バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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大東亜戦争はしょうもない八百長だった Part2


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第二次世界大戦八百長だった。


日本は、最初から負けるつもりで戦争を始めた。

戦争の真の目的は「とんでもない」ところにあった。


今年も8月15日がやって来た。太平洋戦争当時、イルミナティの走狗として
八百長戦争」を引き起こしてきた奴らの孫達が、「尖閣」や「竹島」を口実にして
同じことをしようとしている。過去のマスメディアが大本営発表を垂れ流し続けたのと同様に、
憲法改正や不正選挙を黙認し続け、どうでもいい芸能情報やゴシップ記事を拡散し続けるマスゴミが健在である。
昔も今もやってることは同じである。
何度も言うが、騙されてはいけない。自分や自分の大事な人が「八百長戦争」で殺されてしまう前に、
しっかりと知識武装して欲しい。そして、まわりの人に真実を教えて上げて欲しい。


「太平洋八百長戦争」終戦記念日
「二度と戦争を起こさせないためには・・・過去の戦争の真相を理解しなければならない」

-現人神と神格化され、国民は直接会う事が出来ずご真影を拝まされていた昭和天皇の、これが実像だったのか。戦前昭和、先の戦争、戦後日本に幻滅を覚える-

 本日8月6日は「広島原爆の日」です。昭和20年(1945年)のこの日人類初となる原子爆弾が投下されてから、今年で満68年となります。
 今回はこの広島原爆投下に関して、大変語りづらい「昭和史の真実」を見ていこうと思います。

 こと「日本史」に限ってみても、さまざまな新資料の発見などにより近年各時代に新たな光が当てられ、従前の定説を覆す学説や見方が現われてきています。
 その一つが上古に起きた有名な大化の改新です。従前はこれによって我が国は、より文明的な律令国家へと向かうことになったなど肯定的な捉え方が主流でしたが、それとは異なる負の側面が最近クローズアップされてきているのです(これについてはいずれ記事にするつもりなので、今回種明かしはしません)。

 また一昨年の『真実の近現代概略史(4)』で既に見たとおり、坂本龍馬をはじめとする薩長土肥の下級武士たちが原動力と教えられた明治維新は、実はユダ金ロスチャイルド(&フリーメイソン)が裏で糸を引いていたのでした。
 その構図は日清戦争日露戦争、日米戦争まで変わることなく続いたのでした(ただし日米戦争頃から米国ロックフェラーが新たに加わった)。

 お断りしておきますが、私が今回のようなことを述べるのは、虚飾に覆われた偽りの歴史ではなく、あくまで「真実の歴史」を知りたいからなのです。
                       
 タイトルとした『米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?』は、実は2011年8月『昭和天皇戦争責任(1)』記事の中で既に述べられていたことです。「述べられていた」と他人事なのは、この記事は私自身が書いたものではなく、あるサイト記事の転載であるからです。
 この記事には「昭和天皇戦争責任は明白だ」としか思えないエピソードがふんだんに盛られていますが、今回はそのうち「広島原爆投下」に特化して見ていこうということです。 
                       
 その前に、昭和天皇は先の戦争に本当に関与していたのかどうかだけは簡単に見ておかなければなりません。

 これについては、極東軍事裁判における、日米開戦時の首相だった東條英機の「我々は、陛下のご意志に逆らうことは有り得ないのであります。」という証言がすべてを物語っています。 なおこの証言を知った昭和天皇は、超A級の戦争犯罪人として処刑されるのではないか、と焦ったそうです。それから天皇は、キーナン主席検事に上流階級の女性を提供するなどの裏工作を必死で行ったというのです。
 終戦までの昭和天皇は宮中の書斎にナポレオン像を置いていたほどの大のナポレオン狂で、太平洋戦争はナポレオンの戦略・戦術をなぞったものだった、という指摘もあります。
 緒戦となる真珠湾攻撃「成功」の報に接した時は、欣喜雀躍したそうです。
 戦時中の天皇は十分聡明で、一つ一つの作戦に御前会議などで直接指令を発していた、というのです。
                    
 このような「戦争好きの馬鹿ロマンチスト」(戦後のある華族昭和天皇評)という戦時中の天皇の実像の延長線上に、今回問題となる「原爆投下地広島」決定問題があるのです。

 広島に原爆が投下された8月6日の2ヶ月前となる6月、この時点で昭和天皇は原爆投下の情報を当時の実質的米国権力者のスティムソン陸軍長官からの指令で受け取っていたのです。
 もちろんスティムソン陸軍長官から直々にということではありません。同長官はまずグルー駐日大使に伝えました。それから日本側の「ヨハンセングループ」に伝えられ、それを経由して宮中の天皇に届いたのです。

