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バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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日本と中国の刑法比較


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12008年度法哲学特別演習2008.11.14 担当者:松田・冨士・辻日日本本のの刑刑罰罰はは重重いいかか軽軽いいかか第1節 犯罪とは何か (P.13~33)I.「犯罪」としての銃の所持と「権利」としての銃の所持 中国:中国刑法典により、三年以下の有期懲役もしくは拘役刑または管制刑、情状が重いときには、三年以上七年以下の有期懲役に処することができる。 米国:アメリカ合衆国憲法憲法修正第二条が、米国民に銃の所持を憲法上の権利として認めたものであると一般的には解釈されているため、市民個人が銃を所持、携帯することが、犯罪とされないばかりか、憲法以外の法律で保障されている権利よりも高い次元にある憲法上の権利であると、裁判所の見解を含め、広く認識されている。日本:鉄砲刀剣類所持等取締法(通称、銃刀法)により、違法に銃を所持したことで、一年以上十年以下の有期懲役に処することができる。以上のように、同じ銃の所持であっても、国家により、犯罪とされ、憲法上の権利とされるという、大きな違いがある。II.「犯罪になる」不倫と「犯罪にならない」不倫 現代の日本・米国では、不倫だけで犯罪として糾弾されることがほとんどないのは勿論だが、中国でさえ、最近は不倫が大ブームになっており、不倫をすることが本当の富裕層の一員、上流社会の一員である証とさえ意識されている。 しかし、数十年ないし百年ほど前では、配偶者のいる者の不倫は姦通であり、ただ倫理・道徳に反するという軽いものではなく、姦通罪として罪に問われ、死刑もありえた。 このように同じ姦通でも、時代により、犯罪とされ、厳しい刑罰を科すときと、刑事法上違法でないばかりか、ブームにすらなるという大きな違いがある。III.「行為と反応の統一体」としての犯罪 犯罪と言うと、まずある種の行為を考えがちであるが、犯罪というものは、「人間の行った行為」と「行為に対する社会や国家の反応」から成り立っている。行為があっても、それを犯罪とする社会や国家の反応がなければ、犯罪としては成立しない。犯罪は、あくまでも行為と反応の統一体である。この反応が、空間(国や社会)と時間(時代や時期)により大きく変わる。 人類社会の文明化の歴史は、犯罪に対する反応の文明化の歴史でもある。この文明化には、「犯罪規定における重き(何に重きをおくか)」と、「国家が犯罪規定をなるべく少なくし、必要悪である刑罰
3成されていた。その一つが刑罰である。○ 水から生まれた刑罰 中国の歴史上、刑罰を表す文字として最初に登場したのは「刑」という文字であり、それは遠い昔に水との関わりにおいて発明された。<刑という文字の形成の話>原始の人々...水の周りに集まって生活しなければならない 川...流れ不安定、予測しない氾濫 → 川の近くに住むのは安全ではない「井(井戸)」を掘る技術を身につけた人類...川より井のほうに集まり、その周りに住む沢山の人が井から水を組むこのような事態を避けるため為政者は、役人に大きな刀を持たせて井の傍らに立たせ、水汲みの秩序維持にあたらせた 番人...水を汲む順序やその規則を守らない者を刀で斬って罰することを担当 このことを表すために、作られたのが「刑」という文字であるII. 刑罰と家罰との相違刑罰は次のような条件または要素を備えた罰であり、父親が門限を破った娘を翌日から外出させないような家罰とは、本質的に異なる。○ 刑罰は「公」の名義による罰である 為政者である公の責任者は、公の人間(役人)に、刀という刑罰の道具を持たせ、井の傍らに立たせて、水汲みの順序を守らない者を斬った。このように、刑罰はまず公の名義、特に国家ができてからは国という最大単位の公の名義による罰でなければならない。○ 刑罰は最も重い罰である 水汲みの秩序を破った者を「刀で斬る」という公による刑罰は、体の一部を斬って障害を負わせることもあれば、首を斬って命を奪うときもある。言ってみれば、刑罰は、人の命そのものを斬ることを含む罰である。国家は、公の名義で民衆個人に対して多くの統治・管理・介入をしているが、そのなかで最も重いものは刑罰である。○ 最も重い罰であるため、最も厳しい手続が必要・ 遠い昔の時代...刑事責任・民事責任・行政責任・政治責任というような区別・概念はない誰が先に汲むか、水か足りないときに誰に汲ませるかなどをめぐる争いがよく起こり、喧嘩のうちに多くの人が井に落ち、井が使えなくなることがあった
4→最も重いという刑罰の性質も顕在しなかった・ 近代社会...刑事責任・民事責任・行政責任・政治責任という区分・概念ができる→最も重いという刑罰の性質がより意識されるようになる ⇒最も重い刑罰を科すためには最も厳しい手続が必要であり、最も厳しい手続を通じてこそ、最も重い刑罰が正当化されるという認識が、民主主義国家を中心に一般化された。そのため、罪刑法定・無罪推定・適正手続(Due Process)などが、憲法上の基本原則として確立した。罪刑法定とは、「法律がなければ刑罰はない。法律がなければ犯罪はない」ということ。つまり、国家が人を有罪と認定し刑罰を科すためには、どのようなことを行えば犯罪となるか、ある犯罪に対してどんな刑罰を科すかを、事前に法律をもって示すことが必要であるという原則である。無罪推定とは、「何人も裁判所により有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」ということである。適正手続とは、誰しも法の適正な手続によらなければ生命・自由または財産を奪われることはないという原則である。○ 刑事での無罪と民事での有責の矛盾同じ事件で同じ被告人(民事では被告)なのに、刑事裁判と民事裁判で違う結果が出て、刑事裁判では無罪判決であるのに民事裁判では有責と認定され、刑事裁判の有罪判決に相当する損害賠償判決が言い渡されるケースがある。・世間からの疑問・批判:同じ事件なのに、あまりにも違う判決でおかしいのではないか・筆者:法的に見れば、このように違う判決が出てくることは、むしろ正常なこと <民事裁判>・ 裁判で決定するのは金銭的損害賠償のような軽いものにすぎず、それに対する手続上の要求も軽くてよい。・ 原告が被告に損害賠償を請求するために、証拠を出して、不法行為があったことを少しでも優勢(喩えで言えば51%ぐらい)証明できれば、被告は有責として認定され、損害賠償を命じられる。つまり、原告は50%強さえ証明できれば、証明責任は被告に移り、被告はそれを越えるような反論ができなければ有責になる。<刑事裁判>・ 無罪推定を貫く必要があるので、被告人を有罪にするためには、0%から出発して120%まで証明できなければ、有罪と認定することができない。・ 被告人側には無罪であるという反論をする権利こそあるが、義務は一切ない。無罪であることを何も証明しなくても、民事のように自動的に有罪にはならない。 ⇒このように、裁判結果が刑罰なのか、それとも金銭的損害賠償なのかにより、刑事裁判と民事裁判とは、証明の責務や証明されるべき事柄の性質、証明の程度などの手続面において完全に異なる。ゆえに、同じ事件でも違う結果が出るのはあり得ることで、当たり前のことでもある。
