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バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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薩長天皇について裏情報筋の千家鳴争 Part1


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信仰の自由は最大限に保障するな


 日本の「歴史」は、東大史学科が決めてきた。大本はユダヤに指示されているとしても。
 明治初期にお雇い外国人のルートヴィッヒ・リースというあまり出来の良くないドイツ人の歴史研究家が、なんにも歴史学のなかった当時のわが国に、勝手に日本を蔑視しながら決めてしまった官許歴史そのままを庶民は教えこまされる。それは同時に天皇家や政権にとって都合のよい歴史なのだ。

 ついでながら、このリースは来日中に日本女性と結婚した。一男四女をもうけたのに、ドイツへ帰国の際には息子の応登(オットー)だけを連れ帰り、妻と娘を捨てた。いけすかないドイツ人だった。

 そのリースの決めた日本史を、サヨクに染まった東大史学科の連中が踏襲し、さらに自虐史観階級闘争史観の色に染める。
 縄文人朝鮮半島から渡ってきた弥生人に皆殺しにされ、縄文文化は滅びて、稲作とともに渡来した弥生人によって新生日本が作られたなどと大ウソをついてきたが、近年縄文時代の遺跡が次々に発掘され、縄文時代から稲作があり、人種も交替したわけではないことが知れ渡った。でもまだ東大史学科とその流れの文科省日教組は認めない。

 媚中副島隆彦明治維新がイギリスをバックにした伊藤博文ら長州下級武士によるクーデターだったと言って、ヨーロッパ人が押し付けて、これが世界基準だとされている日本の官許歴史の裏側を、自ら暴いたくせに、在日参政権やら靖国問題になると、一転してヨーロッパ人の言うとおりにしろと言う。

 現在のアメリカは、日本の保守派の靖国参拝の動きを「カルト・オブ・ヤスクニ」という概念にして、押しとどめようとしていると媚中副島隆彦は見て、だから靖国を「狂信」するなという。靖国をカルトと蔑称する媚中副島の認識の歪み、言語感覚の劣等には嫌悪感以外にない。
 靖国が政治問題になることは好ましい状況ではないにせよ、戦死した人たちやその遺族が、どんな気持ちで靖国に思いを寄せているかを、平然と泥を塗る仕打ちが、「カルト」という罵声であろう。政治批判で靖国に唾を吐きかける前に、どうして日本人の哀しみや感謝のココロにまずは寄り添えないのか。副島は、妻娘を捨てたリースみたいに、いけすかない男である。

 天皇や首相の靖国参拝を実現させようとすれば、中国で市場を獲得しようとしている、たとえばトヨタとかパナソニックとかが儲けられなくなる。
 アメリカは日本を中国に嗾ける(けしかける)という戦略は中止したんだから、日本も欧米人にしたがって、靖国参拝をやめろと言う。「ここが何よりも大事な点」と副島は言っているのだ。
 何もかも経済発展のためには屈服しろってか。

 日本は支那の市場をなくしたら一時的に困ることは確かであるが、だからといって民族のアイデンティティまでかなぐり捨てるだけが正しいはずがない。
 副島隆彦佐藤優の対談本『小沢革命政権で日本を救え』(日本文芸社)で、副島はこう言っていた。
 「天皇のご意思に従うことを右翼」と言います。本物の右翼であるならば、たとえ、今の天皇が嫌いでも、「昭和天皇のご遺志には従え」ということです。それが私の「A級戦犯合祀反対、靖国神社はもう汚れた論」です。」

 は?なにこれ。天皇の意思にしたがうことが右翼? だれがそんな定義を決めたんだ。リースが、日本は単一民族だと勝手に決めたのとそっくりのムチャぶりである。

 この本は2010年の出版だが、よくこんな恥ずかしい対談を両人はやって、今も売っているもんだ。大外れじゃないか。
 ついでに言うと、日本文芸社は汚い出版社で、「あなたの持っている原稿を応募してくれれば、審査して出版します」との謳い文句で、庶民から原稿を応募させたうえで、出版はできませんが、とても惜しいので、自費出版しませんか、と誘う手口をやる。自費出版の編集料・手数料と書店配布料で稼いでいる。違法ではないものの、そんな出版社から副島と佐藤は自著を出すのだから、それでも有識者かと呆れる。
 
