バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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近現代日本という暗黒社会Part6 End


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  ★アルゼンチンが国家破産状態となる(2002年4月20日)
  ★ 10年物国債の「未達」発生(2002年9月10日)
     国債利子未払いの先触れを示す屈辱的状況が発生した。

2003年(平成15年):2003年12月26日、イラク出兵
  ★軍靴の足音がきこえる
    2003年12月26日、ついに自衛隊空軍(航空自衛隊ともいう)はイラクへ向け
   て出兵の先陣をきった。こうなる前、先の衆議院議員選挙ではイラク出兵は争
   点からかき消されていた。12月8日「二度と戦争を引き起こさない」という大事
   な日は、言論統制に屈したマスコミがだんまりを決めこんだ。外務省役人が殺
   されたとき弔辞を読んだ戦争首相小泉純一郎氏は得意のパーフォーマンスで絶
   句した。その後は一気呵成に「遺志を継げ」だの「テロに屈してはならない」
   だのと提灯発言、提灯記事があふれた。
    軍靴の足音がきこえる。平和の塔がガラガラと音をたてて崩れてゆく。過去
   に学ばない愚かな権力は再び国民を悽惨な戦火の中に放り込もうとしている。
    「戦争」は国家権力に群がる化物やキチガイどものオモチャである。犠牲者
   は全てその対極に位置(カネなしコネなし力なし)するおとなしい清廉で無辜
   で夢と希望に満ち溢れた若い平民。私たちは決して戦争を仕掛けてはならない
   ことを永遠に肝に銘じておいたはずだったのに・・・。
            ------------------------------------
    誰しも戦争には反対のはずである。だが、戦争は起きる。現に、今も世界の
  あちこちで起こっている。日本もまた戦争という魔物に呑みこまれないともかぎ
  らない。そのときは必ず、戦争を合理化する人間がまず現れる。それが大きな渦
  となったとき、もはや抗す術はなくなってしまう。(辺見じゅん『戦場から届い
  た遺書』文春文庫、p13)

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******************戦争に向かう安倍極右政権の恐怖********************
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2006年(平成18年):第1次安倍政権(H18年9月~H19年9月)
  ★改正教育基本法:教育の目標の一つに「愛国心」(ならずものの最後の逃げ
   場所)を盛り込む。

2012年(平成24年)~:第2次安倍政権(H24年12月~)
  ★「国家安全保障戦略」に「愛国心」を盛り込む。
    愛国心・・国家・・誇りある日本・・栄えある皇紀2600年・・・アホか!!
  ★「積極的平和主義」とは何ぞや:集団的自衛権の確立をめざす。
     日米同盟の再定義:アメリカのポチの完全になること
  ★「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会
     このなかで安倍は「憲法は国家権力を縛るものだという考えはかつて王権
    が絶対権力を持っていた時代の主流的考えだ」という詭弁を発した。
  ★「新ガイドライン」「周辺事態法」「武力攻撃事態法」「国民保護法
  ★「国家機密保護法」

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********打倒安倍政権!! 我々は決して戦前の轍を踏んではならない****
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2.上記歴史的考察から何が分かるか?。
  「属国には真の平和も、国民の幸せも決して訪れない」(安重根
  「非武装の金持ちは貧乏な兵士の餌食」(マキャベリ

  ★個人が国家のあり方を見直すべき時代の到来が望まれる。
  (自分の命の意義と、日本という国家の存在のあり方をあらためて問い直し
   日本国民としての正義を追求する姿勢が必要になる)。

       ■例えば、アメリカに操られた今の日本の「官僚(役人)独裁主義」
        (「一億総オウム体制」)に終止符を打たねばならない時の訪れ。
        (※官僚主義:専制・秘密・煩瑣・形式・画一を重んじる制度)
        (※官僚政治:一群の特権的な役人が権力を握って行う政治)

  ☆国民性・国民意識:一刻も早く民主主義の芽生えを期待する時であるが平和ボケ
            の日本国民には全く分かってないのが実情。しかもこの平和
            ボケは「平和主義」とか「一億総危機管理能力ゼロ」に転化
            して国民の間に蔓延。由々しき事態だ。