5III.刑罰が持つ二つの秩序維持機能国家が命までを奪うことのできる最も重い刑罰を、過去から今日まで使い続けている最大の理由は、次に述べる二つの機能にある。・ 秩序を回復する機能 人間の集まりである社会には、どうしても犯罪や紛争や衝突が起こる。それらの解決を全て私人に任せると、私刑や復讐が頻繁となり、公としての社会や国家が成り立たない。それを防止するために国家は刑罰を設け、自らの手で秩序を回復しようとする。・ 秩序を維持する機能 国家が私刑や復讐を禁止しても、罪を犯した者または紛争や衝突を引き起こした者を懲罰せずに放置していれば、公としての社会や国家は機能しない。そのために国家は刑罰を設け、被害者の代わりに加害者を懲罰することを通じて秩序の破壊を許さない姿勢を示そうとする。IV.刑罰の執行とその費用負担 かつての中国で文化革命中、死刑を言い渡された犯罪者の家族に対して、死刑執行に使われた銃弾の費用を請求するというひどいやり方が、一部の地方でしばらく実行されていた。刑罰の執行費を、本人やその家族に払わせるというやり方は、日本も含めて多くの国の歴史にあり、現在、人権の国として自画自賛している米国で一番よく制度化され、徹底的に実行されている。特に、80年代以後の米国では、いわゆる新自由主義的思潮が氾濫した。この新自由主義は、米国をはじめとする多くの国の犯罪と刑罰領域にも入り込んでしまい、それを目指した行刑(自由刑を執行すること)が広がっている。 新自由主義論者の主張犯罪者は既に社会に迷惑(非効率)をかけた人間だから、その刑罰の執行は、執行費用の負担という更なる迷惑を再び社会にかけさせてはならず、費用は犯罪者の自己責任で賄うべき今日の米国では、刑罰の金銭化という現象が普遍的になっている。たとえば・・・・ 罰金刑が極めて多用されている・ 行刑関係者などの人員が受刑者の行動を監視したり保護したりすることを内容とする保護観察などの場合、その受刑者に自分の保護観察に従事している人員の人件費を払わせる・ 刑務所に拘禁された受刑者が労働して給料をもらえば、それを刑務所での宿泊代・衣服代・食事代に充てさせる新自由主義的思潮は近年の日本でも広がりを見せている。Ex)何人かの経済学者が、数年前から、「犯罪者は裁判や刑罰の費用を払え」「民営の警察や検察、裁判所や刑務所を作れ」などの主張を展開している。第3節(P.61~93) 比較の視点の必要性
6I グローバル化の進行グローバル化とは自由競争と効率至上を最大の原理、原則とする米国型の市場経済の全世界化を意味している。もちろん経済だけにとどまらない。犯罪刑罰の問題に関しては以下の二つの新しい局面が既に表れている。ひとつは経済のグローバル化が法律のグローバル化を引き起こし犯罪への対処もグローバル化されていることである。共通の市場原理、原則を確立するために法の整備、創生が行われる。最初は経済的、財産的事柄に関する法領域に集中するが、やがてその他の法領域にも拡大していく。例えばEUは既にメンバーである国に対して、また新たに加盟しようとする国に対しても人権保障や死刑廃止、受刑者の処遇などの非経済的で非財産的法領域における統一した法律基準の統一を強く求めている。死刑を廃止せずにEUに加盟しようとしても認められないのである。日本はEUのメンバーでもなく加盟しようともしていないから関わりのないことかと思われるかもしれないが、日本はEUのオブザーバーとして関わりを持っているので、毎年EUから死刑廃止や受刑者処遇の改善を警告されている。このように犯罪にどのように対処しどのような刑罰を科すかはもはや一国の問題ではなくなっているのである。もうひとつは犯罪行為自体もグローバル化していることである。以前は限られた人しか外国に行くことはできず犯罪も国内でしか行えなかったが、現在は誰でも外国にいけるようになり犯罪も多国間で行われている。以上の事から自国の法律だけでなく他国の法律を比較、参考にしながら犯罪刑罰の問題に対処する必要が生じてきているのである。II 横的比較と縦的比較異なった法律を比較する際の方法として、横的比較と縦的比較がある。横的比較とは異なる社会にある同一事項の内容自体上の相違を明らかにするような比較の事を言う。縦的比較とはそれぞれの法律とそれぞれの社会との関連についての比較を言う。この横的比較と縦的比較を一体化することが必要である。どちらか一方だけで比較し、法律を取り入れるとすると多くの問題を生じさせる。III 二極的比較と三極的比較横的比較か縦的比較かという方法の他に、二国間で比較するかそれとも三国間又はそれ以上の複数国間で比較するかということがある。二国間での比較は、比較の基本であり大変重要なことであるが三国間での比較は、比較対象間の相違がより深く多く見え、改革などをするにあたり非常に多くの参考要素を得ることができる。第4節 日本の刑罰は重いのか(P.94~126)I. パンダ一匹殺しの死刑と人間三人殺しの死刑
7・中国における犯罪と死刑 現在の中国には、死刑を適用できる犯罪の種類または罪名が計六十九個もあり、現行刑法典の各則に分布している。各則には十の章があり、一つの章は一つの犯罪類型として、その下にさらに具体的罪名を定めている。中国の死刑は経済や金銭といった物質的なことと緊密に関わっており、人命と関係のない経済や金銭に絡んだものでも死刑を言い渡される。また、死刑罪名が行為の暴力性(人間の死傷を引き起こし得るか)に関係するかをみると、行為の暴力性と関係のない死刑罪名がかなり多い。中国では毎年沢山の死刑判決が言い渡され、数多くの死刑執行を行っており、死刑判決も死刑執行も世界で最も多く、約八割を占めているとも言われている。中国での死刑判決及び死刑執行は、大体、①故意殺人罪・故意傷害罪・強盗罪・強姦罪・放火罪・爆発罪などの中国で凶悪犯罪と呼ばれる犯罪 ②麻薬関係の犯罪 ③密輸罪や金融詐欺罪などのような経済犯罪 ④収賄罪や業務上横領罪のような公務員犯罪 の四種類に集中している。・米国における犯罪と死刑 米国では、連邦法が死刑を設けている他、五十州のうち、三十七の州の州法が死刑を存続させており、現役軍人を対象とする統一軍事法も死刑を認めている。この三つの法を合わせると、現在の米国では、死刑罪名は約八十八個もある。 米国における死刑罪名はその八割が、殺人という行為の性格、または被害者の死亡という客観的結果をその前提あるいは構成要件としている。 最近の米国では死刑判決も死刑執行も減少する傾向にある。米国の死刑判決も死刑執行も、故意殺人・強盗殺人・強姦殺人・麻薬に絡んだ殺人などの殺人罪に集中しており、逆に、人の死亡を引き起こしていなければ、死刑判決を言い渡されることはほぼないし、またできない。・日本における犯罪と死刑 現在の日本では、刑法典上に十二、刑法典以外の特別刑法に六つで、十八の死刑罪名が設けられている。 日本における死刑罪名の特徴は、死刑罪名の数が相対的に少ないことと、その「重き」を均等に分布させているということである。この少なさは相対的意味でのものであり、罪名の射程などから見れば、日本刑法上の罪名は、中国刑法や米国刑法のそれと比べ、いわば「大」罪名で、複数の行為に対し、なるべく一つの罪名のもとに納めている。 日本においては、死刑判決の件数も死刑執行の人数も増える傾向にあるように見える。言い渡された死刑判決のほぼ全てが故意殺人・強盗殺人・誘拐殺人などの殺人罪に集中している。また、日本の裁判所は、1960年代から90年代までは、「三人まで殺さなければ死刑は適用されないのが死刑量刑の相場である」と言われるほど、死刑を極めて厳しい基準で慎重に適用していたが、2000年以降、その基準を大幅に緩め、二人ないしは一人を殺したとしても、殺害の手段が残忍であることや犯罪歴、改善不可能であること、被害者の感情を考慮すべきであることなどの理由で、死刑を言い渡し得るようになりつつある。