 媚中副島には昭和天皇がまるで無謬で、神聖にして冒すべからずという前提があるようだ。アメリカと裏取引して大東亜戦争の惨禍を引き起こした責任者であるヒロヒトをまったく免罪にして恥じないとは、あきれた男だ。だから天皇崇拝者だと断定できる。

 言わせてもらえば靖国が汚れたのではない、ヒロヒトが日本を汚したのだ。ヒロヒトには靖国をうんぬんする資格はなく、尊重されるべき「意思」なんてものが問題にされること自体がおかしい。

 それにしても、媚中・副島は「戦犯」というそれこそ欧米が事後法で勝手に判断して、敗戦国の指導者や軍人兵士をリンチにしただけの概念を、ごもっともと押し頂く無様さには呆れはてる。少しはパール判事の爪の垢でも煎じて飲め。

 佐藤優は同書で、靖国問題は宗教団体の問題だから、彼らの自治に従えば良く、合祀にも賛成だと述べている。
 「それに対して外部からの意思、特に政治権力からの意思が働くということは、次にはキリスト教にも働くかもしれません。
 その意味では、私は、民主党の石井一参議院議員が主張した、創価学会施設を民主党が監視するという暴論に断固反対します。
 どのような宗教団体が行なうことに関しても、それが他者に危害を加えないかぎり、私はすべては放ったらかしでよい、という考えです。」

 こういうところが、佐藤優の八方美人的な言論の面目躍如で、ソーカにも良い顔をし、靖国神社にも良い顔をし、大衆受けする「権力の介入はいけない、信仰は自由なんだ」みたいなきれいごとを言う。
 古来、宗教が国家と無関係に存在したためしは無い。政教分離は理想であるが、現実はそれを隠れ蓑にして、宗教団体が政治に介入し、権力と一体となり、無辜の民を虐殺し、麻薬と結びついてきた。
 だから政教分離を実現するためには国民の代表たる国会議員が、宗教団体を監視しなければならないのである。

 副島も佐藤に同調して、「私も宗教の自由は徹底的に守れという立場です。宗教は国家体制以前から存在するし、もともと国家体制の枠に入らないものです」ときたもんだ。
 驚くべき無知ではないか。宗教が国家体制の枠に入らないだと?
 社会は国家に覆われて初めて秩序を保たれる。そのうえで国民はしっかり生活できるのだ。宗教も当たり前の話だが、その社会の一部なのである。国家の枠組みに入らない宗教を挙げてみろ、ありゃしないから。

 国家は共同体から発展した秩序である。宗教は共同体に共有される認識であって、太古の昔に個人の心的救済を目的に個人が考え出したわけではない。
 時代が下るに連れて、共同体としての宗教が、個の信仰をも許容するようになっていっただけ。

 国家は他共同体(国家)との対峙で生まれる。だから宗教といえども、国家という「缶詰の缶」に守られている。軍隊や警察と関係なく存在できる宗教団体なんてないのだ。
 それをなんと媚中・副島は「宗教は国家体制以前から存在する」などと言う。それは近代国家だけを見て古代国家を想像するから誤解するのであろう。

 佐藤優も、自らクリスチャンだと偉そうに述べているが、私はなんと破廉恥なことを臆面もなく言えるものよと呆れる。何度も言ってきているが、古今東西、世界中に不幸をまき散らしてきたのはキリスト教ではないか。キリスト教だけが原因とは言わないが、歴史上の戦争は、もしキリスト教がなかったら100分の1くらいに減っていたであろう。
 まあそれが10分の1でも1000分の1でもいいのだが、人類の争いのもとを背後から、あるいは表立って仕切ってきたのがキリスト教である。

 日本では戦国時代に、キリスト教イエズス会は大名たちに、キリスト教を信仰させる名目で近づきながら実際は鉄砲の火薬を売りつけ、代わりに婦女子を奴隷として大量にヨーロッパに連れていったのだ。それはキリスト教がやったのである。信長を暗殺したのもキリスト教イエズス会であった。

 こういう宗教を、なんで「宗教の自由は最大限に保障されるべき」などと言えるのか。佐藤は「『自分の信仰が侵されないようにするにはどうしたらよいか』という観点から全部見て、それにマイナスになることにはすべて反対です」とのたまう。バカじゃなかろうか。戦前戦中の日本は国家神道にやや行き過ぎがあったかもしれないが、紀元前から自分ら以外の宗教の自由を絶対に認めてこなかったのはキリスト教ではないか。
 なのにキリスト教は一度たりとも責任をとったことがない!