 ヨハンセングループとは何でしょう?これは当時の日本最大の米国スパイグループを意味しています。驚くべきことに「鬼畜米英」が叫ばれていた戦時中に、米国のスパイたちが暗躍していたのです。
 ヨハンセンとはある特定の個人を指す米国のスパイコードネームです。誰かといえば当時外交官だった吉田茂です。戦後名宰相とうたわれ最長政権を築いた吉田の戦前・戦時中の姿はスパイだったのです。

 中心人物の吉田茂のほかに、牧野伸顕、樺山愛輔、岡田啓介米内光政ら外交官や海軍首脳がいました。当然のことながら彼らは戦後A級戦犯指定を免れています。

 余談ながらー。ヨハンセン吉田の孫が、今「ナチス容認」発言で国際的物議をかもしている麻生太郎副総理です。なお戦後A級戦犯指定を解かれ、首相となり60年日米安保条約を締結した岸信介は、戦後米国CIAのスパイでした。その“偉大な祖父”を尊敬しているのが安倍晋三首相なのです。
 今この国を牛耳る極右政治家二人の祖父が、共に米国の売国スパイだった。何ともグロテスクな構図ではありませんか。

 終戦直後の昭和天皇マッカーサーとの会見は単なるセレモニーで、実は終戦の前に連合国側は天皇家の存続と昭和天皇の生命、財産の保全を決めていたのです。天皇制をうまく利用する方が日本統治上好都合と判断したからです。
 それを事前に知らされていた昭和天皇は、だからこそポツダム宣言も安心して受諾したのです。

 それはともかく。米国側からヨハンセングループを通して原爆投下地を決定するよう要請された昭和天皇は、「広島」と返答しました。
 なぜ広島だったのか?それには理由があったのです。
 その時点で終戦決定していた天皇にとって、一番の障害となることが予想されたのが陸軍の存在です。終戦と聞いてクーデターを起こしかねなかったからです。

 ついでに言えば昭和天皇は大の陸軍嫌い、裏を返せば「大の海軍びいき」でした。緒戦の真珠湾攻撃からミッドウェーなど各海戦がまず行われたように、日米戦争は海軍主導の戦争だったのです。
 しかし海軍の責任を追及することは天皇戦争責任に直結するため、戦後その事実は隠蔽され、陸軍にすべての責任を押しつける「陸軍悪玉説」「海軍善玉説」が広く流布することになったのです。

 さて広島には陸軍の半分を指揮する第二総軍司令部がありました。ここが壊滅すればクーデターが防止できる。そう読みきった天皇は、「広島」と米国側に伝えたのです。 マンハッタン計画により史上初の原子爆弾を完成させることに成功した米国は、第2次世界大戦のどこかでその威力を確かめたくてうずうずしていました。しかし同じ白人種であるドイツ国民に対して使用するつもりはまったくなく、当初からターゲットは黄色人種の日本国民だったのです。
 歴史の皮肉として昭和天皇が介在し、人類初の原爆が「広島」に投下されました。しかし広島ならずとも、日本の主要都市のどこかに原爆が落とされるのは確定的だったと言えます。

 だから以上述べたことが史実だったとしても、今さらあの世の昭和天皇を責めても詮無いところがあります。しかしこれ一つ取っても、「昭和天皇戦争責任」は大有り、言い逃れ出来ないはずです。

 それにしても米国の手口は巧妙かつ狡猾です。日本の天皇を人類初の原爆投下の共犯者にしてしまったのですから。以来68年経っても米国政府が日本国民に謝罪しないのは、それが大きな理由なのかもしれません。 

 ★謀殺された徹底抗戦派・戦争終結反対者たち 

畑悛六元帥は頭脳明晰である。彼はすべての情報を分析し、8月6日午前8時には必ず会議に出席せよ、との通達を九州から大阪にいたる各司令官に出した。親分の言葉に従わないヤクザの子分がいないのと同様で、彼ら司令官たちは偕行社の会議に出席すべく万難を排してかけつけた。前日に着いた司令官たちは、岡崎清三郎新参謀長の着任祝いを兼ねた前夜祭に出た。原爆投下の前夜、県知事、広島市長、政・官・民の大物たち、広島軍司令部の幹部たちが集まって、畑元帥の大盤振舞いに大喜びした。広島芸者たちが華をそえたことは言うまでもない。そして、乱痴気騒ぎの後はご覧の通り、となる。
 (中略)
8月5日に場面を移そう。やはり『エノラ・ゲイ』の記述である。