   ※戦略研究家リデル・ハートの鋭い洞察(松村劭氏著『日本人は戦争ができる
    か』より孫引き引用)
     「平和主義者に会うと戦争を回避することが絶望的になる思いにさせられ
    る。なぜなら平和主義者の心の中に自分の意見を押し通すためには、暴力闘
    争も厭わないという激しい好戦的要素を発見するからだ。平和主義者が積極
    的に戦争を嫌悪する態度は、無学な人々が学問的に病気を研究せずに、病気
    を嫌うに似ている」(筆者注:”ならず者の屁理屈”というものだろう)
   ※キャプテン・ドレイク(スペイン無敵艦隊アルマダを撃破した英国艦隊艦長)
    の見方
     「英国の国防線は海岸線や領海線にない。英国海峡の真ん中にもない。相手
    側大陸の港の背中にある」(筆者注:”ならず者の口実”)

3.感想-その1:命の重みについて
   「自分の命の重みは、国家や他人から与えられるものではない。自分自身が
  自分の人生の中で生み出すものである」ことを、しっかりと認識する。こうして、
  はじめて自分の命や自分の人生を翻弄し蹂躙する諸々の権力に対する闘争本能が
  芽生え、その結果として本物の民主主義を勝ち取ることが出来る。

   ※女性の役割の重大性について
     命を生み出し、育み、心(魂)を吹き込むのは女性である。正義を教え、
    悪の排除を徹底させることが出来るのも女性である。子供の成長過程にお
    いて母親や祖母など母性の存在は極めて重要である。
     更にはそれらを大きく広い立場から俯瞰しつつ司令塔の役割を果たす父
    性の重要性、そしてそういう父性の存在を子供に認識させるのは女性の役
    割であることも忘れてはならない。

4.(ちょっと、しつこいけれど)決して忘れてはならない事
   「日本のお役人というものは、日露戦争後のお役人というものは、・・・・・
   皆さん、ちゃんとしていらっしゃったのでしょう。しかし、地球や人類、他民族
   や自分の国の民衆を考えるという、その要素を持っていなかった。・・・・・」
   (週間朝日、1997年12月5日号、『司馬遼太郎が語る日本、第74回』より引用)

   ※ 吏僚、という化物は、常人ではない。人外と思っていい。自分の
    処理・処断がどのような迷惑を生じ、時には生活破綻を来すような
    悲劇となっても、一切関知しようとせず、感情を動かすことをしな
    い。彼らから見れば民間の者は無機物に等しく、おのれらが世を統
    べるのは至高の行為と、骨の髄までそう思っている。官と民とは生
    物的に異なると思い、民の求めで官の仕事が曲げられることは、神
    にもとる行為としか考えない。
     ゆえに彼らを人と思ってはいけない。彼らは民からみたら化物で
    ある。(筆者:まさに至言。役人の体質はいつの世も同じ)
               (池宮彰一郎氏著『島津奔る』より引用)

   ※ 原発問題のなかに日本の権力の腐れ体質のすべてがある。

     原発は、言うまでもなく技術的には核兵器と切っても切れない関係
    にある。核兵器保有をめざす大国が、経済的にはまったく見通しのな
    い状況で、潜在的な危険性も大きいこの産業へと国家主導的に大量投
    資をして取り組んだのは、もちろん、核兵器開発に乗り遅れたくない
    という思惑があったからである。従って、原子力問題には、常にそう
    いう国際政治的力学が背景にあり、国家機密の技術である故の機密性、
    閉鎖性もつきまとった。
     そのことにも関連するのだが、原子力のような中央集権型の巨大技
    術を国家や大企業がひとたび保有するならば、核兵器の保有とは別に、
    それ自体がエネルギー市場やエネルギー供給管理のうえで、大きな支
    配力、従って権力を保障する。風力とかバイオマスとか太陽電池など
    の地域分散型のテクノロジーを軽視し、ほとんどの政府がまず原子力
    にとびついた(その段階での商業化の可能性の不確かさは、前述の分
    散型ないし再生型のエネルギーが現在もつ不確かさより、はるかに大
    きかった)のは、この中央集権性ないし支配力にあったと思う。その
    底流には、巨大テクノロジーと民主主義はどこまで相容れるかという、
    現代に普遍的な問題が関係している。(高木仁三郎氏著『市民科学者
    として生きる』岩波新書、pp.216-217より)

   デフレから全く脱却出来ない経済、泥棒国家の腐った政治、アメリカの飼い
  犬・戦争好きの政府、性悪本性むき出しの政治屋さんと官僚(役人)ども、国
  家社会主義的悪民主・悪平等、人権のはきちがえ、年金・医療・福祉等々なに
  もかも他人任せに欲しがる卑しき国民の群れ、大地震の恐怖、原発による日本
  メルトダウンの予感。日本の行く末推して知るべし。

