バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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高齢者お荷物説の大ウソ


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山本一郎です。最近酒量を減らしたところ、少しの酒で酔えるほどに燃費が良くなりました。エコであります。

ところで、1時限目「高齢者の死に方について世界との違いを考える」の中で、高齢者の死に方、尊厳死の議論についてお話をしましたが、今回はもう少し歩を進めて「そんな高齢者を支えているはずの勤労世代は、その納めている税金で本当に社会を潤しているのだろうか?」という話をしたいと思います。

と申しますのも、最近になって安倍晋三首相が国内景気の先行き不透明感や、熊本での大地震の復興も含めた補正予算前倒しの議論の中で「消費税増税を見送り」というテーマを表に出し始め、いろんなところでハレーションが起きているように感じられるからです。

勤労世代の5人に2人は、納税で社会に貢献するどころか
稼ぎが悪くて社会のお荷物になっているという図式に
消費税増税に関する三党合意についてなど、細やかな政策上の経緯や是非は脇に起きますが、基本的には、消費税増税を行う意図というのは、一部は増え続ける社会保障費などの歳出を支えるためには増税が必要、というコンセンサスがありました。

本当に消費税を増税すれば国庫への歳入が増えるかどうかはともかく、社会全体として「このまま社会保障費が増えて国が成り立つのか」「財政は大丈夫なのか」という検討は、どこかでしっかりとしておく必要はあると思います。

財務省が発表している歳入・歳出と公債発行額の推移を示したグラフ,税収が57.6兆円で公債発行額が34.4兆円,歳出が96.7兆円となっている

もちろん、国家の経理さんの役どころである財務省は「大変だ、大変だ」と言い続けています。「いや、埋蔵金はあるのだ」とか「国家は経常収支が黒字であれば、国民が国家をファイナンスし続けられるわけだから、国家はデフォルトすることはない」などという議論は百出します。正直申し上げて、国庫が破綻するかどうかは、本当のところは誰にもわからないのだろうと思います。

しかしながら、わかりにくいマクロ経済や国家財政の話を抜きにして、国民一人ひとりが納税した金額と、実際に受けられる市民サービスの一人当たりの単価を見比べれば、その人が納めた税金で社会が本当に回せているのかがわかります。

そして、結論から先に言うならば、我が国の労働世代の5人に2人は、働いて税金を納めることで社会に対して貢献するどころか、稼ぎが悪くて社会のお荷物になっているという図式になっていることがわかります。

社会保障費を考える上で、社会で「当たり前のように受けられる」はずの公共サービスには、当然ですがコストがかかっていて、そのコストは誰かが納める税金が充てられているのだ、ということを理解する必要があるのです。

千葉市の市政サービスの見える化で、透明性と納得感の裏に…
基礎自治体がユニークな首長を戴くケースにおいては、その政治的な意識の裏づけとなるような幾つかの試みが結実し、興味深い話が複数出てくるようになりました。

たとえば、千葉市熊谷俊人さんという現職最年少当選の若き市長を選んだ結果、市政のコストの見える化が進んで、サイトで誰もが「このサービスは本来いくらで成立しているものなのか」が把握できるようになりました。ツイッターでも時々名言を吐いて暴れるなど、名物政治家の道を着々と歩んでいる面白政治家です。

で、千葉市民が納税した市民税が、千葉市の市政、公共サービスにどのように使われているのかが一目で分かるようにしたところ、他の市政でのコスト比のベンチマークが取れるようになってきました。もちろん、非公開を貫くマイウェイな自治体も多いわけなんですが、外形的に基礎自治体の「能力」が評価できるようになると、埋もれた可能性から絶望するべき未来まで、定量化できるようになります。

千葉市HP

→市税の使いみちポータルサイト

私は3人の男の子を養っていまして、現在6歳5歳2歳で、道路にチョークで落書きをするなど日々ろくなことをせず公共サービスのお世話になっているわんぱく三人組です。もしも、彼らが千葉市で暮らしていたのならば、部分的に支援される一人目二人目は月額3万7,091円、全額支援される三人目は15万9,467円の補助を千葉市から受けることになります。

もしも、3人とも保育園に入っていたのだとすれば、保育費について私の世帯は月間の保育料3万4,095円を支払う代わりに、月間のサービスとして23万3,649円相当の額を千葉市から受けていることになります。

