、雍仁(秩父宮)、宣仁(高松宮)、祟仁(三笠宮)をつぎつぎと出産した。多くは成人まで育たないのであるが、4人とも無事に成人した。大正天皇は、病弱だったことも手伝って、節子以外の女性とのあいだには、子供を残さなかった。そうした事実を受けて、昭和天皇である裕仁は、側室制度を廃止した。

 女官がセックスの相手をしなければ、彼女たちは住み込みの必要がない。裕仁は1夫1婦制をとると同時に、宮内大臣だった牧野伸顕の反対にもかかわらず、女官を住み込みから通勤制に変えた。つぎつぎと宮中の改革を進めた裕仁が、国政にだけ無関心だったとは思えない。おそらく軍部の動向も、きちんと掌握していたに違いない。それは2.26事件の時の、彼の発言を見てもわかる。

 天皇のセックス相手以外にも、女官は必要だった。それは乳人とよばれる女性、つまり人工栄養のなかった時代、授乳をする女性である。

 当時(=昭和初期)、軍部や右翼が政治的に台頭し、牧野や一木ら天皇機関説派とよばれる宮中側近を攻撃する動きが強まっていた。なかでも、平沼騏一郎枢密院副議長は宮中側近の地位を狙っていたが、その右翼的な傾向が元老西園寺らに忌避されており、平沼は現職の宮中側近を攻撃することでその野望を遂げようとしていた。こうした政治的策謀の渦に乳人選定が巻き込まれたといえる。P184

 選挙以外で選ばれた者を、政治権力の座につけることは、決して良いことはない。どんなに名君であろうとも、身分制の害悪からは逃れられない。血統にもとづく天皇制は、悪い制度である。またそこに使える女官たちにも、彼女たちの人生に悪い影響しか残さない。天皇制は、近代的な制度にはなりえない。たとえ男の子が産まれても、時代遅れの天皇制は呻吟を続けるであろう。(2002.12.13)

◆122代 明治天皇
http://www.logix-press.com/scriba/jm/tn122.html

在位期間 1867年 1月 9日 ~ 1912年 7月30日

--------------------------------------------------------------------------------
 孝明天皇┌─明治天皇┌─大正天皇
  ∥──┘  ∥──┘  ∥───昭和天皇
 中山慶子  柳原愛子  九条節子

 孝明天皇の第二皇子。万延元年(1860)親王宣下。慶応二年(1866)十二月父帝の死去により、翌年一月践祚して皇位を継承。徳川慶喜大政奉還により、同年十二月王政復古による新政府を樹立。慶応四年(1868)三月、五箇条の御誓文を発し、新政府の大方針を示した。同年九月、明治と改元一世一元の制を定めた。翌十月、京都から東京に移って江戸城(のちに宮城)に入った。明治二十二年(1889)欽定憲法として発布された大日本帝国憲法により、日本最初の立憲君主となった。


天皇はイギリスに作られたもんです
明治より前はスメラミコトとか呼ばれて神社の宮司みたいなもんだったそうな
豆腐屋に払う金がなくてツケにしてもらったとかの人々ですよ
それを明治から神格化して、御用学者をつけて、守り人というヤクザをつけて、日本人を支配した
財産を差し出せ!戦場に行って来い!とやられたでしょ
実験用の子供たち17万人も原爆で焼かれて、天皇はそのデータで原爆の特許を取得したでしょ
それは香港の学生の一部にも知れ渡ってることで、知らぬは日本人だけ
日本人の頭の中に作られた天皇のイメージは根底から間違い・嘘であるので目を覚まさないと
安倍一味がまた天皇国家元首にして軍事独裁政権を企んでいるから殺されるぞ


天皇は英国陸軍元帥で日本は明治から英国の植民地だったので
その植民地が、欧米の植民地主義者と戦うのだと言って日本人を戦場に送り出したのも哀れな話
分けわからず戦う日本人の後から、児玉機関のような天皇の略奪部隊が金品を奪ったわけで
それこそが天皇の、戦争の目的だったとバレてきています
しこたま蓄財した天皇は今だに財閥を形成しています
そいつら含めて百済天皇は国難の根源に間違いなし