 ・・・広島では、1つの宴会がいまたけなわであった。畑元帥の部下の新任参謀長の歓迎宴に出席するため、招かれた客たちが6時から偕行社に到着していた。民間人の客は県知事と上級の役人たちと粟屋仙吉市長とであった。その民間人の客と50名ばかりの幕僚たちとが畑元帥と新任参謀長と同室に集まっていた。他の客たちは次の間の宴会場で飲んでいた。畑元帥と参謀長とは先刻ちょっとそちらの宴会場に顔を出して挨拶してからまた奥の間に帰り、そちこちの客の群れをまわって酒を飲み、丁重な会話を交わしていた。・・・

 私はこの宴会の模様を書いた本は他にないものかと探したが、皆無であった。宴会があったとの1行ないし2、3行の記事は発見した。しかし、日本人の書いた原爆関係の本は、この宴会を重要視していないのである。原爆投下の本質を見究めようとする姿勢が欠けているように思えてならない。だから、この『エノラ・ゲイ』を読み続けてみようではないか。
 (中略)
私は「その報告は、畑元帥が明朝開催する通信部隊全体会議の議論の主要題目になるはずであった」と書かれた内容に異論を唱えたい。次項で書くことになるが、畑と大屋が宴会の席で緊急の会談を持ったということは、その必要性が存在したからだ、と私はみている。
 大屋は何を畑に話したのが。それは有末から伝達された事項にちがいない。何か緊急を要するのか、を考えたとき、私は必然的に、翌日8時15分に落ちる原爆で生き残る人と、死んでもらう人の選別の結果を畑元帥に大屋中佐は伝えたと思う。この宴席で酒を飲んでいる人たちの中で「誰と誰に伝えろ」と有末が語った、と私は信じている。従って、死んでいった人々は、畑元帥か大屋中佐から耳打ちされなかった人々に違いないのだ。これが私の推論である。『エノラ・ゲイ』を続けて読むことにしよう。

 ・・・大屋中佐は、今夜の宴会に来ている客のなかで、明日〈二日酔い〉で出て来るのが何人ぐらいいるかなと思った。もう大分飲みすぎたのがいた。しかし第二総軍司令部の高級将校の大半と、作戦主任参謀・井本熊男大佐と、片山二良大佐参謀と、李遇公殿下とは、控え目に飲んでいた。片山大佐は明朝8時に歯医者にいくことになっているので、酒を飲むとよくないからだと説明した。・・・

 私はこの文章を読み、どうやら『エノラ・ゲイ』の2人の著者は、広島で取材し、第二総軍の大屋に的を絞っていくなかで、原爆投下の機密をしっかりと知り尽くしたと思っている。この文章はそれを暗示しているからだ。次項でこのことを詳述することにしよう。
 ついに、粟屋市長と畑元帥の会見の場が描かれた文章が登場する。ゴードン・トマスとマックス・モーガン=ウィッツは間違いなく、この原爆投下の隠された秘密を知っている。以下の2人の文章がそれを暗示している。

 ・・・粟屋市長がもう1度畑元帥に食い下がると、元帥は2、3日中に相談しようと漠然とした約束をした。市長はがっかりしたが、もうあきらめて家へ帰ることにした。粟屋夫人は、最近自宅に預かることになった3歳の孫を連れにいって、広島へ帰ったばかりであった。
 圓山係長は市長を邸まで車で送って、それではいつものとおり、朝8時にお迎えにきますと言った。それが2人が交わした最後の言葉となった。・・・

  元帥が「2、3日中に相談しようと漠然とした約束をした」ことに粟屋市長は「がっかりした」のである。粟屋は宮城県仙台で鉄道省官吏の粟屋頴祐の子として生まれた。東京帝大法学部卒業後に内務省に入り、大分県知事、農林省水産局長などを歴任した後に1943年から広島市長となっていた。後は畑元帥の約束の中に広島の未来図を読み取ったにちがいないのだ。彼は自宅で妻と孫とともに被爆死した。否、次のように書くことにする。彼は妻と子と孫とともに、何者かによる「原爆殺し」という殺しに遭った、と。『エノラ・ゲイ』に書かれている粟屋市長に関する記事を列記し、この項を終わることにしよう。8月6日の朝の出来事である。
 (中略)
 それでは、私が解いた謎について記すことにしよう。推理小説風に書くが、真実であることにかわりはない。