この差額に見合う住民税を私が払っていれば、私は千葉市に対して税収の上で貢献する市民だという話になるわけです。控除やなんやかやありますが、この保育園のところだけで考えるならば、市民税は6%ですので、月額およそ20万円の千葉市の負担を市民税でカバーするぜとなれば年収がざっと3,991万必要だ、ということになるわけです。

興味のある人は、千葉市の市民税解説ページでも見てください。私は別に千葉市長の回し者ではありませんが、こういう試みのおかげで得られる知見もまた、多いように思うんですよね。それも、この試算は保育料だけの話で、ここにさらに消防だ警察だ上下水道だ道路橋だ国防費だといった費用が乗っかってきます。

国税庁が発表している平成24年度における身近な財政支出と国民1人あたりの負担額,警察・消防費が総額5兆949億円で国民1人あたりに換算すると約3万9955円にあたる,ゴミ処理費用が総額2兆768億円で国民1人あたりに換算すると約1万6287円,国民医療費の公費負担額が総額15兆1459億円で国民1人あたりに換算すると約11万8777円

国税地方税においては、所得税だけでなく、消費税や法人税その他の税収もありますが、国税についていうならば、全体の歳入の14%ぐらいが所得税です。

財務省が発表している一般会計税収の推移を示したグラフ,2011年時点で所得税が13.5兆円で法人税が7.8兆円で消費税が10.2兆円となっている

我が山本家は、私と家内、暴れん坊の子供3人と、介護が必要な高齢者2人、元気な高齢者2人と猫ちゃん2匹わんちゃん1匹がぶら下がって暮らしていますが、ざっと計算すると、全部を私個人の所得で世間様に迷惑をかけないように回そうとすると税引き前の年収で8,400万円ほどかかる計算になります。

ここからさらに、公共サービスに頼らない個人的な親父お袋の扶助とか、子供の送り迎えとか、わんちゃんの散歩とかといった家庭の雑事が数多降りかかってくるわけです。さらにはPTAやら地域会やら、なんかかんか役割が押し付けられて、粛々と対応していくわけであります。なんか、人生を見ていると40歳を超えてから、ずっと誰かの面倒を見ている気がします。

山本家における愚痴はともかく、法人税収の減少が今後起きるとするならば、個人納税者への負担が一層高まっていくであろうことは容易に想像がつきます。痛税感(つうぜいかん)とか、重税云々という奴ですね。まあ、税金を払いたくないという素朴な感情は誰にでもついて回るものです。一万円多く税金を払うぐらいなら、外食でうまいものでも食いたいと思うのが人情ですからね。

自立した国民になるためには、
納税を行い、地域に貢献し、子供を育み、
高齢者を可能な限り養うことが求められる
ただ、社会保障費が増大していくよという見込みの強くなっている昨今、足りない財源をこれまで国債の発行で埋めてきたツケをこれから払うことになります。つまり、今まで高度成長だ日本人の誇りだといってきたプライドを維持するための費用を、私たちや次の世代が負債として返していかなければならない年代に差し掛かったぞということです。

すなわち、社会に富を与える生産ができなくなった高齢者が多いほど、それを支える労働力も資金も必要になるけれど、稼ぎが少ない働き手が納める税収が伸び悩むと、その地域や暮らしは一気に貧しくなるぞ、ということです。

「一人当たりの平均納税額」から、「一人当たりが受けた公共サービスの平均額」を引くと、控除や相続その他の山や谷も馴らして計算するならば概ね年間230万円から、310万円程度の差が出ます。これはつまり、一般的な国民が納めている税金よりも、多くの市民サービスを受けていることになります。

ただ、言い方は悪いですが、普通にがんばって暮らしていても、所得が低く納税額が低ければ、生活しているだけで「社会のお荷物」になってしまう危険すらあります。もちろん、これらはあくまで「一人当たり」という国民全体の平均であって、高齢者が増えれば一人当たりの納税額は低くなる傾向がありますし、働いて得た賃金とは別に働き先が法人税その他を納めているわけですから、あくまでそういう試算がある、という話ですが、ひとつの参考にするべきは、公共サービスを支えられるだけの自立した国民になるためには、納税を行い、地域に貢献し、子供を育み、高齢者を可能な限り養うことが求められることになります。スーパーマンかよ。