5.福祉ということについて
   福祉を叫ぶ国家は必ず破綻する。福祉は平等を建前とするが故に、規制だらけの
  官僚統制を必要とする。さらに夢多きはずの若年労働者を重税で苦しめる。結局
  稼がない官僚や地方の役人をはびこらせ、稼ぎ手の若者の労働意欲を失わせる。
  これでは国家は衰退するばかりである。
   我々は足るを知らず、むやみに福祉福祉と叫ぶ愚かな浅はかな行動だけは絶対
  慎まなければならない。
       (「国防こそ最高の福祉である」、昭和55年、清水幾太郎

   ●「福祉国家の金融政策は、富の持ち主が身を守る術をもたないことを必要
     とする」(アラン・グリーンスパン

   ※念の為に書くが、筆者は福祉を決して否定するものではない。行き過ぎた
    福祉政策は国民の自立を失わせ、福祉の偏りを招き、福祉財源の確保の為
    という口実のもとに、無理矢理に医療費を削り自己負担を増やす(後述)。
    結局は国民が自らの首を絞める様な結果を招くに違いない。こういう事態
    を筆者は危惧するのである。

6.感想-その2:国家は国民の命をどう扱おうとしているのか?
   現日本での高齢者、病者に対する医療・福祉政策は、まさに南アフリカ共和国
  のやった黒人隔離政策である「アパルトヘイト」を彷彿とさせ、果ては昔ナチス
  ・ドイツのユダヤ人全滅政策である「ホロコースト」の再来を感じさせる。
  つまり「老人・病者・弱者隔離政策」であり「姥捨て山政策」であると言っても
  過言ではないだろう。

   ※解説(平成11年10月時点)
     政府はここ数年来、人口の高齢化によって、医療費がかさみすぎるという
    名目で、社会保険本人の自己負担率を、一挙に平均で2.6倍に増やすと
    いう暴挙に出た。国民保険の場合は、医療の公平性を訴えながら3割負担の
    ままとし、加えて薬剤の自己負担を課すことにより、自己負担が増加した。
     また、老人医療においては一回500円を月に4回まで負担することに
    なった。老人の場合、多くの疾患があるひとが多く、薬剤の自己負担分が
    一挙に増加するのである。ひどいところでは老人夫婦二人暮らしの年金生活
    で7万円のうち5万円を医療費についやし、途方にくれている家庭もあると
    いうのだ。
     高齢化社会が来ることは、十年以上も前から分かり切っていたことであり、
    福祉基盤の一環であるという医療の負担が平成9年9月1日から、一挙に
    こんなに増額されるというのは、一体なんであろうか。医療はいわば公共性
    の高い福祉の分野である。どんな公共料金も一挙にこんなに引き上げられる
    ことは未だ経験がない。高齢化社会が到来することは以前から分かっていた
    ことで、今回の天から降って湧いたような改訂は、ここに至って保険支払の
    財源が現行のまま(つまり政府の負担を引き上げないで)では、破綻する
    ことがわかり、バブル崩壊後の政治の失敗を国民につけまわしするという
    政策であることがよく分かる。
     バブルという現象もその崩壊も金融を制御すべき監督官庁が、本来の責任を
    果たさず、金融業界等の担保もないような物件にどんどん融資をしたという
    異常な事態を放置した結果であり、バブル崩壊後の過剰な不良資産を生む
    原因となっている。
     こうなると経済がたち行かなくなる。ということで、低金利政策をおこない、
    経済活動を活性化させようとする。ところが、この政策は正当のようでも
    あるが、逆に考えれば国民に利息の支払いを減らすことを許容し、不良資産
    にまみれた金融機関の援助策と言われてても致し方のない状況にある。
     加えて、山一証券の「不良債券飛ばし」事件が官僚との間の合意であった
    ことをみるにつけ、国民の為の政治が、医療・福祉の問題として高齢化社会
    に対応した形というよりも、財政上での都合として行われているのであり
    このような形式での改革というものは、医療をゆがめていくという以外に説明
    のしようがないように思えるのである。
     最近盛んに推進される在宅医療も、主旨は大変結構な存在であり、入院医療
    を家に居ながらにして実現しようというものであるという説明がなされている。
     が、その一方で老人の長期入院を抑制することを目論んでおり、入院日数を
    基準として、それが長引くにしたがって治療費(病院・医院に支払われる医療
    費の公費負担)が減少するように仕向けている訳で、受け皿を作らずに、入院
    し難い仕組みを作りあげているのである。
     この批判をかわすようにデイケア、老人保険施設、特別養護老人ホーム
    介護保険法も準備されているが、現状では入院抑制政策、国民負担増加政策、
    公費負担削減政策以外のなにものでもなく、病院・医院に入院した場合の医療
    費の削減が主目的であり、結局のところ国民の福祉・幸福を理想像として作ら
    れたものというよりは、より安価なシステムへの移行であることは明らかだろ
    う。
     社会的入院を是正しなければならないことは確かであるし、我々は適正な
    医療を受ける権利を持っていることも間違いなかろう。しかし、今回導入さ
    れた上記医療保険制度においては、国民はある程度の経済力がなければ適切
    な医療を受けられない様になりつつある。
     しかも経済力があったとしても、我々は高齢になり長期入院を余儀なくされ
    る様な病気に罹った時、病院や医院からは、主として経営的な事情で排除され
    てしまうというシステムの中で行き場を失って行くに違いない。そしてこの
    ことは医療不信の根源を形成するもとにもなっているのである。