8II. 背任だけでの終身刑と執行猶予だけの背任 中国:会社経営に絡んだ背任(本書では広い意味での「背任」)などの犯罪に対して、死刑を含む厳しい刑罰で対処している。 米国:終身刑を含む厳しい罰で臨む。日本:基本的に執行猶予付きなどの軽い刑罰で対処している。III.「薬物犯罪で命落とし」と「普通の刑で済む薬物犯罪」 中国:アヘン戦争の苦い経験があったため、麻薬の密輸・製造・運搬などを単なる犯罪活動としてだけではなく、中華民族を滅ぼしかねない重大な行為として認識しているため、薬物犯罪に特に厳しい姿勢をとっている。麻薬を密輸・販売・運搬・製造した者に対しては、その量の多少を問わず、一律に刑事責任を追及し、刑罰を科し、場合によっては死刑を適用できる。毎月、中国のどこかで必ず何人かの薬物犯罪者が死刑を執行されているほどである。 米国:薬物犯罪大国であるが、薬物犯罪とその刑罰に関する法律規定は極めて錯綜し、複雑で、他国のそれと確実に比較することはかなり難しい。というのは、薬物犯罪に関して、元より連邦と州が別々に法律を定めているのみならず、連邦議会と各州議会が、情勢に応じて多くの法律を作り、そのような法律のほとんどが薬物犯罪をより厳しく懲罰しているからである。薬物犯罪に対する米国での刑罰は、死刑を大量に行う中国ほど厳しくはないが、日本と比べるとかなり厳しいといえる。日本:麻薬の所持・密輸などの行為は犯罪とされている。しかし、その刑罰や裁判所の量刑は、中国よりはるかに軽い。IV. 早さ志向の刑事裁判と事件を忘れ去るころに出る判決 中国:刑事訴訟法は刑事手続きの期間に関する規定により、被疑者・被告人が身柄を拘束されている場合、例外を除いて、刑事事件は長くても五ヶ月以内で判決が確定されるのである。しかもその五ヶ月の時間は、「遅くともその期間内で事件を完了されなければならない」ことだけを意味し、いわば刑事手続きの最長期間を示したものである。よって中国では、五ヶ月以内の上限を守っていれば、刑事事件がどんなに早く処理されてもよく、一ヶ月以内でも一時間以内でも理論的には違法ではない。このように、中国の刑事裁判が志向していることの一つは、事件処理と事件解決の早さである。しかし、死刑執行後に冤罪であったことが分かったという事例もあり、刑事手続きを速く進める必要があることが、中国における冤罪の原因の一つだったのである。 米国:早さ志向の中国の刑事裁判と似て、連邦法も州法も刑事裁判の期間についての規定を設けている。しかし、米国では、刑事事件に対して時間的制限を加えるのは、合衆国憲法上の「あらゆる刑事訴追において被告人は迅速で公開な裁判を受ける権利がある」との定めにより、国民の権利を保障するという視点からの期間制限である。米国は、被告人側と公訴の検察側は司法取引を行うことが可能であるし、実際、約九割の刑事事件がこの司法取引で処理されている。よ
12えに、外見的には、規律が厳しく守られているように見えるが、実質的に見れば、刑務所としての秩序はあまり作り上げられていない。 <人権と自由を叫ぶ米国の受刑者> 複数の側面を持つ行刑 ・正義的行刑...「刑罰は言い渡された通りに執行されるべきであり、不定期刑や仮釈放などによる減刑は容易に認めない」 ・人権的行刑...「受刑者は刑務所内であれば、人権の主体として認めて、ある程度の権利も自由も認める」 ・自己責任的行刑...「改善するかどうかは受刑者本人の自己決定に任せる」 ・効率的行刑...「社会に害をもたらした犯罪者には更なる害をもたらせない」という行刑予算の削減・縮小、行刑費用の自己負担を内容とする ・効果的行刑...「改善・社会復帰」よりも「応報と社会防衛」を確実にするこのように、今の米国の行刑複数の側面を持つ。受刑者は大声で笑ったり互いに話しかけたりするし、特に看守との間では、人権や自由を口にして、待遇をめぐってやり取りする。これが米国の刑務所の日常風景である。<画一化する日本の受刑者>日本の行刑の特徴:「改善更生の目標」「文化教化の重視」「秩序管理の至上」「刑務作業の中心」 日本の行刑:一貫して受刑者の改善・更生が目標 それを実現させるために日本的人間関係観や文化的価値観を受刑者に再認識させ、再取得させることを重視 そのような再認識・再取得を実現するための方法・手段として厳しい秩序管理をしいてその遵守や適応を至上とする厳しい秩序管理への遵守と適応を育成するため中心的場所やプロセスを、刑務所での基本活動である刑務作業に置く このような日本の行刑は、一方では、刑務所側が受刑者側に対して多大な責任を負っているが、他方では受刑者側が刑務所側によって集中的に統制され、一挙一動が厳しく管理されている。その結果、日本の刑務所は他国であまり見られないほど高度な秩序と管理が保たれている。それに伴い、受刑者も想像を超えるほど同じ姿勢をとったり、同じ表情を見せたりする。IV. 社会(民間・世間)における刑事手続の捉え方、刑事手続の社会にとっての意義・ 中国...被疑者・被告人にとって緩やかで軽い・ 米国...被疑者・被告人にとって緩やかで軽い場合と過酷で重い場合がある・ 日本...被害者・被告人にとって過酷で重い
13<中国>いくら被疑者・被告人として逮捕、起訴されて、裁判にかけられていると言っても、それはあくまでも警察などの公の国家機関との間の出来事にすぎず、民間は民間であって、いつも通りの付き合いをするし、被疑者・被告人が関わっている刑事手続に対して必ずしも同調しようとはしない。<米国>米国社会は、犯罪と刑罰、その刑事手続に対して、他人事と我が事(自分に関連する事)を峻別して異なる対応をとる。多くの刑事事件は、米国社会に他人事として意識され、被疑者・被告人と警察・検察の間の「法律的事柄」(闘い)としてのみ扱われる。これに対し、自らの利益に直結するような刑事事件であれば、すぐに我が事として意識され、被告人と警察・検察間の法律的事柄以上に、被疑者・被告人と自分・周りの「社会的または経済利益的事柄」(闘い)として扱う。<日本>事情聴取を受けただけで、民間から犯人視されたりすることがある。結論 上記のいずれから見ても、日本での刑罰は決して軽いとは言えない。第6節(P.169~189) I 狭くて深い中国の刑罰中国における犯罪や刑罰のパターンは「狭くて深い」という言葉で表すことができる。つまり中国では大きな行為だけが犯罪とされ、犯罪の範囲・射程はきわめて狭いが一旦犯罪とされたらその刑罰は極めて重いのである。例えば窃盗罪の場合、500人民元ないし1000人民元以上を盗まないと犯罪とはされないが、金融機関に入って巨額の金銭を盗んだ場合には死刑まで言い渡すことができる。逮捕はよほどの場合しか行われないが、いったん逮捕されたら保釈などは殆ど認められず逮捕の効果はそのまま判決が確定されるまで及んでいく。II 二分化する米国の犯罪と刑罰米国での犯罪と刑罰は区別され違う対応がとられている。まず、軽罪と重罪との分類がある。軽罪とは国会や州議会の立法で犯罪とされる行為で、通常一年以下の拘禁を科せられるような犯罪であるのに対し、重罪は主に判例などで犯罪とされる行為で、通常一年以上の拘禁を科せられるような犯罪である。次に、法廷犯罪または非道徳的犯罪と、自然犯罪又は道徳犯罪との分類がある。古くから判例によって犯罪とされている忙殺、故意殺人、強盗、非自然的行為、強盗、窃盗、放火、不法目的侵入、重傷害が、自然犯罪又は道徳的犯罪とされるのに対し、前述した九つの犯罪と反逆罪以外の犯罪の全てが、法廷犯罪、非道徳的犯罪とされている。軽罪、法廷犯罪または非道徳犯罪の場合は、犯罪とされる行為の範囲、射程が広いという特徴があり、犯罪と刑罰の両方から見ると広くて重いのである。これに対して重罪、自然犯罪又は道徳的犯罪の場合は、
14犯罪とされる好意の範囲、射程が狭いと言う特徴があり、犯罪と刑罰の両方から見ると、狭くて軽いのである。III 広くて浅い日本の犯罪と刑罰日本の刑法典は総則において、犯罪そのものについての一般定義を設けていない代わりに、犯罪として刑罰を科すための一般要件を列挙して定めている。これは犯罪として刑罰を科すことのできる行為の枠組みは示されているものの、その中に入る行為を更に特定することは出来ない。つまり程度や金額についての定めはない。日本の刑法典総則には量的規定がないので、それを前提とする刑法典核即及びそのほかの特別刑法、条例や罰則も、量的要件を考慮に入れて個々の具体的罪名を定めることが論理的に不可能である。このように日本の刑法は、刑罰を科すための要件又は構成要件という外見的で形式的指標・尺度だけをもって犯罪かどうかを確定しようとしている、そこでは構成要件が至上視されるもののそれ以外の制限要素、たとえば量についての考慮は成り立つ余地が一切ない。その結果、犯罪そのものについての指標・尺度は大変明白であるかもしれないが、犯罪の射程・範囲はいかなる制限もなく常に極めて広いものとなっている。犯罪画質的概念だけである日本の刑事実体法上の規定は、日本の刑事手続法上にも強く反映されている。刑事手続きの発動、特に逮捕などの身柄拘束にあたっては金額や程度の考慮はあまりなく、ささやかな犯罪に対して用意に刑事手続きを発動することも、逮捕などの身柄拘束を行うことも出来る。今の日本では逮捕などの刑事手続きの容易な発動に伴い、ひとつの大きな問題が起きているように思われる。