  - 畑は嘘をついている。「前々夜など知事、参謀長、大塚氏など会食したる程なりしが」は、間違いなく、前夜、すなわち原爆投下の前日の夜である。畑は嘘をつかなければならない、と心の中に思い続けていた。そして、この前夜の宴に参加し、生き残った少数の者たち(ほとんどが「原爆殺し」に遭った)に、この夜のことを喋ってはならぬと厳命した。だが、『エノラ・ゲイ』の著者2人はたまたま粟屋市長のことを調査中に、この夜の宴を知った。
 もう1つ、畑は嘘をついている。「高野知事も当日は恰も出張にて災難は免れたれど」ということである。『ヒロシマはどう記録されたか』の中にも「県知事高野源進はその日業務で福山に出張をしており、難を逃れた」と書かれているが、これも嘘をついている。

では、真実は何処にありや、である。答えはいたって簡単である。県知事高野源進が「広島全域の知らせを受けて急遽広島に戻ろうとした」の中に明確に書かれている。高野は8時15分に福山にいた、とこの文章は読み取れる。高野は業務で8時15分、福山にいた。そこに知らせが入った。だが動きがとれなかった。それで列車、車を乗りついで帰った。午後6時半であった・・・。

 高野は5日の夜遅くまで酒宴にはべっていた。午後6時から出席者がやって来たとあるから、いくら早く始まったとしても、7時ごろであろう。『エノラ・ゲイ』には、宴席にあまり気がすすまず、静かに酒を飲む人々が描かれているが、高野はその中には入っていない。宴の席で畑や大塚や藤井たちとはしゃいでいたのであろう。ということは、高野はどうして翌朝の8時15分に福山にいられたのかということになる。もし、福山にいたとすれば、陸路で百数十キロ離れた福山(岡山県との県境にある都市)まで夜中にどうして移動できたのか、という問題が生じる。
 とすると、高野は密かに第二総軍の車に乗せられ、偕行社の宴会場から福山に連行されたと考える以外になかろう。そして、福山で、広島への原爆投下の通告を受けたのである。それゆえ、彼は彼の妻にも連絡がとれず、残された彼の妻は、畑が書くように「高野知事も当日は恰も出張中にて災難は免れたれども夫人を喪ひ」という結果となったのである。
「なんとか列車、車を乗り継いでここ〔比治山多聞院〕に到着したのが、午後6時半だった」と書かれているのにも注目したい。被爆当日の混乱のなかとはいえ、福山から10時間もの行程である。宴会の当夜には列車の運行は休止されている。高野は間違いなく、車で夜中を福山に向かって行っている証拠が、この文章の中に明らかにされている。

 では、どうして高野が助けられたのか。それは、原爆投下後の混乱を収拾するためであった。粟屋市長が本当は適役であった。しかし、畑は粟屋市長を嫌悪した。それゆえ、粟屋は「原爆殺し」の犠牲者となった。
 (中略)
畑、永野(修身)、杉山、3人の元帥は奉答のあと、天皇より次のような御言葉をいただいたのである。畑の記している、聖上にして神なる陛下の御言葉は以下の如しである。
 
 ・・・〈更らにこのまま戦争を続くるに於ては、形勢益々悪化し、遂に国家を救済することを得ざるべし。★皇室の安泰については敵側もこれを確約しあり。 天皇武装解除の為に利用するといふ敵の言論は放送なればこれを信ずべからず。皇室の安泰は大丈夫なり、心配なきことと思ふ。
 国体に関し大権云々といふことは治外法権の如きを指すものにして、不戦条約の文句より見るも、米国の如き国体にしては到底了解し得ざる処なり。忠良なる軍隊を武装解除し、又嘗ての★忠臣を罰するが如きは忍び難き処なるも、国を救ふ為には致し方なし。武装解除、保障占領等細きことは、何れ休戦条約にて決定さるべきものにして、今より直ちに細き条件を出すことは、却って状況を益々不利に導き、成立せざることとなるべし。
 心事は、明治大帝が三国干渉により遼東半島を還附せられたる時と同様なり。実に忍び難き処なるも、深く考へたる夫決定したるものなれば、これが実行に元帥も協力せよ〉・・・