   ※参考:我々は以下の事実をぜひ知っておかなければならない。
    イ.高齢化社会の到来は昭和40年には、十分予想出来ていた。その後30年以上
      にわたる政府の無能・無策のツケを国民が命と引き替えに払っている。
    ロ.国民医療費の国民所得に対する割合は約7%で欧米の約10%と比べて低く抑え
      られている。
      (1996(平成8)年度:国民所得に対する割合は7.27%)
      ●国民医療費 :28兆5210億円(1996年度)
            (平均:226600円/国民1人)
      ●財源
       a.保険料   :15兆9931億円(全体の約56.1%)
         一般サラリーマン相手の政府管掌保険は、きっちりと政府の管理下
         にあり、税金の他に国民の負担となっている(後述)。
       b.公費(税金): 9兆1198億円(全体の約32.0%)
       c.自己負担  : 3兆3751億円(全体の約11.8%)
    
     ■一般のサラリーマンは保険料約8.0兆円(半分負担)+3.4兆円の11.4兆円
      を自らの稼ぎのなかで、既に負担しており、税金も考慮すると今では約40
      %以上(=(11.4+α)/28.5)もの自己負担を強制されている。当然のことだ
      が、早晩50%を越えることは言を待たない。
     ■我々は、少子高齢化・医療費急騰・年金財源枯渇などという誇張された
      喧伝に幻惑されることなく、その裏に隠れた膨大な税金の無駄遣いを執拗
      に糾弾して行かなければならない。

   ※もののついでに国民への安全保障について
      我が国特有の「専守防衛」戦略は国土を主戦場に想定しているから、はじ
     めから日本の町が焼かれ、老幼婦女子が殺される事を覚悟している。日本は
     逃げる場所もない。近代都市は破壊に弱い。あなたまかせの「抑止戦略」や
     防御方法のない「専守防衛戦略」など笑止だ。こんな状況では安全保障の為
     の外交は「屈辱的外交」しかない。結局、侵略されたら直ちに降伏するとい
     うのが為政者の本音なのだろうか。「安全保障」はどこに消えたのだ。この
     国は今に至っても国民の財産と命を本気で守る気がなさそうだ。まさに「命
     を蹂躙し翻弄する」という表現がピッタリの「日本という怪しいシステム」
     の本質をここでも垣間見る事ができる。
      第二次世界大戦後、殆ど同じ様な運命を辿って復興したドイツは、早々と
     自衛のための軍隊を充実させた。国防のために想定する戦場を国土の外側に
     移して「防衛戦略」を練っている。この彼我の違いをもたらせた原因と責任
     は一体どこにあるのだろうか。
     
7.『モラトリアム国家 日本の危機』(小此木啓吾氏著)より
   米国の精神分析学者、エリク・H・エリクソンは、青年期を「心理社会的モラト
  リアムの年代」と定義した。「モラトリアム」とは、支払い猶予期間、つまり戦
  争、暴動、天災などの非常事態下で、国家が債務(借り)・債権(貸し)の決算を
  一定期間延長し、猶予し、これによって金融恐慌による信用機関の崩壊を防止する
  措置のことである。
   「心理社会的モラトリアムの年代」とは、その言葉を転用して、青年期は、修業、
  研修中の身の上であるから、一人前のおとなになるまで、青年たちの社会的な責任
  や義務の決済を、社会の側が猶予する年代であるという意味である。