 端的に言えば、宗教の信仰の前に国家の存立があるのだ。
 ところが国家の枠内にあるべき宗教が、獅子身中の虫のごとくに、政治に介入し、戦争を引き起こし、麻薬の裏ルートになりして暴れるからこそ、政教分離が必要なのである。
 信仰の自由は最大限に保障してはならないのである。国家の存在に支障がない範囲で勝手な妄想を許可されている。
 だから靖国神社も、国家の枠のなかで踊らされる宿命(?)があるのだ。国家と無縁に存在することが許されるわけがない。

 

平安時代はなぜ終わったか(1/2)


《1》
 平安時代はなぜ鎌倉時代になって行かざるを得なかったかについての一考察。教科書に書いてある理由(例えば荘園の管理ができなくなったから…)は誰でも知っていることだろうから、本稿では書いてないことをあえてしたためる。

 例えば鞍馬口には湧き水があって、今日では湧かして温泉としている。平安時代には京の公家が下僕を遣わして鞍馬口の水をよく汲みに来ていたようだ。薬効があるから、とされていた。京の公家たちはなぜ薬効ある水を求めたのか。

 それは彼らがいつも病気がちだったからだ。史家からはそういう史料はないと言われるだろうが、状況証拠もあり、また人間一般から解けばわかる話なのである。
 貴族どもが病気になるのは、端的には彼らはろくに運動しないからである。肉体労働はいっさいない。彼らはだいたい屋敷内にいて、事務をなすか、本を読むか、会議をやるか、うわさ話をするか、女に言いよるか、和歌を詠むか…といった日常であった。

 これは脳の働きとしては、認識しか使っていないのである。脳は生命体にとっては運動のため、あるいは感覚するために使う器官が発達せざるをえない地球環境の変化にともなって、すべてを統括するべく誕生した。進化の魚類段階から誕生したとされる。そして人間にいたって脳の機能に認識が飛躍的に発達して、運動しないで「考える」「思う」作業をやるようになった。

 今日、オフィスで一日中座ってパソコンに向かっている勤労者は、運動らしい運動はしないで、ひたすら認識を使っている。
 脳が手や足などの実体を使わないで、考えるか思うかばかりに使わされる。実体を動かすことを忘れて脳は興奮する。これはクルマでいえば、エンジンの空ふかしである。クルマのエンジンは車輪をうごかすためのものなのに、もしブレーキを踏んだままエンジンの空ふかしを長時間続けていたらどうなるか。
 公家たちもおおむね屋敷内にこもって頭脳労働(?)をやり続けていた。

 こういう生活が続くと内臓が病んでくる。なぜか。生命体にあっては本来運動するものであって、考え・思うものではないからだ。内臓はそうした運動する生命体が進化過程で(魚類段階で)、運動器官、消化器官、それらの統括器官(脳・神経)に分かれたものの、消化機能を担うものであった。運動、消化、統括は形として見ると別々のものに見え、かつ別々の働きをしてはいるが、もともとの生命体(単細胞)は一つで全部であったものである。一つで全部であるのが生命体であって、それが地球環境の変化に合わせて器官は大きくは運動、消化、統括と分かれていった(分かれざるをえなかった)のだ。

 人間も本来は一つで全部の体系を持った生命体であるから、運動を忘れて統括器官の一つの機能である認識だけを酷使することは、運動、消化、統括のバランスを崩し、一つで全部(体系)を維持しなければならないものを引き剥がすようなことになる。
 ただ、地球の生成発展史のなかでは、人間が認識を飛躍的に発達させて、考えることで地球に働きかけて自然を人間化しなければ地球がもたない、あるいは生命体がもたない状況が出来したので、これは仕方がなかったのだ。そうならざるをえなかった。