それは被疑者の犯した罪そのものが微罪で、刑罰も執行猶予付き、小額の罰金のような極めて軽いものであるにも関わらず逮捕などが容易に発動されることにより、被疑者が実際に受ける法的制裁と社会的制裁はかなり大きいものとなることである。付随的手段にすぎない刑事手続き上の処分のほうが刑罰を超える、より重い効果をもたらし大きな問題が生じている。日本では違法行為を直ぐに犯罪とし、犯罪の範囲・射程は極めて広いが、それを根拠に日本の法律が犯罪に対して極めて厳しいとは言えない。具体的に言えば、各種の犯罪(特に重大犯罪)にたいして設けられている法定刑は極端に重い場合は少なく、しかも重大犯罪で有罪を宣告された被告人に対して言い渡される宣告刑も慎重で、極端に重くなる場合は少ない。もし犯罪を「超厳重」「厳重」「軽微」に分け、その犯罪の軽重から法定刑又は宣告刑を「超重い」「重い」「軽い」に分類することができるとするならば、日本の刑事法における犯罪と刑罰の関係は「超厳重」犯罪と「厳重」犯罪に対する刑罰は「軽い」のに対して、「軽微」犯罪に対する刑罰が「重い」のである。第7節 犯罪と刑罰の国による違いはどこから来たのか(P.190~215)I. 相違をもたらす終局的なもの 犯罪と刑罰とは社会現象である。この社会現象を解明するための最終概念として、著者は社会特質論を提唱している。この社会特質論を支える基本概念として社会体制と社会特質を挙げている。社会
15体制とは、ある社会の基本制度として、そこでの社会現象、個々人の行動や生活を最も多く規定するような外在的、制度的な仕組みである。また社会特質とは、当該社会の原点として、社会関係の形成や社会秩序の創出にあたって常に中心的役割を果たし、個々人の行動や生活に最も大きな影響を及ぼすような内在的なもの(原理・力・領域)である。 社会体制と社会特質とを比べると、社会特質のほうが歴史的でかつ普遍的である。故により根源的で、社会体制をも大いに左右する。したがって、中国・米国・日本における犯罪と刑罰の違いは、それぞれの社会体制とは無関係ではないものの、やはりそれぞれの社会特質によって終局的にもたらされているものである。II. 「権力社会」中国・「法律社会」米国・「文化社会」日本 中国:中国社会の原点は国家権力である。国家権力こそが社会における至上的なもの(原理・力・領域)で、あらゆる社会現象は何よりもまず国家権力を出発点とし、それに決定づけられる。国民の生活は国家権力から最も大きな影響を受け、国家権力との関係によって左右される。権力が社会の原点である中国においては、法律と権力の関係を見ると、本質的に法律は、国家権力が民衆を統制するための規制にすぎない。中国には古くから法律方法論が存在する。法律を権力の道具としか認めないので、究極的に中国の法律は政治・権力と未分離な状態にあり、政治・権力とは異なった原理をもつ独自のものとしての社会的な働きをしていない。故に、権力が社会の原点である中国の社会的特質は、「権力社会」と言うべきである。 米国:米国社会の原点は法律である。法律こそが米国社会における至上的なもの(原理・力・領域)であり、あらゆる社会現象は何よりもまず法律を出発点とし、それによって決定づけられる。人々の生活は、法律から最も大きな影響を受け、法律との関係によって左右される。権力と法律の関係を見ると、米国では国家権力は重要な役割を果たしているものの、それは、個人や民間と同じようにあくまでも法のもとにあり、それ自体が法律の対象とされ、常に法律に従わなければならない。故に、法律が社会の原点である米国の社会特質は、法律社会(但し法治社会とは違う)と言うべきである。 日本;日本社会の原点は文化である。文化こそが日本社会における第一次的なもの(原理・力・領域)で、あらゆる社会現象は何よりもまず文化を出発点として、それによって最も多く決定づけられている。人々の行動や生活に最も大きな影響を及ぼすのは、権力でも法律でもなく、それ以外の非権力的で非法律的な常識・習慣・慣行など、公式化されずに民間で存在している文化的なものである。権力も日本社会において重要な役割を果たしているものの、あくまでも文化の二次的存在であり、文化を確認、補強しているにすぎない。文化と権力との相互関係において、文化ではなく権力が常に変化を強いられている。法律と文化の関係を見ると、日本では法律が存在しているのみならず、非常に完備された状態にあるものの、あくまでも文化の二次的ないし三次的な存在である。法律は文化に依存するところが大きく、文化は法律に干渉または浸透する場合が多い。故に文化が社会の原点である日本の社会特質は文化社会と言うべきである。
16III. 社会が違えば犯罪も刑罰も違う 中国:権力社会である中国では、犯罪と刑罰は何よりもまず権力・政治として位置づけられており、犯罪・刑罰は、法律的、文化的意義よりも、まず政治的意義を持つ。このことは、中国における犯罪と刑罰に狭くて深いという特徴やパターンをもたらしている。これは、具体的に次の三つの側面から見ることができる。①何を犯罪とするか、犯罪に対してどのような刑罰を課すかは、まず国家権力の理念・方針・政策から、権力によって政治的に決められる。②犯罪の取り締まりを行って社会の秩序を創出、維持しているのは主に国家権力である。③何を犯罪とするか、犯罪に対してどのような刑罰を課すか、何を社会秩序とするかは、権力者が自らにとって重要と思われることを中心に判断して決定している。犯罪・刑罰・秩序は強い政治性または権力性を有しており、個人や一般社会からは外在的で他人的なものとして感じられるため、権力上・法律上に言う犯罪・刑罰・秩序は、必ずしもそのまま民衆によって社会的に受け止められない。 米国:法律社会であるが、そこでの法律は、何よりもまず社会体制である資本主義の基本である市場経済という経済原理に依拠し、それを基礎としている。他の資本主義国と違い、米国の資本主義はあくまでも「法律社会的資本主義」であり、法律がどこよりも直接に市場経済という社会体制の原理を定め、確認し、推進している。そのため、米国での犯罪と刑罰はまず法律・経済として位置づけられ、犯罪・刑罰は、権力的意義よりも文化的意義よりも、まず法律的、経済的意義を持っている。これが、米国における犯罪と刑罰に二分化という特徴・パターンをもたらしている。具体的に次の側面から見ることができる。①法律はまず市場経済に依拠しているので、何を犯罪とするか、犯罪に対してどのような刑罰を課すかは、市場経済の原理に従って、それに合致するように法的に決められている。犯罪と刑罰に関して、自由競争の前提とも言える形式的平等や権利や市場規則に反する行為に対して、それを広く犯罪として重罰を課すのも辞さない一方、自由競争の結果とも言える実質的不平等・非権利性・非市場規則に関しては、犯罪化も刑罰化もせず、無関心であるか、関心を示しても深入りはしない。②秩序の創出と維持は、主に市場原理を基本とする法律を中心にして行われている。③何を犯罪とするか、犯罪に対してどのような刑罰を課すか、何を社会秩序とするかは、市場経済の原理である自由競争から、市場・競争のための形式的規則・ルールを中心に、法律の形を決定されている。また、そこでの秩序の創出と維持も、法律という普遍性を有するものにより行われるものの、本質的には、競争で勝った少数者だけのために、最小限の秩序と最大限の競争という矛盾のなかで法的正義と経済的効率性の結合を通じて行われている。 日本:社会体制としては資本主義であるが、文化社会であるが故に、日本の資本主義はあくまでも文化を基礎としたものであり、文化から大いに制限、緩和、修正された、いわば文化社会的資本主義体制になっている。そのため、日本での犯罪と刑罰は、市場経済と自由競争という資本主