  ★今の日本は一億総無責任の時代を迎えてしまっている。全年齢、社会の全階層に
   わたって「心理社会的モラトリアム」がはびこった結果、全年齢・社会の全階層
   が無責任となり、当然の義務の遂行を怠ってしまった。昨今の高級官僚や政治家
   のていたらくは眼を覆うばかりである。

  ※現代日本人の無責任性、無倫理性の根源(?)
    おおくの国民の血を流してこの敗戦である。天皇は自決するにちがいない。
   そうしたら、私はどうしよう。私は生きてはいられないと思った。私はこれを
   ふかく心にひめて、これからはじっと天皇を見守ってくらすことになった。し
   かし、地方巡幸があっただけで、戦犯の処刑がすんでもなにごともおこらぬ。
   こうして翌年4月10日には、天皇を処刑しろというT君と私はなぐりあいのけん
   かをした。だが、5月3日の新憲法施行にも、なにごともおこらなかった。これ
   まで待った私は、はじめて長夜の眠りからさめたように、天皇の無倫理性をは
   っきりと見た。もはや民族の良心はそこにはない。
                (・・・)
    河合さんはこう云うんですよ。天皇はおいたわしい。軍に牛耳られている。
   杉山〔陸軍参謀総長〕とか東条〔首相〕にだまされているのだ。私(河合)が
   一番心配なのは今度の戦争に負けたら天皇は必ず自殺される。それは見ていら
   れないというわけです。それに僕は感化されたな。ほんとにおいたわしいと思
   っていたなあ。ところが敗戦後見ていたが一向自殺も何もされない。それから
   ですよ、批判的になったのは。天皇は日本国民の無責任の象徴ですね。
          (小熊英二氏著『<民主>と<愛国>』新曜社、pp.118-119)

8.終わりに
    国家権力は国民に対する暴力装置であり、その性格は佞奸邪知。その行動原則
   は国民をして強制的、徹底的に情報・言論・行動・経済の国家統制の完遂を目論
   むことである。従って異論や権力に不都合な論評や様々な活動は抹殺、粛清され
   る。畢竟、国家権力とは、国民を蹂躙・愚弄・篭絡する「嘘と虚飾の体系」にほ
   かならないということになる。残念ながらこの「嘘と虚飾の体系」は戦後も連綿
   と密かにどす黒く国民を覆い尽くしているのである。(鳥越恵治郎)

   地獄への道は善意で敷きつめられている。(レーニン)

   犠牲者になるな。加害者になるな。そして何よりも傍観者になるな。
       (いいだもも氏著『20世紀の社会主義とは何であったか』より引用)

   戦後、多くの人が先の戦争ではだまされたという。みながみな口を揃えてだま
  されたというが、俺がだましたのだという人間はまだ一人もいない。・・・
   実のところ、だましたものとだまされたものとの区別ははっきりとしていた
  わけではない。・・・もし仮に、ごく少数のだました人間がいるとしても、
  だからといって、だまされた側の非常に多数の人間は必ずしも正しいわけでは
  ないし、責任も解消されるわけではない。それどころか、だまされるということ
  事態がすでに一つの悪である。
   だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にある
  のではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、
  信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた
  国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
   それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への
  裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいて
  は国民大衆、すなわち被支配者階級全体に対する不忠である。・・・
           (伊丹万作『戦争責任者の問題』(昭和21年)より抜粋)

   我々は、ヒットラーやその部下、それに多くの若者を無駄死にさせた東条英
  機や大西瀧治郎など軍の上層部が犯した人道に対する大罪を免責することはで
  きない。しかしながら同時に、我々はこうした全体主義的で破壊的な作戦に気
  づかぬうちに加担してしまう我々自身の脆弱さを認識しておく必要がある。戦
  争に加わった学徒兵やその他大勢の人々だけでなく、我々自身もまた、軍事政
  権の操作を見抜けずに、その巧みな操りにいとも簡単に翻弄され得ることを深
  く認識する必要がある。人々を人類史上の大惨事へと引き込み、その政略を誤
  認させ、気づかぬうちにそれを受容させる歴史の力に対して、私たち一人ひと
  りがいかに脆弱であるか、(本書がその理解に少しでも役に立ってくれるよう
  願う。
   本書は、純真な精神と人間性の理想の追求に専念したにもかかわらず、無意
  味な戦争によってその志を諦めざるを得なかった学徒たちの苦渋に満ちた声を
  紹介する。遺された手紙、日記、回想録は、若き学徒の人間性の証であり、彼
  らの声は永遠に葬ることのできない力強さで満ちている。こうした若者たちが
  日本人だからというのではなく人間であるからこそ)、彼らの本当の姿を、人
  間性を剥奪された戯画化されたイメージから救い出し、我々の知識にすえ直す
  必要がある。(大貫美恵子氏著『学徒兵の精神誌』岩波書店、p.52、()は
  話の展開上、筆者が便宜上つけ加えた)