1、明治天皇大正天皇は正妻の子ではない!⇒孝明天皇・明治皇太子は同時に暗殺されていた。明治天皇昭憲皇太后の意味等明白。安重根伊藤博文殺害激文に孝明天皇暗殺者は伊藤と明記。英外交官もその噂認めた。だから、大正天皇が可笑しいとも。


とは言っても、天皇も官僚も政治家も日本人だと思っている人には
何言ってんだコイツー、と思ったでしょう?
そう思う人々のためにも、明治天皇がすり替わって、どんな「日本」が作られたか
という認識は決定的に重要なポイントなわけです
ここの議論が、B層が開眼するポイントに違いありません

明治天皇の前、孝明天皇はどうなったのか
病死/裏天皇になった/暗殺
と説はあります
孝明天皇からして縄文日本人ではないだろうし、入れ替わったっていいじゃん
という話ではありません
何者が何のためにイカサマ天コロを神にして、日本はどうなったかという話です


最近、明治天皇大室寅之祐ではなく、縄文日本人の蘭学者だと言う工作員がいる
その後の日本のありさまを見れば、とんでもない説なので個人的には却下致します
日本人は日本列島で自然発生したのではなく、アフリカ、中東、アジアと渡ってきたのだから
半島系だろうが大陸系だろうが、区別する意味は無いという人がいますが
奴らは、この日本列島で、縄文日本人を殺して半島系に置き換えるということをしている(後述)のだから
奴らを百済系日本人とでも呼んで「識別」することは決定的に重要なことです

明治天皇がすり替わった証拠になりそうなものを列挙しておきます
・母親に接見した記録がない
・写真を撮らせない
 イギリス人が盗撮した写真と、肖像画を撮影した写真はある
・ロシアの皇帝もロスチャイルドに殺された
 世界中で明治維新のようなことをやっている。マイノリティーを右翼化して政府を転覆させるのが手口
孝明天皇崩御から大政奉還のタイミングが合いすぎ
孝明天皇の子は弱々しかったが、上京していきなり馬を乗り回す(大室寅之祐は騎兵隊)
明治天皇の上京で建てられた靖国神社の起源は長州の桜山招魂社
・皇居の真横に、他の大使館と比べるととても広い英国大使館
・皇族が英国留学する
昭和天皇は英国陸軍元帥
明治天皇の生母とされる中山慶子の墓が東京の豊島ケ岡墓所にあるが、
 明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていない
明治神宮は立派だが、孝明天皇の神社は生前懇意にしていた力士が自費で建てた小さな「玉鉾神社
 「孝明神社」では許可されなかった。その力士は神社を建てた翌年死亡し、その後も嫌がらせ
田布施の者は天皇天皇はんと呼ぶ
・政財界の人間と血縁関係を結ぼうとする
・尊皇ウヨク、在特会桜井誠のようなエセ右翼は福岡を筆頭に九州人がやたら多い

 


「生前退位」報道。2.・26事件の再現か?天皇(美智子・明仁夫妻)、神道極右カルト相手に最後の護憲闘争。

美智子・明仁夫婦が、漸く日本会議極右カルト体制に喧嘩を売った。

1936年(昭和11)2月26日未明、金と利権塗れのチンピラ極右カルト陸軍将校20人に率いられたヤンキー兵士1376人が首相官邸などを一斉に襲撃して斎藤実内大臣(私邸)・高橋是清蔵相(私邸)・渡邊錠太郎教育総監(私邸)の3人の重臣と警備の警官ら計9人を殺害、天皇側近の鈴木貫太郎侍従長(官邸)に重傷を負わせ、首相官邸陸軍省参謀本部・警視庁など永田町一帯を占領した。今も昔も、軍部と極右カルトが結び付けば例外なく殺人集団になるのである。
側近を惨殺されたヒロヒト氏(美智子さんの義父)がぶち切れたのは言うまでもない。
「朕ガ股肱(ココウ)ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕(ジョ)スベキモノアリヤ」