890~920万円程度の所得があって初めて
「社会に貢献している人」「税金を納めているからと
文句を言える資格のある人」ということになってしまう
そこで、この問題を考える上で出てくるのは「担税力(たんぜいりょく)」という耳慣れないワードです。

社会的なニーズに対する政策の一部は、税制大綱(ぜいせいたいこう)という国の税金の体系の方針に色濃く現れますが、これを見ると、我が国が解決しなければならない問題が浮き彫りになってきます。『税理士法人名南経営』がまとめているサマリーは非常に良くできているので、ざっとご覧いただけると我が国の取り組むべき課題が良く理解できます。

税理士法人明南経営が公表している平成28年度税制改正大綱の概要について,法人税改革は法人実効税率の「20%台」への引き下げや法人事業税の税率引き下げと外形標準課税の拡大など,個人所得税関連では医療費控除の特例措置(セルフメディケーションの推進),消費税関連では消費税の軽減税率と適格請求書等保存方式の導入など

たとえば、国民にとっては不公正感のある法人税の引き下げは、例のパナマペーパー問題などにも見られるように大企業優遇の政策に見える一方、世界的な法人税引き下げ競争に日本が負けると、文字通り企業が納税するべき本社を海外に移転してしまったり、法人の作り出す雇用がなくなってしまいます。

ここでいう担税力とは結構主観的な概念で、別に厳格な計算式があるわけではありません。単に、社会的に「まあ、このぐらいは税金を負担して当然だろう」という線引きをしながら、不当な苦痛を感じずに日々を暮らしていくための税率ってどのくらいなんだろうね、という話であります。

ところが、普通に計算すると現在国内で行われている公共サービスがかかっている実費そのままに国民一人当たりの税負担額とするならば、過去に発行した国債などの償還を除いても890万円から920万円程度の所得がないと、国は社会を維持できないという計算になります。

法人税や固定資産税など、他にもさまざまな税金が取られていますので、一概に所得税だけの問題ではないのですが、ざっくりとした計算でもこのぐらいの所得があって初めて「社会に貢献している人」とか「税金を納めているからと文句を言える資格のある人」ということになってしまいます。それに満たない所得の人は、担税力がそもそも不足しているので、このような公共サービスを受けることで実質的な所得移転、貧富の格差解消を為されている、と判断されることになるのです。

戦後の高度成長期の蓄えをほとんど使い切った日本は、
どんどん貧しい国になっていく可能性が高く、
衰退期に入りつつある
厳しいようですが、格差問題というのはすでに納税の段階から判別できるものなのですが、それ以上に問題なのは、日本社会は戦後の高度成長期の蓄えをすでにほとんど使い切って、どんどん貧しい国になっていく可能性が高い、衰退期に入りつつあるということでもあります。

国の税制と、暮らし向きの劣化は、政治の問題でもありますし、日本社会の風土の問題でもあります。単純に言うならば、右肩上がりの経済成長に慣れ親しみ、昨日よりも良い明日が来るという保障がまったくなくなった今、社会的に富を生み出さない高齢者を政治や社会がこれ以上優遇することは難しくなるでしょう。

そうしたとき、最終的に頼ることができるものは何なのか、何かあったときに支えになる存在は何かということを、少しでも考えておいて対策を打っておくことの大事さは、噛み締めておかないといけないだろうなあと思うのです。

自分自身や家族の健康がまず第一で、そこからがんばって働いてしっかりとした稼ぎを得て、社会に貢献できる人物になるために何が必要か、不足の事態が起きたときにどのような備えがあるのかを考えておくことが肝要なのではないかと感じます。


高齢者は「社会のお荷物」ではない

もちろん、何でもかんでも状況のせいにするのは良くないことです。しかし同時に、基本的人権が侵害されるような状況にあっても、それを受け入れてしまうようでは問題です。特に、介護現場には抑圧が多いので、注意する必要があります。

先にも述べたとおり、高齢者は、抑圧によって、自分自身のことを「社会のお荷物」であると考えてしまうことがあります。なんらかの障害を抱え、要介護状態になれば、こうした傾向はますます強くなります。

あくまでも謙遜で、高齢者本人がそういうことを言うのは、悪いことではないかもしれません。しかし「言霊」というとおり、言葉には、社会の価値観形成に対して強い影響力があります。