  「・・・米国側で、善良な国民、欺かれた国民というままに、しらじらしく、軍
  閥にだまされていた、今眼が覚めたというとばけた顔や、だからいわないこっち
  ゃないといった上品な顔を並べたところで、誰が信用出来るだろう。何になるの
  だろう。
   己の一番嫌悪し、最も憎むのは、この枯れ葉みたいにへらへらし、火をつけれ
  ばすぐかあっとなる日本帝国臣民という奴だ。この臣民をそのまま人民と名を置
  き換えて、明日の日本に通用させようとするのは、今日最も危険なことだ。それ
  は翼賛議員が看板を塗り替えた位のことでほない。
   このくすぶれた暗黒の大地からは、何度だって芽が出てくる。狂信的な愛国主
  義者、国家主義者、軍国主義者、そいつらの下肥がかかった、この汚れたる土地
  を先ず耕せ。でなければ明日の日本に花開き栄えるものは、単に軍国主義者の変
  種にすぎないであろう」長すぎる引用になった。しかし、中井のこの予言ともい
  うべき指摘は、不思議なくらい当たってしまっているような、そんな想いだけが
  残っている。 (半藤一利氏著『日本国憲法の二〇〇日』プレジデント社より)

   日本にかぎらず、慣習がつよく人間の独創性を拘束している社会は、どの国
  でも田舎でしょう。 (司馬遼太郎氏著『アメリカ素描』より引用)
  (筆者注釈:司馬遼太郎氏は決して田舎を否定しているわけではないのだが・・)

   「ゆたかさ」の過剰も「善意」の過剰もまた、生きものを殺しうる。(中略)
  それは、ほんとうは飛びたかった鳥だった。必要な飢えによって飛ぶ鳥。しかし、
  不必要なゆたかさによっては、どこへも飛べなかった鳥だった。
   (長田弘氏詩文集『記憶のつくりかた』の中の「鳥」より。なおこの文は
                 柳田邦男『この国の失敗の本質』よりの孫引き)

   自分自身の武士道、自分自身の天皇(筆者注:権謀術数、大義名分の道具)を
  あみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人
  のごとくに日本もまた堕ちることが必要だろう。堕ちる道を堕ちきることによっ
  て、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけ
  の愚にもつかない物である。( 坂口安吾堕落論』(昭和21年4月)より)

   「国家」とは、自由をはじめ国民のもつあらゆる天賦の基本生存条件のみなら
  ず、個人の資質そして個人の努力により取得した精神的・肉体的・物質的資産あ
  るいはその潜在能力を強権的に搾取・没収し、もって強固不変の「国家体制」を
  維持することを根源的究極的目的とする「国民に対する暴力装置」にほかならな
  い。日本と言う国はその典型的な一例である(鳥越恵治郎)。

   清水幾太郎:政府が国民を武装解除するのは、国民の信頼を獲得する自信がな
  いからであり、「ぼくの家にも一挺の機関銃くらいあるというのなら、日本の再
  軍備も大いに賛成する。日本の再軍備を力説する政治家にそれだけの度胸がある
  か」。(小熊英二氏著『<民主>と<愛国>』新曜社、p.479)

   誰しも戦争には反対のはずである。だが、戦争は起きる。現に、今も世界のあ
  ちこちで起こっている。日本もまた戦争という魔物に呑みこまれないともかぎら
  ない。そのときは必ず、戦争を合理化する人間がまず現れる。それが大きな渦と
  なったとき、もはや抗す術はなくなってしまう。
            (辺見じゅん『戦場から届いた遺書』文春文庫、p13)