17義体制よりも、むしろ日本の文化によって大いに決定され、何よりもまず文化・社会として位置づけられている。日本で言う犯罪と刑罰は、政治的意義よりも法律的意義よりも、まず文化的意義を持っている。このことは、日本における犯罪と刑罰に広くて浅いという特徴をもたらしている。具体的に次の側面から見ることができる。①何を犯罪とするか、犯罪に対してどのような刑罰を課すかは、国民の感覚に従って、まず文化を主にして社会的に決められている。日本を文化社会と言うとき、非権力的で非法律的でありながらも社会の核心たる原理として正統性という概念があり、それは日本人の最も基本的な価値観になっていることを意味している。②犯罪取り締まり・秩序の創出と維持も、社会・民衆を中心にして文化的に行われている。③犯罪観・刑罰観・秩序観は、文化に依拠して、国民の感覚に従って決められている。また、犯罪の取り締まり、社会秩序の創出と維持は、社会・民衆を中心にして文化的に行われる。そのため、日本で言う犯罪・刑罰・秩序は法律的で司法機関的意味合い以上に、権力的で政治的な意味合い以上に、まず文化的で社会的な意味合いを有し、民衆個人や一般社会にとっては、法律上の司法機関の事柄以上に自分自身の事柄として感じられるのである。おわりに (P.216~231) 筆者は死刑を廃止しなければならないと思っている。そう思うのは、法治主義と民主主義とが人類の文明市場の日本の柱であって、理想的な人間社会は、民主主義だけではなく、法治主義でもなければならないと思うからである。法は理性であるが故に、国家や社会、人間は、法を信じて法治主義を確立しようとするならば、犯罪者より高い次元の理性的、道徳的な存在として犯罪問題に対処しなければならない。殺人を犯した者を死刑にしないのは、その行為が死刑に値しないからではなく、犯罪者より高い次元の、理性的、道徳的存在である国家や社会、人間は、死刑に十二分に値する犯罪者であっても、死刑にはしないからである。つまり、法治主義法治国家における法律は、国家や社会、人間が犯罪者・犯人と同レベルのことをいかなる場合においてもしないこと、犯罪者・犯人がどんなに非道なことをしたとしてもいくら残酷であっても、彼らと同じようになってはいけないことを内包しているのである。つまり死刑を含む刑罰の問題にどこまで法的に処理できるかは、その社会がどこまで法治社会なのか、どこまで理性的なのかを現している。しかし法や理性だけを強調すると、犯罪者の権利、処遇だけに利していて、犯罪被害者の権利、待遇を無視又は粗末にしているのではないか、と言う批判も出てくるであろう。確かに従来のように、被害者対加害者と言う単純な図式で、法や理性ばかりを強調すれば犯罪者の権利、処遇だけに利して被害者の権利・待遇は無視されてしまう。しかし法、法治主義はこのような単純な図式を乗り越えた上での対策を求めている。加害者対被害者という二極的図式の中で被害者の権利と待遇を云々し、死刑や刑罰を持って被害者に配慮することは、明らかに限度があり応報復讐の感情を見たす以上の権利保障や待遇改善は期待できない。被害者の権利保障や待遇改善は、その重きを刑事司法、刑罰以外の所に置きながら、加害者対国家対被害者という三極的図式・共生的関係の中で国家社会の援助救済義務やそのほかの方策を中心に図られるべきである。
18論点①作者は本書の中で、死刑を廃止すべきであるとしている、また国連人権委員会が日本に対して死刑廃止勧告を行ったこと、さらに国連総会では死刑執行停止決議が採択されたことに見られるように、世界的にも死刑制度は廃止の方向に向かっています。なお現在の日本では国民の八割近くが死刑の存置に賛成していますが、これほど高い死刑支持率を保っているのは、日本での死刑執行が極めて密室的なやり方で行われ、ごく少数の関係者以外には誰も死刑執行の場面や状況を見ることも知ることもできないからであり、もし死刑囚に対する絞首の生々しい場面や過程を一般国民が見聞きできるようになったら、日本での死刑支持率はかなり下がるのではないかとも考えられます。しかしながら作者が述べたように重大犯罪については刑罰が比較的軽いという傾向にある日本で死刑制度を廃止すべきなのでしょうか。参考資料:DAIAMONDonline http://diamond.jp/series/worldvoice/10022/ 米国民は今、死刑について非常に混乱した状態にある。DNA判定で多くの犯罪の潔白が証明され、刑事司法システム全体について疑いを持つ人が増えた結果、死刑判決やその執行率が激減した。 その一方で、米連邦最高裁が4月に、薬物注射による死刑執行が受刑者に肉体的苦痛を与えているというケンタッキー州の死刑囚の訴えを退け、合憲との決定を下したことで、停止されていた死刑執行が再開された。今、死刑執行は1ヵ月に5~6件と通常より速いペースで行なわれており、米国民はこれから死刑が増え続けるのではないかという印象を持っている。 それでも歴史的に見れば、死刑は減少傾向にあると見るのが正しい。1990年代には毎年300人が死刑判決を受けていたが、いまや110~120人と約3分の1に減った。執行件数も1999年には100件あったが、一昨年は53件、昨年は42件と減った。減少の背景にあるのは、死刑執行に至る司法システムの随所で関係者が注意深くなり、過程が長引いているからである。 過程が長引けば、新しい証拠を探したり、優れた弁護士を雇ったりすることができる。この国では、たとえ罪を犯したことが明らかでも、経験ある弁護士や専門家を雇い入れるカネがあれば、裁判で死刑を免れることがよくあるのだ。 死刑に関する現在の論点は、極刑としてそれがふさわしいかどうかではない。人道的に死刑に反対する人びとはわずか20%ほどで、そのほとんどは、現在の刑事司法システムを非効率的、非生産的なものと見なすゆえに反対している。そもそも、死刑については理論と現実で認識に開きがある。 米国民は、極悪犯罪については 65%が死刑を支持すると答えるが、質問を若干変えて死刑と終身刑のどちらを支持するかと問われると、50%が終身刑を支持し、死刑支持者は少なくなる。現在、陪審員も死刑か否かではなく、死刑か終身刑のいずれを採るかを問われるようになっており、実際終身刑が選択されることが多くなっている。 また死刑のコストの高さも明らかになってきた。囚人を40年間拘置しても、死刑よりは安い。死刑執行までには多くの司法過程を踏まねばならず、高いコストがかかるのだ。ニュージャージー州は昨年末、死刑制度を廃止したが、これも現実的な判断によるものだろう。死刑執行まで時間がかかるので、今後20年間にあったとしても1~2件でしかない。それならば制度を保持する理由がないという結論に達したのだ。
19州が廃止に踏み切ったのは1976年以来のことだ。現在50州中36州が死刑制度を保持しており、テキサス州など南部州は依然多数の死刑を執行しているが、奴隷制度や拷問の廃止と同様に、いずれ全州が死刑制度を廃止するだろうと、私は予想している。 死刑制度によって犯罪率が抑えられるといわれるが、これも当てにならない。犯罪が抑えられるから死刑制度を支持すると答える国民は13%と少なく、調査結果も入り交じっている。犯罪率が低くなるという売り文句は、結局、国民より政治家や裁判所が利用するものなのだ。(談)リチャード・ディーター(Richard Dieter)死刑情報センター(DPIC)エグゼクティブディレクター。参考資料:ブリタニカ国際年鑑2008フランス、死刑禁止を憲法に追加フランス上下両院は合同会議を開き、死刑を禁止する条項を追加するなどの憲法改正案を承認した。今回の改正により、「なんぴとも死刑にされることはない」との条文が追加される。フランスではすでに1981年に死刑廃止が法制化されているが、憲法に禁止条項を入れることで、将来死刑を復活させないようにすることが狙い。参考資料:アムネスティインターナショナル日本 死刑廃止ネットワークセンターhttp://homepage2.nifty.com/shihai/あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国:92 →オーストラリア、オーストリアベルギーカンボジア、カナダ、コロンビア、クロアチアチェコ共和国デンマークドミニカ共和国フィンランド、フランス、グルジア、ドイツ、ギリシャハンガリーアイスランドアイルランド、イタリア、マケドニア(旧ユーゴスラビア)、メキシコ、ネパール、オランダ、ニュージーランドポルトガルルーマニア、スペイン、スウェーデン、スイス、東チモール、トルコ、英国など通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国:10 (軍法下の犯罪や特異な状況における犯罪のような例外的な犯罪にのみ、法律で死刑を規定している国) 事実上の死刑廃止国:35 (殺人のような通常の犯罪に対して死刑制度を存置しているが、過去10年間に執行がなされておらず、死刑執行をしない政策または確立した慣例を持っていると思われる国。