 人類が認識を発展させたのは良いとしても、だから運動しないで、考える、思うばかりをやっていると、消化器官の内臓が悪くなるのだ。
  公家はそうやって運動しないで頭脳労働ばかりやったから、内臓の調子を悪くしていった。それで例えば鞍馬口まで鉱泉を汲みに来て、薬として飲むようになったのだ。貴族本人が歩いて行き来すればそれだけで、良い健康運動になったのに、みんな召使いにやらせてしまった。

 当時の医療は貴族階級だけが対象で、怪我にはそれなりの外科的処置があり、それ以外の病の処置には漢方が支那大陸から入ってきてはいた。
 漢方は主として強精剤として期待された。『源氏物語』に見るように、あの場合、光源氏は若い頃は女に馬鹿モテし、それに豪快に応える能力があったが、しだいに年取ると、ついに若い柏木に愛人を寝取られる。そのときの光源氏の悔しさ、憎悪がよく描かれているであろう。そういう男の心理が描けたのだから、やはり『源氏物語』は紫式部一人の作ではなく男が加わっているのだろう。

 権力者にとって、不老不死、わけても強精への夢は強いものであった。その風潮が『源氏物語』には投影されている。女といたす以外に男の貴族どもにはたいして仕事がないんだから、そればっかり執着する。

 『源氏物語』は、いわば男のロマンをつむいだものだ。女にもててもてて、不自由しない、精力絶倫、それもいつまでも…という。
 しかし、おそらく実際は貴族どもはこれまで述べたごとくに、生活過程が悪いので、三〇代、四〇代になると急速に衰えただろうと推察できよう。
 最近でこそ、寿命は八〇歳くらいまでは伸びたが、昔は短く、しかも五〇くらいでもうかなりの老人だった。

 平安時代ともなれば、貴族は不摂生で、早々にヨボヨボになっていっただろう。気は逸れども体が…になったはずだ。だからせめて『源氏物語』のようなものをポルノとして読んで、あやかりたいと願っても不思議はない。そもそも『源氏物語』には、枕絵がついていたという研究もあるくらいだ。

 

平安時代はなぜ終わったか(2/2)


《2》
 話を薬に戻せば、そうした強精剤として渡来の支那の薬は、なかなか本格的病気には効かないとなって、改めて日本では支那の原点に返ろうとなって、「古方」を探った。その古方がすなわち漢のころまで遡って研究されたので、今日まで「漢方」の言葉が残るのである。
 そうした流れに乗って支那から『傷寒論』のような書物が注目され、病気に効く薬がさかんに求められるようになっていった。日本古来の民間療法から和法も試されただろうし、和方と漢方が融合されるようになっていったのだろう。

 わが国で、漢方医学が本格的に研究され治療に用いられるようになるのは室町時代からとされるが、話を戻すと、平安時代末期は、病気の本格的治療の対象は天皇家と貴族だけである。
 彼らだけが薬を必要とした。必要があるから漢方が取り入れられ、民間療法が試される背景があった。

 その薬が必要になる貴族社会はなぜ病んでいったかを説くことなしに、社会科学的手法の政治や経済だけで時代は解けなかろう。教科書では、荘園の管理がどうのと説かれているし、それも否定はしないけれど、なのだ。

 もう一度言うが、天皇・貴族たちは屋敷内にたれ込めて運動をしなかった。全国の荘園主や地頭に任せっぱなしで租税を徴収していればよかった。それで内臓を悪くし、体調を崩し、ますます運動しなくなる。認識だけで脳を使うのだった。脳は統括器官であるから、運動とも消化とも一体となって働くようにできている。

 脳がものを考えたり思ったりすることは人間である以上は止められない。眠っていても認識は働いてしまうほどだ。ついでながら、人間は死ぬ間際であっても夢を見る。そこで夢のなかで三途の河原まで行ったが、家族が枕元で呼ぶ声がしたので、幸運にも生き返えれたなどと言う話ができる。実際にあの世の入口まで行ったのではなくて、夢なのである。スウェーデンボルグは生きながらにして死後の世界を見てきたと霊的体験を書いているが、あれは虚言でないとしたら夢なのである。