  ★ドル本位制・アメリカ国債本位制(アメリカ金融帝国主義の本質)について
    アメリカが、IMFや世界銀行のような機関を通じて世界経済からうまい汁を
   吸う方式をあみだしたのは、まさに世界の支配権を握り、自国の経済的自主性
   を最大にしようという野望(いかに"国家安全保障"もしくはもっと拡張主義的
   な何かを表現すると見られていようが)にほかならない。軍事的に誘発された
   国際収支赤字のせいでアメリカは、世界にドルをあふれさせ、他国の生産物を
   呑みこんで、国内消費レベルを上昇させ、外国の資産の所有権を増やした。そ
   れらの資産には、民営化された公共事業、石油や鉱山、公的施設、主要企業を
   始めとする外国経済の重要拠点が含まれている。これはまたしても伝統的な帝
   国主義観の正反対だ。伝統的な見方では、帝国主義経済は国内の余剰を外国で
   処理しょうとするものだからである。
    今日のドル本位制を理解する鍵は、それが、金地金の形をした資産に基づく
   のではなく、アメリカ財務省発行債券に基づく債務本位制となっているのを見
   て取ることにある。第三世界の国々やその他の債務国には債権者優位ルールを
   適用する一方、アメリカに関してはダブル・スタンダードを追求するIMFは、
   世界の主な債務国アメリカが、とリわけ政府間債務という形で計上した赤字を
   マネー化するための規則を作り上げた。世界銀行も、特に食糧生産の領域で自
   給よりも依存の方に資金を供給しながら、外国の公的部門の民営化を要求する
   ことで、ダブル・スタンダードへと走っている。アメリカ政府がヨーロッパや
   東アジアの中央銀行に対して赤字を計上しつづける間に、アメリカの投資家は
   債務国の民営化された公的企業を買収する。ワシントン・コンセンサスは、そ
   れらの哀れな国々に緊縮財政を押しつけながら、アメリカ国内では、深まるば
   かりの貿易赤字に縛られない金融媛和ー-まさに不動産と株式バブルだーーを
   奨励しているのだ。
    21世紀の初頭、新たな種類の集中的世界計画が登場してきた。第二次大戦後
   に予測されたような諸国政府によるものではなく、主としてアメリカ政府の手
   になる計画だ。その中心と支配メカニズムは産業ではなく金融にある。第二次
   大戦末期に構想された国際貿易機構(ITO)とは異なり、現在の世界貿易機構
   (WTO)は、世界の労働生産を高めるのではなく、他国が貿易で得た利益をア
   メリカに移転するという方法により、金融資産投資家の利益を推進しているの
   である。(マイケル・ハドソン『超帝国主義国家アメリカの内幕』広津倫子訳、
   徳間書店、pp66-67)

9.あとがき(私物国家日本の縮図と明日への希望)
 <21世紀初頭の日本社会>
 「死」と「暴力」のリアリティを失認した人間どもがうごめいている。テレビゲーム、
携帯メール、インターネットへののめり込みなど様々な生活様式や遊び方の変化
とともに人間関係は希薄になり陰湿ないじめを生み出している。若者のひきこもりは
100万人を越えようとしている。フェミニズム(男女同権主義)の嵐は男女共同参画
社会を叫び、保育と介護の社会化を強要して家族崩壊・家庭崩壊の元凶となっている。
 ヒューマニズム(人権尊重主義、博愛主義、人道主義)は一方的な人権尊重の傾向
を持っており、学校や社会の病理(いじめ・盗み・暴力・殺人など)を助長している。
学校崩壊・学級崩壊はその一例である。自由放任のもと我がまま放題に育ち勤勉・努
力・辛抱・我慢を忘れた父母が平気で子どもを虐待し殺す。保険金目当ての殺人など
金のためならどんなこともいとわない。被害者の心情など全く思いやることができな
い。これら人外のばけものの爆発的な増加も過度のヒューマニズムの弊害だろう。そ
して心地よくひびくいやしき社会主義、結果平等主義は競争力を失わせて活気のない
社会をつくりだしている。

 <一億総無責任国家>
 現代のお粗末な民主政治の下では、政治家は選挙に有利になるように予算を奪いあ
っている。官僚は出世を考え権限を拡大している。人々は他人の負担でより多くの利
益を得ようとばかり考えている。そして財政はばらまきになり肥大化し行政組織は無
限に自己増殖している。その結果700兆円を越える負債にあえぐデフレ経済は銀行の不
良債券処理を加速し、貸ししぶり・貸しはがしを招き、自殺者をあふれさせ、その数
は毎年3万人を優に越えている。各種優良、巨大企業のうそやごまかしに満ちた体質が
次々と明らかになった。監督官庁のなれ合い手抜き監査もあらわになった。それぞれ
の最高責任者の誰も責任を取っていない。恐ろしく歪みきった体質のようだ。
 さらには使途不明が当然というばかりに画策された内閣官房機密費外務省機密費
も暴かれた。機密費名目の出鱈目予算は全省庁にあることだろう。嗚呼、国民の血税
が無責任とデタラメで闇から闇へ消滅してゆく。警察のやらせ操作、遊興・接待の裏
金つくりも、とうとう暴露された。平成14年4月にはあろうことか検察庁までが裏金作
りに奔走していたことが露呈した。これら裏金(税金)の全てが幹部の遊興費に消え
たと言う。しかも検察庁は、この良心と正義の勇士(元大阪高検公安部長・三井環氏)
を、組織をあげて、口封じのために罪をデッチあげて逮捕したのだ。おまけに謀略者
たちは責任をとらないばかりか全て昇進を果たしているという。国家の正義を守るべ
き検察がこの為体(ていたらく)、言語道断だ。かくのごとくに、今日の一億総無責
任国家の根源が日本の(一体化して区別がつかなくなってしまっている)政治と行政
の腐敗・堕落にあることは間違いない。