死刑を適用しないという国際的な公約をしている国も含まれる。)存置国:60(通常の犯罪に対して死刑を存置している国) →アフガニスタンバハマバーレーンバングラデシュ、ベラルーシボツワナカメルーン、中国、コンゴ民主共和国キューバ、ドミニカ、エジプト、エチオピア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、朝鮮民主主義人民共和国クウェートレバノンリビア、マレーシア、モンゴル、ナイジェリア、オマーンパキスタンパレスチナ自治政府カタールサウジアラビアシンガポールソマリアスーダン、シリア、台湾、タイ、ウガンダアラブ首長国連邦、米国、ベトナム、イエメン、ジンバブエなど参考資料:日弁連死刑執行停止法制定等提言・決議実現委員会「21世紀日本に死刑は必要か」http://www.nichibenren.or.jp/ja/committee/list/data/shikei_pamphlet.pdf 揺れ動くアメリカの死刑制度アメリカでは現在、連邦と38の州が死刑制度を維持し、12の州とコロンビア特別区(ワシントンDC)では死刑が廃止されています。アメリカでは、1935年をピークに死刑の執行数は減少し、1968年以降は事実上死刑の執行が停止されていました。そのような中、1972年に連邦最高裁判所がファーマン対ジョージア事件判決において、現行死刑制度は憲法が禁ずる残虐で異常な刑罰にあたり違憲であると宣言しました。これを機に、法律によって死刑を廃止する州も出現しましたが、各州で死刑制度を改正する動きが続出しました。その結果、1976年には連邦最高裁で一定の手続によりなされる死刑は憲法に反しないとの判決が出され、翌77年から死刑の執行も再開されました。死刑の執行数も年々増える傾向にあります。一方、アメリカ法曹協会(ABA)が1997年に死刑執行停止決議を採択して以来、死刑存置州の弁護士会や地方政府でも、死刑執行停止決議が相次いでいます。イリノイ州では、2000年1月から知事命令によるモラトリアム(死刑執行停止)が続いています。また、ニュージャージー州では、2006年1月、死刑制度に関する調査を行い、その間、死刑の執行を停止する法律が成立し、2006年9月現在モラトリアム状態となっています。死刑をめぐる世界の動きと日本国連1984年、国連の経済社会理事会において、いまだ死刑を存置する国に対して、適正な手続を求めた「死刑に直面する者の権利の保護の保障に関する決議」が採択されました。この決議は、手続のあらゆる段階において弁護士の適切な援助を受けることを含め、死刑事件の被告人に対して特別な保護を与えることや、すべての死刑事件で必要的上訴を規定することを定めています。そして、1989年12月、国連総会において、「市民的及び政治的権利に関する国際人権規約」(自由権規約)の第二選択議定書が採択され、1991年4月に発効しました(いわゆる「死刑廃止条約」)。日本は自由権規約を批准していますが、死刑廃止条約については批准しない状態が続いています。自由権規約を批准している国には、国内における規約の実施状況を、自由権規約委員会に5年ごとに報告し、審査を受ける義務があります。同委員会は、日本政府の第3回審査(1993年)において、死刑の適用がある犯罪の数の多さ(現在17の犯罪に死刑の適用があり得る)、死刑確定者の面会や通信に対する不当な制限、死刑の執行を予め家族に通知しないこと等の問題点を指摘し、死刑は最も重大な犯罪に限定されなければならないこと、死刑確定者の処遇の改善などを勧告しました。
21しかし、日本政府はこの勧告に対し具体的な措置をとらず、その結果、第4回の審査(1998年)でもさらに、死刑確定者の処遇の改善と、死刑廃止に向けた努力を行うよう勧告を受けました。ヨーロッパ1985年、死刑廃止を定めたヨーロッパ人権条約第6議定書が採択されました。その後、1990年代には、欧州連合(EU)と欧州評議会(CE)の協調によって旧東ヨーロッパの国々も次々に死刑を廃止し、1997年からはロシアも死刑の執行を停止しました。2003年にはトルコも死刑を廃止したほか、戦時も含めたあらゆる状況における死刑の廃止を定めたヨーロッパ人権条約第13議定書が発効しました。こうし7 て現在ではヨーロッパ全域において、法律上あるいは事実上、死刑が廃止された状態が出現しています。そのヨーロッパが今、主要先進国のうち死刑を存置しているアメリカ、そして日本をターゲットに、死刑廃止を迫っています。欧州評議会には5つのオブザーバー国がありますが、そのうち死刑を存置しているのはアメリカと日本の2か国だけです。そして2001年6月26日、欧州評議会の議員会議は、両国に対して以下のような決議を採択しました。すなわち、両国は直ちに死刑の執行を停止し、死刑廃止のために必要な方策をとるべきことなどを要求した上で、大きな進展がみられない場合には、両国のオブザーバー資格の見直しを行い、今後は厳格に死刑執行を停止しているか、すでに死刑を廃止した国にのみオブザーバー資格を与える、というものです。2003年10月には再度同様の決議がなされ、日本とアメリカに対する働きかけは今後さらに積極的になされる見通しです。参考資料:OhMyNews http://news.ohmynews.co.jp/news/20080515/25094 終身刑創設を! 「量刑」考える超党派議連発足裁判員制度前の立法化めざす、死刑の存廃には踏み込まず2009(来)年5月の裁判員制度導入を前に、現行の無期懲役と死刑のギャップを埋める量刑の創設を考える議連「量刑制度を考える超党派の会」(会長=加藤紘一自民党元幹事長、最高顧問=森喜朗・元総理)が15日、発足した。終身刑の創設、あるいは無期懲役刑のままで仮釈放までの最短期間(10年)を延長することを目指す。明治時代に制定された日本の刑法は、最高刑を死刑とし、その次に重い刑を無期懲役としているが、この無期懲役には最短10年での仮釈放が認められている。寿命の短かった時代はそれで整合性がとれたが、寿命ののびた現代では死刑との差が広がり、量刑の判断をきわめて難しくしている。だが、来年にせまった裁判員制度では、裁判員に選ばれた一般市民が、無期懲役か、死刑かの判断を下すことになる。このため、無期懲役と死刑のギャップを埋める量刑の創設を議員立法で目指すことになった。 15日の初会合には、与野党6党から議員ら55人を含む100人が出席。諸外国での終身刑の状況や、日本で仮釈放となった無期懲役囚の状況について法務省などから説明があり、考えられる法改正の方向について意見を出し合った。たたき台によると、終身刑を創設する場合に、仮釈放を設けなければ、囚人は一生を「生きる屍(しかばね)」として刑務所で送ることになり、死刑より残虐な刑になるとの批判が出る。ただし、「仮釈放」に代わって、病気の場合やきわめて高齢な場合など、一定の条件で「恩赦」を設ける方法もある。一方、現行の無期懲役刑のままで仮釈放までの最短期間を延長する場合は、法改正は簡単になるものの、有期刑の最高刑(併合罪で30年)の恩赦との整合性などをはかる必要性がある。 出席した議員らからは、