2013年、美智子さんが、79歳の誕生日を機に、宮内庁のインタビューに応じ、憲法改正論議に関して積極的な発言し「五日市憲法草案」を高く評価している。
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。
 主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
 明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。
 当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。
 長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

昭和10年(1935)明仁氏の父親であるヒロヒト氏が34歳のとき、憲法学者美濃部達吉が「国家の統治権は天皇にあるのではなく、国家(法人)に属し、天皇は国家に従う“最高機関”にすぎない」と天皇機関説を唱え基地外軍部から総攻撃を受けて追放されようとしていたときこう言っていたのだ。
・「軍部に対して安心ができぬ」
・「君主主権はややもすれば専制に陥りやすい。(略)美濃部のことをかれこれ言うけれども、美濃部はけっして不忠な者ではないと自分は思う。今日、美濃部ほどの人が一体何人日本におるか。ああいう学者を葬ることはすこぶる惜しいもんだ」
・「機関説でいいではないか」
・「思想信念をもって科学を抑圧し去らんとする時は、世界の進歩は遅るるべし。進化論の如きも覆(おお)へさざるを得ざるが如き事となるべし。(略)思想と科学は並行して進めしむべきものと思う」(4月)と言っていた。

憲法学者美濃部達吉は、東京都知事選挙自衛隊尖閣国有化利権の極右利権屋石原慎太郎を破って革新都政を打ち立てた美濃部亮吉父親である。
いま美濃部亮吉革新都政を引き継ぎ、都民主権の反軍事経済を目指しているのが言うまでもなく鳥越俊太郎である。


天皇陛下、元首制自民党憲法草案を完全拒否!
⇒⇒⇒

象徴天皇制が将来も途切れることなく続くことを願う


自民党憲法改正草案はダメだと言うことだ。
自民党は分裂しなさい。


春名幹男氏
天皇陛下のお言葉を聞いた安倍首相。前置きを除くと、「どのようなことができるのか、しっかりと考えていかなければいけないと思っています」と言っただけ。ちょっと冷淡な反応だった。元々、NHKのスクープに対して、知らん顔に近い反応をしていた安倍政権。やはり、天皇のお気持ちとは溝がある。」

やはり安倍氏への牽制ですな。本人も察しているようで。


陛下お言葉結論>「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」

                     「天皇陛下の御命令が発せられた」
  

   お言葉に対し、群盲象を撫でるの類で、それぞれが自分に都合いいように、解釈はダメだ。安倍は、タン瘤のような平和主義者天皇が、退位したがってるぞ、それ尊重し意向が叶えるように、今後速やかに条件整備進めようと、そう受け止めた。反安倍側は、生前退位なんつう言葉はどこにも無い、とこっちを重視だ。その他、いろいろ見方あろうが、陛下が言外に真に言いたかったことは何か、突き詰めれば、現行憲法は続けられるべきだ、ではなかったか。すなわち、憲法護持、これが天皇の本心であった。改憲し、天皇元首化を企む安倍一派は、天皇に刃向かう逆賊の汚名を着ることになった。
   かっての名言風にいえば「勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が発せられたのである。 此上、ゲリゾウ、お前が飽く迄(あくまで)も改憲を企み、抵抗するならば、夫(それ)は勅命に反抗することとなり、逆賊となるぞ」となる。国民は、今回のお言葉を、単に字面を離れて、真に言外に陛下が言いたかったことを、その心を読み取るべきだ。


大室の偽天の子孫の話は、どうでもよい!
民進党の辻元の皇室廃止論は、大室の事をオブラートに包んだ表現!

上の投稿をよく見ると、
なぜか、
大室の話がないのも気になる!

長州背乗り批判系の投稿を待つ!