高齢者は「社会のお荷物」ではありません。高齢者とは、あくまでも「高齢になった人」にすぎません。意地悪な現代社会が、高齢者に対してネガティブな価値観を押し付け、抑圧しているということに気がつくことが、誰にとっても大事なことなのです。

 

高齢者は社会のお荷物か

日本は2050年に4割近くなるがアメリカは2割程度にしかならない。高齢社会の到来がアメリカは遅い。高齢者は社会のお荷物か――いや、金の生る木だ。

高齢者が社会のお荷物だと誤解されるのは次の理由による。

高齢化=福祉問題で、「高福祉高負担」と、高齢者が多くなると税金が高くなる。
高齢者=介護で「食事」「入浴」「排泄」とやってもやっても報われない重労働が待っている。
高齢者が多くなると何もしない老人があふれ非生産的な社会になってしまう。
これらのイメージは視点が変われば間違っていることが分かる。たとえば、老人介護の社会は本当に非生産的なのか。生産的な社会をイメージするために、世界一自動車を製造しているトヨタ自動車に日本の全労働人口が就業したら日本は生産性の高い国になるかを考えてみる。

日本全体がトヨタの車を作ったら、経済は回らないことはすぐに分かる。自動車ばかり作っていたのでは生活ができないからだ。食事もしなければならないので、畜産や漁業や農業に従事する人が必要だし、それを売る人、そこまで運ぶ人、休みの日にはレジャー産業が必要だし、子供ができれば教育機関も、それらの生活が有機的に行われるには銀行も政府も必要だ。病気やけがに備えて病院も必要。お年寄りがいれば、面倒を見てくれる施設やヘルパーも必要になる。自動車を製造する人たちのための衣食住は最低でも必要で、その衣食住を提供する人たちにも同様の衣食住やサービスを提供する産業が必要になる。こうして、社会構造は複雑に形成されるのだが、この社会の中心は製造業である。

この社会構造の中で、老人の比率が5%以下なら、生産活動をしている人たちの報酬の中から出た社会保障費で老人を介護することは大きな問題にはならない。しかし、これが25%を超えたら、つまり、人口の4人に1人が面倒を見てもらう必要がある高齢者だったら、生産業に携わる人たちにとっては大きな負担だ。

国連では65歳以上の人が人口の7%以上を占める社会を「高齢化社会」と呼んでいる。それが14%を超えると「化」が抜けて「高齢社会」と呼ぶようにして区別している。日本は、1970年に「化」付き社会になり、1994年に「化」なし社会に突入した。「化付き」から「化なし」に至るまでに24年経過したが、これは欧米先進諸国に比べるとえらく急激だ。たとえば、旧西ドイツやイギリスは45年、社会福祉が充実していると言われるスウェーデンでは85年、アメリカでは75年(一部統計ではまだ到達していない)という年月で緩やかに高齢社会を形成している。これに反し日本は2014年には高齢者人口は25%を超えると予想され、世界のどの国にも見られない超高齢社会があと5年でやってくる。

人口の4人に1人が高齢者だとなると、就業前の人口も含め人口の半分が生産活動をしない人で占められる。これでは、いくら働いても子供や老人を養うことはできない。超高齢社会の絶望感、閉塞感はここから生まれる。さらに、このために税金や社会保障料が上がっても本当に面倒見れるのかどうか、国の借金財政を考えると危ういという危機感と、今は労働生産している世代もいずれ高齢者になるわけで、その前に福祉社会は崩壊してしまうのではないかという不安が重くのしかかっている。

これら、すべての不安は、製造業中心の社会構造からきているものだ。これを高齢者福祉中心の社会構造に転換すれば、不安は一挙に解消する。どうやって?先ほどとは逆のことを考えればすぐに分かる。

日本の全労働人口が全員老人ホームに就業したとしよう。これでは、当然経済が回らない。食事もしなければならないし、仕事に疲れたらマッサージも受けたい、病気になったら病院にも行きたいし、子供に習い事もさせたい。忙しい移動には自動車もほしい。車を買うにはローンも組みたいから銀行も必要だ。日本で食糧を生産できなければ外国から輸入しなくてはいけないので貿易もしなくてはならない。そういう社会の仕組みをちゃんと動かしてくれる政府も必要だ。こうして経済が回る。トヨタの例とどこが違うのか、現象面は全く変わらない。ただ、社会の仕組みが製造業中心から高齢者福祉中心の社会に転換されている。そうすれば、経済は確実に回り、高齢者は社会のお荷物から社会の主役に躍り出る。