22「何が何でも一生刑務所というのが憲法違反になるのは理解できる。仮釈放を認めるにしても、やはり20年は入っているような制度にしなくてはいけないのでは」「出所を許すには30年くらいは刑務所にいなくては。25~30年後には恩赦もあり得る、という例外が盛り込めるのであれば、終身刑の導入もいい」「仮釈放のある、なしには大きな隔たりがある。再犯率などについてのデータがほしい。一方で過剰収容の問題もある。受刑者には収容コストに見合うだけ働いてもらうことも考えなければならない」などの意見が出された。加藤会長は初会合を終え、「(出席議員の)意見を聞いたところでは、仮釈放のない100%の終身刑よりは、(恩赦など)何らかの例外を設ける方向で一致していると思う。党派による思いの違いはあまりないし、国会の委員会審議はスムーズに進むのではないか」と話した。 今後は、刑導入を裁判員制度に間に合わせるため、週1回のペースで2~3回勉強会を開催していく。6月15日の国会閉会までに法案を提出し、秋の臨時国会で成案とする予定。時間が限られているため、死刑制度の存廃については踏み込まない。 法務省がこの日提出した資料によると、全国の刑事施設に所属する無期刑者数は、2007年末時点で1670人。10年前(1998年)の968人から倍近くになっている。原因は新規の受刑者数の増加と、仮釈放者の減少。新規受刑者数は、98年の46人に対し07年は89人に増えている(ただし03~06年はいずれも110人超)。これに対し仮釈放者は98年の18人に対し、07年は3人のみ。 刑務所に在所している平均受刑期間も、10年前の20年10カ月から、2007年末には31年10カ月に伸びた。もっとも多い受刑期間は、入所時の年齢にかかわらず25年以上30年未満となっている。参考資料:死刑廃止死刑存置の考察http://www.geocities.jp/aphros67/090610.htm 注射刑は3種類の薬剤注射を行って執行する方法である。ベッドに固定した受刑者に、麻酔剤、筋弛緩剤、心臓停止剤(塩化カリウム)を注射する方法で、観察上死刑囚に苦痛を与えていることが認められないことから各州で採用となった。しかしながら麻薬中毒患者等の死刑囚の場合静脈が損傷していることが多いこと(死刑執行準備に時間がかかる)、極めてまれだが苦痛の声を出す死刑囚がいることが報告されている。ニューヨーク州では2004年注射刑に対して違憲判決が出されている。 現在アメリカではネブラスカ州電気椅子刑のみを執行)以外では全て注射刑を採用している。しかしながらいくつかの州では受刑者によって選択させるシステムもとられている。なお執行数は1976年以降のモラトリアム中止以来の数値であるアメリカの死刑は州によって若干の差異があるが、基本的に執行を公開している。ガラス越しではあるが死刑囚家族、被害者家族、警察官、検察官、弁護士が立ち会うことが原則となっている。もちろん死刑囚家族と被害者家族は接点が無いように配慮される。また特徴的なのが、マスコミが立ち会うことである。よくオクラホマ連邦ビル爆破事件のティモシー・マクベイ死刑囚の執行がテレビ中継されたといわれるが、あくまで別室の被害者遺族(死者168名を出していたため膨大な人数であった)に対して中継されただけであり、全米に放映されたわけではない(彼はそれを望んだが却下された)。死刑囚への通知も5日前前後に実施され、死刑までの間に死刑囚家族との面会等も許される。また死刑囚が被害者家族と面会することも行われていることが多い。執行されるのは夜0時~2時である。
23論点② 日本の治安の悪化による犯罪の増加と厳罰化による刑の長期化を反映して、全国各地の刑務所はどこも定員を超える受刑者を抱える過剰収容状態になっている。処遇の悪化を改善すること、適切な収容を確保することを目的に、法務省では新たにPFI(Private Finance Initiative)方式で刑務所を整備することになった。ただし、アメリカや英国などで整備されているような、すべての業務を民間事業者が運営する『民営刑務所』ではなく、公務員である刑務官と民間職員が協働して運営する『混合運営施設』の方式を採用する。PFIのメリットやデメリットを踏まえて、日本でFPI方式の刑務所を導入することに賛成か、反対かを話し合ってください。論点②に関する資料○ 過剰収容対策のため短期的にはある程度の刑務所新設は避けられない1992年度末には約4万5000人(収容定員に対する収容率約71%)であった収容人員が、2002年度末には約7万人(収容率約107%)と、この10年間で激増した。 店員を超過している刑務所での処遇の悪化と職員の負担の加重は、人権侵害の危険な温床である。 適切な収容率は80%といわれている。収容率が80%になるまで刑務所を増設することは避けられない。しかし、長期的には拘禁の抑制に取り組むべきである。 具体的には、宣告刑の長期化の傾向の見直し、再犯防止のための教育などの充実、薬物犯罪に対する短期の治療プログラム、軽微な犯罪についての執行猶予と実刑の中間的な新たな刑罰の新設(例えば社会奉仕命令)、釈放の活用などの政策が必要である。参考資料:日弁連の提言http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/data/2003_50.pdf#search='%E6%B0%91%E5%96%B6%20%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80 ○ 諸外国の刑務所FPI事業英米法系の国と大陸法系の国との法制度の違い ⇒ 独仏型の部分的な民間委託が日本に馴染みやすい <英米法系> 英国、アメリカ合衆国大陸法系> ドイツ、フランス設計・建設:民間委託を実施設計・建設:民間委託を実施管理・運営:すべての業務について民間委託 管理・運営:食事、洗濯、清掃、職業訓練など→包括的な民間委託については民間委託(保安業務は、国が実施する。) →部分的な民間委託参考資料:刑務所PFI事業について
24http://www.moj.go.jp/KANBOU/GYOKEI/BUNKA03/gaiyou05-05.pdf 参考資料:刑務所PFI事業についてhttp://www.moj.go.jp/KANBOU/GYOKEI/BUNKA03/gaiyou05-05.pdfPFIのメリットPFI のメリットは、まずVFM(Value for Money)の原則が追求されることにより生じる財政面でのコスト効果を挙げることができる。VFMとは、投入した税金に対して生み出される価値のことを表す概念で、より少ない税金で寄り質の高いサービスを提供することを指す。公共事業を従来通りに官が実施する場合と、PFI手法で民間に一括委託する場合のライフサイクルコストを現在価値ベースで比較し、PFI手法で実施した場合に実現されるコスト削減効果を示すものとして、VFMの概念が使われる。VFMが実現される要因は、①アウトプット仕様に基づくライフサイクルの一括管理、②リスクの最適配分、③成果主義(業績連動の支払いシステム)、④競争原理の徹底などが挙げられる。PFI のメリットは、第1に財政面での改善効果、第2にサービスの質の向上、第3に自治体経営における選択と集中の進展、第4に長期契約によるリスク・ヘッジ等が代表的である。いずれも、VFMの概念に基づいて発揮されるメリットである。○ PFIのデメリット
25PFI のデメリットは、第1に、公的資金に比べて割高な民間資金を使うことに夜金利負担の増大が挙げられる。07年において、公債の利回りは1%程度なのに対し、プロジェクト・ファイナンスの金利は3~4‰台が主である。第2に、長期委託による固定化のリスクである。長期委託よりは、その都度に委託する方が、民間の競争原理やコストに対する学習効果が働いて、結果的に安くなる場合もあると考えられる。第3に、契約段階では予想できないリスクが管理不能となる可能性である。20年や30年の事業PFIでは一般的だが、事業契約段階では予定していなかった事態が起こり、第三セクターの破綻などにみられるような事態にもなりかねない。第4に、部分最適化ができないといったことが挙げられる。選定された事業者が施設建設において、サービスの質やコスト面での優位性があっても、その他のサービスにおいては優位性があるとは限らない。しかし、多くのPFI事業は、施設建設だけでなく、幅広く多様な管理業務にわたるため、総合的に最適化することが難しいケースもあるだろう。参考資料:PFI方式による刑務所の研究ノートhttp://www.u-shimane.ac.jp/02university/32Research/file/ron1311.pdfPFI方式による刑務所の概要PFIは社会資本整備を民間主導で効率的に行うことをめざして、米国で始まった。日本では、「民間資本等の活用による公共施設等の設備等の推進法」(PFI促進法)が1999年に施行された。PFI方式による刑務所整備はPFI推進法に基づく。法務省の「PFI手法による新設刑務所の設備・運営事業基本構想」によると、「刑務所管理に伴う行政責任については、これまでどおり国がすべての責任を負う」と最終的な責任はこれまでと同様に国が負うと明確にしている。また、「受刑者の処遇など権力性、専門性が高い業務については刑務官が実施し、その他の業務は専門機関との連携、ITによるサポート、アウトソーシングの対象にする」と公権力の行使に当たらない業務は民間に任せる方針を示している。具体的には、刑務官が行う業務として、戒具の使用、武器の使用、逃走した在監者の逮捕、懲罰、接見及び信書の発受の許否の処分など法令上、収容の目的を達成するために、直接に義務を課し、もしくは権利を制限する処分、または身体・財産に実力を加えて行政上必要な状態を実現させようとする行為を伴う業務、会計法、品管理法などで法令上、特定の官職にある者に権限が委任された業務を例示、その他は幅広くPFI事業の対象とすることにした。

 