 <日本というシステム(国家体制)の本質>
 権力階級としての政官財の強い結びつきは資本主義と社会主義を極めて巧妙に組み
合わせ、しかも情報統制(非公開、隠匿、操作)をもって国民を飼いならしている。
いまや日本は政治献金の総もとじめの圧力経済団体と、発想が貧困でわいろに弱く強
権的で政治と行政を私物化した独裁官僚と、官僚のこまづかいに成り下がった自民党
族議員が拝金主義をもって暗躍する虚業ギャンブル国家となってしまっている。その
うえに表面上の豊かさに惑わされた人々は危ういあなたまかせの平和のなかで怠慢に
なり、より深くより広く考えることをやめてしまっている。既得権益にしがみつく寄
生虫のごとき独裁官僚と金集めに狂った政治家の絶妙なコンビは地方交付税補助金
各種措置制度、助成金公共事業などをエサにして地方自治を強力に制御している。
彼らに強力なコネを持った悪がしこく目ざとい財界がいち早くこれらにタカる。彼ら
はまた特殊法人公益法人とそれにぶら下がる多くの天下り法人を従えている。これ
により民間会社の参入は強力にブロックされ、民間活力の活性化を完全に抑制している。
これが日本独特の中央集権型・巨大ピラミッド型の「一億総『潜在能力』搾取・
没収システム」なのだ。この日本のかなしくおぞましいシステムは、各種法律の制定
・改定をもって増殖し徐々にすき間なく全国民の間に張りめぐらされ続けてきた。そ
して今では人々の将来の夢と希望を完全に奪い去ってしまっている。2003年3月21日
戦争をもってしか国家を支えることができない野蛮な国アメリカはついにイラクとの
戦争を始めた。憲法上戦略軍隊を持てない日本は日米安保条約(日米軍事同盟)のも
と属国として、あるいは自主判断の許されない飼い犬”ポチ”としてアメリカの言い
なりでしか動けない。戦費などの無駄ゼニは、おそらく3兆円以上の巨額をぶんどら
れることであろう。何という為体(ていたらく)だ。作家の村上龍氏はその著書『希
望の国のエクソダス』のなかで、「この国には何でもあります。だが希望だけがない」
と書いた。だが私にはそれ以上に「リアリティも夢も希望もない」としか思えない。

 <誠実な国、新しい日本の誕生への大いなる期待>
 昭和43年私が井原高校を卒業する時、既に幻想でしかなかったかもしれないが、日
本には形を成した家庭があり学校があった。ヒューマニズムフェミニズムも適度だ
った。いじめはあったがかわいいものだった。みんなに機会平等を保障してくれた寛
容で優しい社会があり国家があった。世界に誇る工業技術があった。貧しくて不自由
ではあったが実在し躍動する生命感も夢も希望もふんだんにあった。
 行政官はnoblesse oblige(高い身分に伴う道徳上の義務)を気高くもっており清廉
だった。検察は汚職に薄汚れた政治家の圧力に屈することなく容赦なく巨悪に迫った。
 2003年(平成15年)に井原高校は創立100周年を迎えるという。私はこの拙稿で、あ
る一面的な見方でしかないだろうが、限られた文字数の中に現在の日本の有様につい
て、できるだけ多くのことを簡潔に詰め込んで記述してみたかった。そのことは同時
に私にとっての35年のへだたりを「現実・夢・希望」をキーワードに書くことにもな
った。書き終えて私の心は憂うつになってしまった。私はこの心のくもりが晴れ上が
る日を身をこがすような想いで心待ちにしている。井原高校の卒業生の皆様に、そし
てこれから卒業しようとする若ものたちに、新しい日本の礎となって欲しいと切実に
願っている。
平成15年5月16日改定 鳥越恵治郎(H26年4月17日一部改定)