今の社会構造は、製造業とサービス業が主役のものだ。多くが、これに従事している人たちのために構成されていると言える。衣食住はもとより自動車もテレビも携帯電話もパソコンも売っているものの多くは、生産活動をしている人たちのために作られている。

これをすべて高齢者のために作ることによって経済は確実に回復する。なにしろ、高齢者の方が人口が多く、しかもお金を持っている人が多い。さらに、高齢者と一言で言っても全員が「食事」「入浴」「排泄」という画一的な介護を必要としている訳ではない。生産者人口と同様に個性もあれば趣味も違う。老化したからと言って、人間の欲望が衰えるわけではない。プライドもあれば羞恥心もある。向上心もあれば冒険心もファッションセンスもある。孤独を楽しみたいと思ったり社交的になりたいと思ったり、気持も目まぐるしく変化する。しかし、多くの商品やサービスが生産労働している人向けのもので、高齢者にふさわしいものが少ないのだ。高齢者向けとなると、すぐに安心なもので、字を大きくして目立つものばかり。とても人生を楽しむ道具やサービスとは思えない。つまり、商売のネタがごろごろ転がっているのに、そのネタを見つけて商品化したりサービス化したりが十分に行われていない。

老人中心の社会に転換できれば、経済は確実に回り、それに携わる多くの人に収入が行きわたる。そうすれば税収も増え、高齢化社会は高負担でも何でもなくなる。日本の高齢社会は、40年ほどで終わりを告げるだろうが、世界の高齢化は日本を手本にまだまだ続く。つまり、今日本が老人中心の社会を展開していけば、そのノウハウは世界各国で売れる。これは、日本の車作りが世界で受け入れられたのと同様で、日本の製品やサービスさらには社会システムまでが老人中心のものとなれば、どこの国でもそれがほしくなる将来が目の前にあるのだ。高齢社会が終わっても日本はしばらくそのノウハウで食べていける。

こんなに簡単で夢のように儲かる社会をなぜ作らないのか。この手の研究は見当たらないので私の推測だが、理由はアメリカにある。

ひとつには、アメリカの高齢化が世界のそれに比べて実に遅いので、アメリカ社会が高齢社会に対して無頓着だという点だ。高齢化が遅い理由ははっきりしないが、アメリカにも戦後ベビーブーマーがあったもののアメリカ本土は戦場になったことがない点と、恐らくアメリカが移民の国で、働くためにやってくる人たちが多いためだろう。日本は、戦後、アメリカをモデルに社会の仕組みを作ってきた。日本にとっては手本が変わらないのにどうやって社会を転換したらいいのかのノウハウがない。政治の貧困はそこにある。

もうひとつは、生産中心の社会でなくなったら戦争ができないという点だ。これは、意外な理由に思われるかもしれないが、高齢者中心の社会になったら、国家体制は戦争できる態勢とは言えない。アメリカはサービス産業の世界だが、国家の根幹は戦争を実行する勢力で占められている。日本が道路を作らないとやっていけない国家の仕組みなら、アメリカは戦争をしないとやっていけない仕組みの国だ。軍事予算は国家予算の4分の1を占める。アメリカは第二次世界大戦以降も戦争を続けている国だ。日本がアメリカの同盟国である以上、アメリカは日本を戦争のできない国にはしたくない。だから、日本は高齢社会になっても重厚産業の国でなければならない掟のようなものがある。しかし、このまま高齢社会を生産者中心の経済で回したら、日本は高負担のために労働人口が破産してしまうか、低福祉のため多くの高齢者が生きていけないかのどちらかで崩壊してしまう。

日本はすでにアメリカと歩調を合わせられる人口構成になっていない。国民のニーズがそれぞれ違う国なのだ。早くアメリカの枠組みから抜け出し、政官財一体に民を加えた総体制で、高齢者中心の社会経済体制に転換する必要に迫られている。時間はそうない。

 

厚生年金・国民年金情報通 [ 厚生年金・国民年金増額対策室 ]
その昔、老人医療費(自己負担)は無料でした
2008年4月から後期高齢者医療制度が始まり、75歳以上の高齢者すべてがその対象者となります。