 この3元帥が天皇の御下間に奉答した後から、いわゆる「日本のいちばん長い日」が始まるのである。若手将校による1種のクーデターである。そして、畑悛六に同行した白石参謀は、森近衛師団長とともに惨殺されるのである。彼ら若手将校や第二総軍の兵士たちが掲げたスローガンは「国体を護持せよ」であった。「天皇危うし!」である。しかし、天皇は「皇室の安泰については敵側も確約しあり」と3元帥に断言している。

 私はこの畑の書いた8月14日の日記を読みつつ、★天皇はスティムソンから秘密のルートで貰った手紙をそのまま読んでいるのではないか、と思ったのである。天皇は8月15日以降のアメリカ側の〈予定表〉を語っていると思ったのである。原爆についても畑に尋ねていると思うが、畑は記していない。
天皇武装解除の為に利用するといふ敵の言論は放送なれば」、「この点は心配しなくてもよい、安心していなさい」とスティムソンが天皇宛の手紙で書いていそうな気がしてならないのである。
「国体に関しても・・到底了解し得ざる処」であることは「スティムソン個人として十分に理解しているから安心していて下さい」というように読めてくる。
「忠良なる軍隊を武装解除し」て下さい、「忠臣を罰するが如きは忍び難き処」でしょうが、アメリカ国民の心も理解して下さい、武装解除をしていただければ、占領軍が日本本土に入りますが、「保障占領」いたしましょう・・そして「何れ休戦条約」を結びましょう・・と書かれていたと思うのである。

 スティムソンは、どうしてこうも天皇に★やさしい条件を授けたのか。その答えのうちで最大の理由は、原爆投下を日本が認めたからであった、というのが私の結論である。原爆投下というアメリカの【仕掛け】を、日本が。【受け入れた】のである。 もし、原爆投下の前に、天皇が降伏宣言をしていたら、原爆投下もなかったのである。そうすれば、スティムソンはロックフェラーやモルガンや国際金融寡頭勢力を裏切ったことになるのだ。天皇よし、スティムソンよし、ロックフェラーよし、モルガンよし・・・。しかし、広島と長崎の人々にとっては最悪であった。「原爆殺し」の歌が21世紀の今日でも聴こえてくる。その歌の正体を見究め、これを封じ込めなければならない時が来つつある。 


皇居や財閥ビル、軍事施設は攻撃せず、各地の空襲や広島、長崎でも三菱などの軍需工場は無傷であった

「原爆の爆発手段が空中起爆でも地上起爆でも、「本当に重要なこと」ではない。「本当に重要なこと」は、原爆の真相が日米合作の“八百長”人体実験だった、ということだ!」

 

あれだけ原爆の空中起爆と地上起爆の論争に明け暮れていた一部のブロガーが、「何もなかった」「もうすでに解決した」とでも言わんばかりに静まり返ってしまった。
「本当に重要なこと」は言及しないまま・・・
原爆の爆発手段が空中起爆でも地上起爆でも、「本当に重要なこと」ではない。
これは、あくまでも目的ではなく手段に過ぎないのだ。

「本当に重要なこと」は、国民が絶対に知っておかなければならないことは、

原爆の真相が日米合作の“八百長”人体実験だった、ということだ!

この事実を完璧に理解しておかなければ、また同じことが繰り返される。
「過ちは二度と繰り返しません」どころか、過ちがまた再び繰り返されてしまうのだ!
何の謝罪もしないで、観光気分で、広島に訪れたアメリカの操り人形大統領。
謝罪の気持ちもないのなら、広島に来るんじゃないよ!
まぁ、謝罪という思考形態がプログラム設定されていないお人形さんに、文句を言っても仕方ないかもしれないが・・・


さて、原爆を落とした理由は何でしょう。これを考える上で、絶対に間違いのない理由を探せばいい。そうすれば見えてくる。
 
まあ、諸説あるが、それ以前に「実験であること」は間違いないわけ。
既に敗戦国として確定していた日本人を使って原爆の人体実験をする。こんなスペクタルなことはない。それが落とした奴らの頭の中なわけね。
 
そう、「実験」。だからデータを取る必要があったわけ。
というか、絶対にデータは取りたかったんだよ。
 
その着眼点を持つと、広島の原爆というのが後始末とデータ集積を誰がやったか?が見えてきて、鬼塚氏の本に書いてないことさえも、つながって見える。
 
実験なら、その時のデータを取る本当の協力者が絶対にいる、戦争が八百長であることを知ってれば、それは間違いないと確信を持って言える。
そいつらの存在が鬼塚氏の本で見えてくる。
具体的にいうと、
第2総軍司令官 畑俊六(軍関係の指揮・パリ平和会議代表や陸軍大臣など)
広島県知事 高野源進 (後始末する役)
二号研究→仁科芳雄博士(計測する役・のち河辺機関)
 
