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バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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大東亜戦争はしょうもない八百長だった Part3


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さて、日本に多数おられるCIAの手先の皆さんよ。
 
あなたが、どんなに忠誠を誓おうと、「裏切らないという保証」はどこにもないし、そんな確約を作ることは絶対に出来ない。
 
戦争の時、最後に口減らしをした。これは覚えとけ。
今の日本、TPPという命令をきかされ、ドル衰退という負け戦の中で、武器輸出までやらされようとしている。
しかし、それでもアメリカも含めて、ドルという通貨では負け戦にしかならん。
 
今はまだ真珠湾に近いが、本当に情勢が確定したとき、あんたらにも「集合指令」が届くかもね。
あんたらの代わりもいくらでもいるし、むしろ邪魔になるんだよ。
そのときは、おまえら自身を地震兵器の標的、もしくは某国からのミサイル攻撃とでもして一掃するかもね。
さらに、さすがにここは日本でしかも偽装事故なわけで、911のように「いらなくなった奴」までも片っ端から捕まえるようなことは、今はまだ出来ないからな。
俺も含めて邪魔な奴、すべてに対して、そういう手法にならざるを得ない。
 
 
あの国は自分自身の利益のためならなんだってやる。
 
ロスチャイルドが、白人ユダヤをアメリカに追い出したことで、純粋な白人だけが生き残るという思想の今のアメリカはナチス化している。
そしてそれが、ロスチャとロックフェラーの対立につながった。
 
白人だけが生き残るという思想の奴らにこき使われてるってことだ。
 
そんな奴らの命令をきく日本人。大部分は、単純に代えが効く、口減らし対象と考えていいだろう。
それ以上の、深くかかわりすぎて、代えがめんどくさいような手先としての重要人物は、子供は2人以上産まないほうがいい。
脅しの手法として、子供が2人いたら一人を薬漬けなどの重病、もしくは処分し、残った1人を絶対に失いたくないと思わせる強力な楔を作る。
これは人間心理学的にも脅しの手法としても実に理にかなった手法だから。
 
 
 
戦争のときは、原爆で証拠消滅は簡単だったろうが、今の偽装戦争の時代ではどうやってやるんだろうね?
 
こいつら自身の口減らしのことも兼ねて、また自作自演のテロでも日本で起こして、俺みたいなのを逮捕できる体制にするのは十分考えられますね。
 
あ、そうそう、要らなくなった→口減らし、この「いらなくなった雑巾」という話は、冷戦構造が解消されてからの日本、今の人口削減モデル地区という状況そのものでもあるわけです。
 
 
嘘つきは人殺しの始まりです。
デッドマン、ウソツカナイ・・・・、しゃべれもしないけどな。


美しい国という単語が出たら、美国=アメリカのために 日本を守るという単語なら、在日米軍のために 維新という単語が出たら、外国資本のための改革を こう置き換えても、日本のすべてのニュースは意味が変わらないです。はい。


アメリカ軍イギリス軍「日本兵は弱兵」

一ノ瀬俊也 著 
日本軍と日本兵 より抜粋
米陸軍軍事情報部が部内向けに毎月出していた戦訓広報誌(IB)に掲載された日本軍とその将兵の姿や能力を明らかにしてゆくことにする
・射撃が下手
戦訓広報誌(IB)
「日本の狙撃兵は射撃が下手で、直射可能な短距離にいる経験の浅い舞台にのみ有害である。」

ビルマ戦線のイギリス軍
日本兵は射撃が酷く下手で、とくに動いている間はそうだ。組織され静止している時の射撃はややマシだ。しかし、陣地と偽装は優秀だ」

アメリカ軍兵士(軍曹)
日本兵の射撃が上手だとは思わない。敵に狙われた時、地面に飛び込んで3,4ヤード左右に転がることでのがれた、」
上等兵
日本兵の小銃、機関銃射撃が下手だったが印象に残っている。だが擲弾筒には注意すべきだ。」
伍長
「敵小銃小隊の機動はきわめて不注意だと感じた。小銃の射撃も下手で結果も悪かった。」
軍曹
「日本軍はすぐ混乱に陥る。手榴弾を投げるふりをしただけでバラバラになって逃げ去り小銃のいい的になる。射撃がうまいとは思わない。」


・格闘戦が弱い
IB
「奴らは接近戦を恐れており、わが部隊が近付くと逃げた。」
日本兵が銃剣の用法について訓練を積んでいるとは思えない。彼らは剣術を使わず、直突を試みる。彼らは銃床打撃をよういず、しばしばこれにだまされる。」
「近接戦闘が多いが銃剣の扱いや格闘戦には熟達していない」
「日本軍は訓練時に銃剣の使用を重視しているにもかかわらず、アッツのそれは概して銃剣の扱いが下手であった。」

戸山学校
「敵兵の長所は防御が巧みで、試合中彼我接近するや必ず全員床尾板で相手を打撃する」

アメリカ軍兵士
日本兵を発見するのは難しいが、一度姿を見せれば勝ち目はない。格闘戦はひどく苦手である。」
「私の印象では日本兵は米兵のような闘志(guts)を持っていなかった。格闘戦ではすぐに音を上げた。」