医療に掛かった際の自己負担割合は一般は1割、現役並みの所得者は3割。後期高齢者医療制度の保険料は制度発足時は1割(制度発足時の厚生労働省の試算は全国平均で年に1人7万4,400円)ですが、現役世代人口の減少と高齢者人口の増大を考慮して、この保険料負担割合は徐々に引き上げられていくしくみです。また、地域ごとの後期高齢者医療制度対象者の医療費が増大した時には、それも75歳以上の高齢者の負担する保険料に反映されていくしくみとなっています。(高齢者が健康である地域ほど保険料は安くなるということです。)

このような制度ができた大きな要因は財政的な問題なのですが、かつて老人医療費(70歳以上)の自己負担は、無料だった時代を含めて非常に低く抑えられていました(医療財政の悪化の一要因)。ここではその老人医療費(70歳以上)の自己負担の変遷を見ていこうと思います。(なお、このページの「高齢者」の年齢は、断りのない場合は65歳または70歳のいずれかになります。)


1973年1月、老人医療自己負担無料化へ

1973年(昭和48年)1月。
それまで国民健康保険加入の高齢者の医療費自己負担割合が3割、健康保険の扶養家族の高齢者の自己負担割合が5割だったところ、老人医療費の自己負担分を老人福祉法で負担するという形で、老人医療の自己負担が無料になりました。(これ以前の負担割合の変遷は省略)

※1969年に東京都と秋田県で老人医療自己負担の無料化~その他の自治体でも老人医療自己負担の無料化は拡がっていました。

時代は高度経済成長(1955年~1974年)のピーク期。
豊富な税収をバックに国民の声および政治的な背景により、田中角栄内閣が1973年を福祉元年と位置づけ、社会保障の大幅な拡充が図られました。(厚生労働省は医療費増大を危惧して老人医療自己負担の無料化には反対)

1983年2月、老人医療自己負担を定額負担に

老人医療自己負担の無料化から10年。
1983年(昭和58年)2月に老人保健法を施行。
伸び続ける老人医療費を抑えるため、高齢者の自己負担を外来1ヶ月400円、入院1日300円(2ヶ月限度)とすることとしました。

1986年~老人医療自己負担金額の見直し

1986年には、老人医療自己負担金額の定額負担の金額の引き上げの改正をし、1987年(昭和62年)1月からは高齢者の自己負担を外来1ヶ月800円、入院1日400円(2ヶ月限度)とすることとしました。

1992年(平成4年)1月からは高齢者の自己負担を外来1ヶ月900円、入院1日600円(2ヶ月限度)、1995年(平成7年)4月からは高齢者の自己負担を外来1ヶ月1,010円、入院1日700円(2ヶ月限度)、1996年(平成8年)4月からは高齢者の自己負担を外来1ヶ月1,020円、入院1日710円(2ヶ月限度)、1997年(平成9年)9月からは高齢者の自己負担を外来1日500円(1ヶ月4回まで)、入院1日1,000円・・・以下省略

2002年10月老人医療自己負担1割負担の定率化

度重なる定額負担金額の見直しを経て、2002年(平成14年)10月からは、老人医療自己負担は1割負担の定率(上限あり)とすることとなりました。なお2002年10月の改正では、老人保健の対象年齢が5年をかけて70歳から75歳に引き上げられることが決まりました。

裕福な高齢者も低負担だった老人医療

かつての老人医療のしくみは年齢だけで区切っていたため、経済的に豊かな高齢者についても低負担の自己負担でした。

この老人医療の実態について、読売新聞の渡辺恒夫会長は「社会保障構造の在り方について考える有識者会議(平成12年2月23日第2回)」において次のように指摘されています。

『~非常に貧しい高齢者というものは生活保護費とか、他の手段で面倒を見るべきであって、私は73歳ですから高齢者なんですけれども老人医療はただで、1アンプル8万円の注射を打っても530円しか取られない。私はがんの手術をやりましたが、何十万円掛かる大手術をやってもほとんど取られないんですよね。とにかくいつ行っても530円しか取られない。こんなばかなことをやっているから老人医療費が非常にかさんでいる。~』