 悪夢は体調を悪くする原因の一つともなる。逆にいうと、脳を認識だけで使いまくっていると、眠れなくなっていく。寝る前に悩み事が起こったり、悶々と、イライラとしたりしたまま床につくと、眠れないことがあるだろう。そういうことが毎晩続くと、それだけで内臓が本来なら睡眠中は休むべきが働かされてしまうのだ。

 脳は運動器官も消化器官も働く状態になっていないのに、本来の統括の使い方をやってしまう。消化器官は運動器官のためにあるのだから、手足が運動していないのに、内臓ばかりが空回りさせられる。とりわけ睡眠中に、である。
 こうやって、平安貴族たちは、頭はボロボロ、体もヨレヨレの状態になっていった。これでは貴族社会はもたない。

 人間には手足に内臓のツボがあり前身に経絡が走っているのは、こうした統括器官、運動器官、消化器官が本当は全体で一つであるからであり、それを実体は別々であっても、機能としては一体でなければならない(一体となっている)ので、そこを関連させる機能を担う必要があるのである。

 ところが源氏を中心とした坂東武者たちはそんな貴族並みの生活はしていなかった。野山を馬で駆け巡ったり、近隣の領主の土地争いに兵隊として駆り出されて戦争をしたり、移動するにも自分の脚で一日中歩いた。こうしてとりわけ足は大地をしっかり反映するから、これは動物本来の頭脳の健全な使い方であった。頭脳が認識のための認識で動かされることもあったにせよ、外界の反映で像を創る本来の頭脳の働きを為していたのである。

 食べ物も、貴族社会ではうまいものを希求したあげくに、手のこんだ料理が食されていたが、武士たちはそんな贅沢はなく、料理といえるほどのものではない、自然に近い素材を生に近く食べていた。

 地球は大きな磁性体である。そこに住む動物も植物も磁性体だ。動物は地球が変化したものである植物や動物を食べて、磁性体を維持する。あるいは大地や樹木に直に触れ、水を飲み、地球が湧かした温泉に漬かる。こうしたことで磁性体を取り入れ、磁性体を維持していると病気にはならない。
 自然の湧き水が旨いとか、体に良いのは、成分のせいもあろうが、第一には自然の水は磁性体だからである。磁性体が強まれば体にいいし、薄まれば病気を招く。

 貴族は足袋を履き、靴を履き、屋内で生活していたから、どうしても地球の磁性体が薄れる。それに引き換え、鞍馬の山中で過ごす人間は磁性体にあふれた森林の環境にいて、磁性体を多く含んだ食事をして、嫌が応にも体調は良くなり、頭脳は冴えるのである。

 寺というところは冬でも、僧たちがろくな暖房もなく、薄着で過ごせしていた。それは体がきちんと磁性体化できていたからである。野生の動物は冬だからといって、厚着をするわけではなく、雪の上でも寝る。人間も磁性体ならばこそ、動物と同様に寒さには耐える。
 エスキモーが北極の酷寒に、いくら毛皮を着ているからとて耐えることができるのは、生肉を食べるからで、生肉は煮たり焼いたりした肉より磁性体が豊富だからである。

 料理は人の手で料理が込み入るほどに地球から離れていき、磁性体を失う。贅沢な料理を食べていた天皇・公家ほど病気になる。武士や百姓は、料理ではなく、いくらか食べやすいように煮たり焼いたりする程度で地球から離れない食物を食べていた。煮炊きする燃料も潤沢でない分、柔らかく煮込む料理にできないのも幸いだった。
 こういった理由によって、貴族は癌や内臓の病気で弱っていき、武士は粗食ゆえに内臓病は少なく済んだのでもあった。

 武士たちは、本来の生命体のあらまほしき有りよう、つまり運動器官、消化器官、統括器官は、いわば三位一体的に健全なありかたで駆使されていた。つまりは健康そのもの。頭は冴え、運動能力は高まり、内臓も元気?溂、とこうなっていた。その人間たちが新しい時代を担うのは必然であったのだ。
 これが平安時代鎌倉時代に、貴族は武士に、移行せざるをえなかった背景の謎解きである。

 ここから私たちは、自分の健康や頭脳の活性化のありようを学ばなければなるまい。平安貴族のような不摂生をしていれば衰えるということであり、鎌倉武士のように生活すれば、活躍できることになる。