こんなやつらね。詳しくは本読んで。
 
鬼塚氏の本で、こいつらがアメリカの手先として協力し、畑が軍人を広島に集め、誰を生かし殺すかの生殺与奪の線引きを情報参謀第2部の有末中将(日本郷友会副会長)とともに決めていた描写がありありと書かれている。
 
この本を読むまで、自分は、広島に落とされたのは「軍港の呉つながりあたりなのかな?」とだけを思っていた。
しかし、読んでいくうちに、それだけじゃなく「終戦という目処をつける為に情報漏洩を最低限にするよう口減らし、損切りをしたんだったんだダダダ!」と、文字通り声を出して叫んでしまったよ。
どどどっドドどもってないよ。
鬼塚氏の本に載っていない目的、それこそが口減らしである。
 
 
そう、戦争中の相手国で観測をする役目は日本人スパイしか出来ない。
仁科芳雄博士、データ集積→ABCCへ)、そいつらの動きの意味を追いかけると、同時に仲間の下っ端を広島に「主人からの集合命令ですよ」と集めて、文字どおり消滅させたのも鮮明に浮かび上がってくるのだと。
 
鬼塚氏は、原爆が落ちるのを知ってて殺す人間と生かす人間を見定めたとだけの見解だが、違う。その選別も何のためか?を考えれば簡単である。
日本という雑巾は右手と左手で絞られ、そして最後は雑巾自身はいらなくなる、捨てられるのだ。
 
それを実行したのが、畑俊六で陸軍、情報参謀第2部の有末中将とでもつながってる通り、戦後は、GHQ情報参謀2部(CIA)=ロックフェラー機関。これも本に出てくるよ。
さらには、畑が戦犯として一時的に収容された巣鴨刑務所では、その後の日本版CFRの重要人物、賀屋興宣と一緒にいたところまで本に出てくる。
 
 
鬼塚氏は、ロックフェラーではないロスチャによる長崎での原爆で、不思議なことに「アメリカ人捕虜は一人も死ななかった」とも書かれてるが、自分は、この証拠隠滅の為に広島に下っ端を集めて葬り去ったことのほうが大事であると自分は思う。
 
余談だが、長崎→反カトリック→ロスチャの仕業という話も信憑性が高い。
なぜなら、カトリックは有色人種意識が残ってるキリスト教で、本来ロスチャよりなはずだが、なぜか日本では四谷資金などの例を出すまでも泣く、カトリックGHQ情報参謀2部、反共カルト、純白人崇拝であるロックフェラーとの連携が多く見つかる。
 
本来、ロスチャ圏であるEU、そのイタリアのマフィアがロックフェラー系の動きに同調し、それにカトリックの一部も連携してることをなんとなく以前から意識してたので、そこらへんの流れが日本にもつながってるのかな?と思ってた。
それともカトリックマネー網とロック系でつながってる糸でもあるのか?ぐらいに考えていたけど、帰一教というロス茶の事情、それと原爆をロスチャが長崎に落としたとつながれば、そこから反共カルト化=ロックフェラー化したカトリックが日本ではいっぱいいることに「なるほどね」と頷かずにはいられないわけである。
ここらは、調べてまたわかったら教えるね。 →余談終了。
 
 
さて、そういうわけで広島の原爆は
 
政治的な陣頭支持をして後始末、プルサーマルを導入した福島県知事である佐藤雄平
それを担ぎ出した、GHQ情報参謀2部そのまんまの東京地検特捜部
イランで核物質の大量爆破を企画したモサドとつながるイスラエル国防企業もIAIの起爆装置管理システム(スタックスネット必要なし)
観測してデータを集積するために、われ先にやってきたイスラエルの医師団
そのお国らの指令で海で塹壕を掘っていた地球号
そいつらの情報統制をする大本営記者クラブ・・・・
 
彼らによって、福島に原爆は落とされ・・・
あれ?
 
 
 
あらら、「終戦」と「開戦」がひっくり返ってしまいました。
忘れてください。
 
「まだ」状況証拠でしかないですから。
プルサーマルを導入した張本人なのに批判されないのと、戦犯なのに表舞台で暗躍しているというのも含めて「まったく同じ」というふざけた構図だがね。
イランでモサドとCIA、イスラエルとアメリカが核テロをやったというのを知ってるだけで、全部根拠のある状況証拠。