10年で「老人医療費 / 国民医療費」が2倍になった

厚生労働省「国民医療費」によると福祉元年(1973年)当時は4,289億円だった老人医療費が1974年度には前年度比55%増の6,652億円、その後老人医療費の増加は国民医療費全体の伸びを上回り、1973年当時は国民医療費39,496億円(4兆円)・老人医療費4,289億円で、老人医療費が国民医療費に占める割合が10.8%だったものが、1983年度には国民医療費145,438億円(14.5兆円)・老人医療費33,185億円(3.3兆円)で、老人医療費が国民医療費に占める割合が22.8%となりました。

ツケは後世代が払う

老人医療費の自己負担部分については定額負担から定率負担、そして2008年4月からは後期高齢者医療制度として75歳以上の後期高齢者を別枠にして、75歳以上の方の負担がじわじわ上がるようなしくみ・・・結局は後世代の人ほど負担を背負うしくみとなりました。(昔の高齢者よりもこれから高齢者になる方の方が負担が大きいという意味)

さらに、年金についても後先を考えない年金制度設計が行なわれていました。

年金問題の正しい考え方―福祉国家は持続可能か (中公新書 1901)
森山和夫氏著の48ページから一部引用します。
『1973年をピークとする高度経済成長期の年金制度は、もともと長期的には持続できないようなしくみになっていた。将来の現役世代が負担する予定のものをはるかに上回る過大な年金支払を約束していたのである。その制度設計の誤りを早期に率直に認めて、根本的に改める必要があったにもかかわらず、ズルズルと引き延ばしてきた。役人も専門家も、1973年スキームが持続するはずがないことはもとからよく知っていたのである。その証拠に、1973年の「財政再計算結果」でも、厚生年金制度を維持していくためには、男性の保険料率は、1978年以降5年ごとに2%程度ずつ引き上げていって、2008年からは19.6%にせざるをえないという、負担増の必要性が明確に述べられていた。』

1973年当時の厚生年金の拠出と受給は、

厚生年金の拠出(保険料率)・・・男性7.6%、女性5.8%(賞与含めず)
厚生年金の受給・・・男性60歳、女性55歳から。報酬比例部分の乗率10/1000
1973年には、物価スライドと賃金再評価制度が導入された年でもあり、このような設計でもつわけがないことはわかりきった話だったわけです。

物価スライド・・・物価の上げ下げに応じてもらえる年金額も上げ下げするしくみ。例えば物価が2倍になれば、100万円の年金をもらっていたひとの年金は200万円になる。この物価スライドは年金受給者の生活水準の安定をもたらし、保険料拠出以上の恩恵を受けられる仕組みであると言える。

賃金再評価制度・・・現役の賃金上昇(名目賃金)と年金額がリンクするしくみ。

追記(2012年5月7日)

当ページをご覧頂いた方から、下記のご指摘を頂きました。

田中角栄が昭和48年に、老人医療費を無料にしたくだりのところ。カンジンのその後のコトが書いてないではないですか?老人達は、非常に多くの人が病院を占拠する状態となり、ホントウに入院しないといけない人達が入院できなくなってしまった。その結果、病院は老人を追い出す事になりました。この事は明記しておくべきではないですか?!』

当ページの柱が経済的側面であったために記しておりませんでしたが、ご指摘の通り記しておくべきことであると判断いたしましたので追記します。

老人医療費の無料化により、医療を必要とする高齢者の入院増加のみならず、いわゆる要介護の社会的入院(※)も増加し、その結果、入院を必要とする人が入院しにくくなるという弊害が生じました。(※ホテル代わりの社会的入院もあったかもしれませんが)

そして、その後は医療負担額の改革があったもののその割合は小さいものであったため、高齢者による入院割合は、依然として他の世代よりも高いままで推移。(外来も同様の傾向)

参照:平成23年版高齢社会白書 第1章 高齢化の状況
www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2011/
zenbun/html/s1-2-3-01.html
((1)のウ:高齢者の受療率は他の年代より高く、国際的にみても高齢者が医療サービスを利用する割合は高い-図1-2-3-6)

国は、高齢化が進む中での増え続ける医療費抑制のため、2008年4月からは『医療費適正化計画(5カ年計画・方針は小泉政権当時に策定)』を実施しており、その中には「療養病床の削減(医療型は一定の削減、介護型は全廃)」が掲げられていることから、病院としては、入院患者の削減などの対応が求められ、そのしわ寄せは、社会的入院として入院していた高齢者のみならず、医療的に入院が必要な高齢者にまで及び、行き場のない高齢者が病院から追い出されるという事態となっているのです。