・精神力が弱い、将校がいなければ自分で動けない指示待ち人間

ビルマ戦線のイギリス軍
「日本軍の虚を突くと、奴らは全然戦う準備をしていない。奇襲するとパニックに陥り、叫び、逃げる。」

IB
「日本軍の将校は恐ろしく有能です。彼を欠いた兵たちなどとるに足りません。」

元捕虜のアメリカ兵
日本兵は頭脳と自分で考える力を考慮に入れる限り、三流の兵隊だと思う。
私は数人の、どの陸軍でも通用する兵隊に出会ったが、それはあくまで数人にすぎない。」

アメリカ兵
「日本軍は夜間の接近戦を好み、昼間は出てこなかった、私が考えるに
彼らはきわめて臆病な兵士ではないだろうか。」

水木しげるみたいな人でも前線に駆り出されてたことを
考えると納得できるよな


「日本は欧米相手に互角に戦った」みたいに言ってる人もいるけどさぁ、日本が戦ったのは植民地の駐留軍であって、ヨーロッパ本国の正規軍と戦ったわけじゃない。

第二次世界大戦の主戦場はヨーロッパ戦線で、アメリカは対ドイツ戦の片手間に日本と戦っていたに過ぎない。
アメリカは「ドイツが勝てば日本も勝つ。ドイツが負ければ日本も負ける」と考えていた。日本はドイツのおまけみたいな扱いだったのです。

ドイツがV2ロケットを飛ばし、アメリカが原爆を開発している時に日本は風船爆弾を作っていた。風船でアメリカに勝てるわけがないでしょう。
アメリカ:ドイツ:日本の戦力比は控えめに見積もっても10:5:1くらいだろう。

日本はずっと格下の相手とだけ戦ってきた。
「鎧袖一触で勝てる」と踏んでいた中国にすら苦戦するような国が、ドイツも恐れたアメリカに喧嘩を売ったのは大陸での戦争が長引いて予算を減らされると恐れた海軍の暴走によるものだった。
戦略的に考えれば、日本は南進するのではなく同盟国ドイツと戦っているソ連に攻め込むべきだったんだ。
陸軍と海軍が予算目当てにそれぞれ別の戦争を始めていたのだからもうメチャクチャ。場当たり的に戦線を拡大してグダグダに終わっただけ。戦略性0w

旧日本軍は「御国のため」などとおためごかしを言いつつ、私利私欲に走って国を滅ぼした。
愛国心」などと言ってる奴が一番国益を損ねているという実例だな。

その理屈だとベトナムが世界一の強国なわけだが。ところで小林よしのりの戦争論なんてクズだから信じるのはやめた方がいいよ。

3:箱男:2007年06月28日
実際、日本軍はベトコンゲリラより弱かったんじゃね。
ベトナム兵は竹やりで戦闘機を撃墜した実績があるらしいぞ。そんなの真似できねーべ。


日本に開国を迫ったのは、幕末の1853年と1854年に来航したペリー提督率いるアメリカ合衆国インド洋艦隊である。
  浦賀まで来たどころか、実際には江戸湾深く入り込んで、たびたび威嚇砲撃(ペリーとしては礼砲のつもり)を行なっている。「開国と通商交渉に応じないならば、実際に江戸城を砲撃し、陸戦隊を上陸させる。上海からあと10隻軍艦が来るぞ」と幕府の交渉役人を脅したのである。ペリー艦隊の軍事力で、江戸城は本当に崩れると誰にも分かった。当時は江戸城の裏まで海だった。
  ペリーが、日本側を交渉の場に引きずり出して、上手に「友好条約」と「通商条約」を結ぶ過程は、『ペリー提督日本遠征日記』(木原悦子訳/1996年/小学館)の中にあますところなく描かれている。

 変わることのない“日本に対する基本認識”

  ペリーの航海日誌のきわめつけは、やはり次の記述であろう。これが全てを如実に語っている。

  しかしそれでも、日本国内の法律や規則について、信頼できる十分な資料を集めるには長い時間がかかるだろうし、領事代理、商人、あるいは宣教師という形で、この国に諜報員を常駐させねばならないことは確かである。それに、なんらかの成果をあげるには、まず諜報員に日本語を学ばせなければならない。
                     (『ペリー提督日本遠征日記』木原悦子訳/小学館


倒幕軍の総大将は西郷隆盛だが、軍事力を直接動かしたのは大村益次郎であって、江戸に入ったあとも、上野の彰義隊の抵抗をこのアームストロング砲で一気に片づけている。西郷隆盛大村益次郎の戦闘指揮の前に頭が上がらなかったという。
  政治の流れを大きく背後で動かしているのは、軍事力とそのための資金である。
  一体グラバーの背後に、日本を属国にして管理していくためのどれだけの策略がめぐらしてあったのか。まるで日本人だけで、それも情熱に燃えた下級武士たちの力で明治維新ができたと考えるのは、底の浅い歴史認識である。


ついに解読成功???⇒謎の死亡広告。
旧日本軍の改造人間化実験で後遺症の父(95)

上の記事は、2013年の3月19日のものですが、
北海道のある女性の方から、
「どうも暗号広告のようなので、解明して欲しい」といった
要請があり、私なりに解明を試みたものです。

ただ、情報量が少なかったこともあり、
題名に???があるように、解明を試みた私としても、
我ながら半信半疑であったことも事実です。

しかし、ここに来て、本命ともいえる真相情報が
寄せられて来ましたので、皆さんに、公開する事に致しました。

私のブログにおいて、幾つもの暗号記事の解読をして来た
事実は、皆さん、御存知のことと思います。
そのほとんどは、かなりの核心に迫ることが出来たと思っています。
ただ、今回のものに関しては、情報不足の為、失敗だったようです。

この点につきまして、皆さんには深くお詫び申し上げます。
時には、今回のような失敗もあろうかと思いますが、
どうか、ご容赦下さいますように m(_ _ )m
しかし、その過程において、瓢箪から駒ではないですが、
思っても見なかった情報につき当たり、大きな収穫もありました。
そして、あの記事に引用した事件や情報は全て事実である
ことを元にしたものである事を付け加えておきます。


死亡広告記事の内容があまりにも突飛なものでしたから、
暗号が含まれたものに違いないと多くの人が感じたことを
この私も同様に感じたのは事実です。
事実は、小説よりも奇なりと申しますが、
まさか、書かれている内容が大筋において、事実を元にした
ものであったとは、とても信じがたい驚きでありました。


さて、本日、nondell さんという方から、極めて、真相と思える
ような記事の御紹介をいただきました。
尚、本記事に勘違いや間違いが判明した時には、その都度、
責任を持って訂正記事を掲載することをお約束致します。

 

父中村留吉儀3月11日自宅にて、
95歳をもって永眠いたしました
故人は旧海軍二等兵、空母瑞鶴で零戦整備のち機関部転属
本人の同意なしに改造人間化の実験に利用されたが失敗し、
心身に後遺症が残った
ここに生前のご厚情を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます
(2013年3月17日 朝日新聞に広告掲載)

(2013年4月12日)
追加 (2013年8月10日)
マレーの留 (2014年5月16日)


目次
名簿 入隊 水鉄砲 空母瑞鶴 発病 拘束と隔離
退艦式 火事場の馬鹿力 鉄人化計画 吉田家の秘密
自衛隊の勧誘 追加 マレーの留

 

名簿

名簿が二つあります。
総班員名簿
戦闘機整備班
空母瑞鶴第27分隊
昭和19年5月8日現在
第一班に父の名が見えます。
等級 上整曹
特技 高整
記事 班長

翔鶴戦斗機会名簿(平成元年)
これは手書きのものです。 住所や電話は省略します。
父の名はリストの終りのほうに見えます。
所属 戦整
備考は空欄です。
ただしこの名簿では、所属の所で戦整にはほとんどが
戦整11とか戦整18のように番号がついています。
その数は50名弱です。
番号が付いていなく戦整とのみ表示されているのは、
父のほかに2名のみです。
番号なしの戦整と表示されている3名はリストの最後、
物故者の直前にあります。
入隊直後の訓練の時期の所属が空母翔鶴だったのでしょうか?

空母翔鶴は1944年6月マリアナ沖海戦で沈没。
空母瑞鶴は1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没。

父は、空母翔鶴に所属していたこともあったのでしょうが、
翔鶴が1944年6月に沈没する以前に、
1944年5月8日現在で既に空母瑞鶴に所属し、
班長になっていたことがわかります。

 

入隊

日米開戦(真珠湾攻撃)の翌年に、
父は海軍に志願して入隊した(ようです)。
以下では (ようです) を簡単のために省略します。

日米開戦は1941年(昭和16年)12月。
父の生まれた年は、1918年(大正7年)1月ですので、
24歳のときに入隊したことになります。

航空学校に入学して飛行機乗りになりたいと親を説得して
東京に出たが、体格が劣っていて飛行機乗りになれる見込み
が無く、航空母艦の艦載機の整備士として海軍に入隊した
とのことでしたが、あるいははじめから入隊するつもりで
上京したのでしょう。

初めての航海のあとの長期休暇に故郷に帰り、
親をだました結果になったことを詫びたそうです。

許してくれて、そのうえ代々家に伝わる黄金作りの太刀を
持ち出し、こんな物を今時、持っていても意味がなく、
ほかに守ってやれる物もなく、
また兵隊になろうとする者は他には居なかったと、
その太刀を渡されたそうです。(伝安徳院)


前者の人びとは、世界のなかの日本がいかに弱いものかを痛感して、強い者の側に「寄生」したのだろうか。そして後者のタイプは、前者のように組織の威光を借りて、金儲けのみを目指す人びとなのか。