産大法学 42巻1号(2008. 6)
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中国刑法の特徴と犯罪構成論について
                           黎        宏
 ただ今ご紹介をいただきました黎宏でございます。よろしく御願いいたします。この機会に恵まれて、皆様に大変感
謝いたします。
 本日は、中国刑法について、すこしお話をさせていただきたいと思います。
 ご存知のように、中国において刑法典が制定されたのは一九七九年でした。この一九七九年刑法典が制定された当
時、中国は、大衆的政治闘争を至上任務とする〝政治社会〞からまだ完全に脱皮できていない時期にあって、この刑法
典も強い政治色を帯びており、近代市民法的刑事法諸原則を十分に取り入れていませんでした。ところが、この刑法典
が施行された直後から、中国は改革開放政策に転じて、計画経済から市場経済への移行を大規模に進めるようになりま
した。その過程で中国社会に目まぐるしい変化が起こり、刑法典が予測していなかった多くの刑事法の問題も生じてき
ました。また、改革開放政策の進化や市場経済の広がりに伴って、人々の政治意識と人権意識も大きく変化し、政治色
の薄い刑法典に改正するようにという声が高まってきました。こういう情勢の中で、中国の立法機関は一九九七年三月
に刑法典を改正し、同年一〇月一日からその施行を始めました。それが現行中国刑法典です。この現行刑法典は、中国
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の伝統的刑法思想を維持しつつ、改革開放の成果を生かすとともに、現代刑法における普遍的原則としての罪刑法定主
義、罪刑均衡原則および平等原則なども採用しています。
一 現行中国刑法の特徴
 現行中国刑法の内容を説明するには、かなりの時間がかかると思いますが、中国刑法の特徴を紹介して、皆さんに中
国刑法がどういうものかについて、理解していただくことは有意義だと思います。日本刑法と比較して、現行中国刑法
には以下のような特徴があると思います。
 第一は、統一的、包括的な刑法典であるということです。日本では、刑法典の中に、人々の生活と密接な関係のある
犯罪しか規定されておらず、それ以外の行為及びその処罰は暴力行為等処罰法、公害犯罪処罰法などの特別刑法および
行政刑法に任せています。換言すれば、犯罪と刑罰について規定した法律は、刑法典に尽きるものではなく、それ以外
の法律、命令、条令に定めた罰則の方がはるかに多いのです。しかし、中国では、犯罪と刑罰は、刑法典のみに定めら
れ、刑法以外の特別刑法が存在していません。即ち、刑法以外の行政法規は、犯罪を規定し、刑により処罰することが
できません。
 第二は、犯罪の成立範囲が限定されているということです。中国では、社会的危害性が一定以上の場合に限り、犯罪
であり、刑罰の対象となります。社会的危害性はあるものの、犯罪とするほどではないという場合には、治安管理違反
行為となり、治安管理処罰法により処罰されます。この治安管理処罰法は、日本の軽犯罪法と同様な役割を果たしてい
るといえますが、ただ、その内容は、軽犯罪法とはかなり異なります。日本では、罪刑法定主義の趣旨に従い、刑法典
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に規定されている行為類型は、常に刑法上の犯罪となり、軽犯罪法には規定されていませんし、逆に、軽犯罪法に規定
されている行為類型は、刑法典には規定されていません。犯罪の行為類型と軽犯罪の行為類型との境は、非常に明確で
す。この点について、中国と随分異なります。例えば、窃盗の場合は、価格がいくらの物を盗んでも、日本では、通
常、刑法典に違反する窃盗行為であり、窃盗罪として刑事責任を追及されます。しかし、中国では、窃盗罪が成立する
ためには、多額の物を盗まなければならなりません。盗む行為があっても、多額な物を盗まないと、窃盗罪にならず、
治安管理処罰法に規定されている違法行為となります。この種の規定は中国刑法各則の中に、沢山存在しています。こ
のような現象は、中国における犯罪定義と関係があると思います。中国刑法一三条によれば、ある種の行為が一定の社
会的危害性を有していても、情状が軽微でかつ被害が大きくないものは、犯罪と認定しません。したがって、中国での
刑法の適用においての重要な作業は、ある違法行為が犯罪行為であるか、治安管理処罰法に反する行為であるかを判断
するということです。
 第三は、行為の結果を重視する刑法典であるということです。これは、中国刑法と日本刑法との最も異なるところの
一つではないかと思います。日本では、行為が犯罪であるかどうかは、主に当該行為が刑法規範に違反したかどうかに
よって決まりますが、中国では、一つの違法行為は常に同時に刑法と他の行政処罰法規に違反しているから、この行為
にどちらの法律を適用するかについての重要なポイントは、当該行為で惹起された結果の軽重です。この点について、
刑法典には常に明文の規定があります。例えば、刑法二〇一条は、「脱税額が納付すべき税額の一〇%以上三〇%未満
で、かつ脱税額の金額が一万元以上一〇万元未満の場合」に、脱税罪とします。ここでは、犯罪であるかどうかの決め
手は、脱税の「額」です。また、「重い結果」を構成要件要素として明文に規定している条文もあります。例えば、刑
法二八四条は、「盗聴もしくは盗撮などのスパイ専用用具を不法に使用した者は、重い結果を生じさせた場合は」スパ
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イ専用用具使用罪であると規定しています。結果と同じ意味の「損失」という言葉を使う例もあります。例えば、刑法
一八六条は、「銀行またはその他の金融機関の職員が、法律または行政機関の規定に違反して関係人に信用融資を行っ
た場合、または同一の担保融資の条件において関係人に対し他人より優遇してこれを行った場合は、比較的重大な損失
を生じさせたときは、…に処する」としています。
 第四は、伝統を重視する刑法典であるということです。例えば、共同犯罪(共犯)の規定では、正犯と従犯という立
て方をせず、主犯と従犯という枠組を用いていました。これは中国伝統の共犯論の流れを汲むものです。周知のよう
に、共犯者の分類に関しては、犯罪者の共同犯罪における分担を基準にして共犯者を分類する方法と、共犯者の共同犯
罪における働き(作用)を基準にして分類する方法があります。実行行為(正犯行為)の有無をもって正犯と従犯=狭
義の共犯に区分するのは前者の類型であり、共同犯罪者を正犯、教唆犯、従犯(幇助犯)に区分するドイツ刑法、日本
刑法もこのタイプに属します。また旧社会主義国ソ連においても、ドイツ刑法を手本にして、正犯、教唆犯、幇助犯
の三分法を採用しました。これに対して、共同犯罪における働きを基準にして分類する方法の典型をなすのが古代中国
の共犯論です。そこでは、共同犯罪において主要な働きをなした者を首犯、それに追従した者は従犯とし、名例律で
は、「造意者」を首犯、追従者を従犯としました。このような考え方によれば、正犯は、客観的な実行行為を行った者
だけでなく、共同犯罪の組織者、指導者であればいい、ということになります。いいかえれば、日本でかなり議論され
ている共謀共同正犯という概念自体は、ここでは無用の長物です。また、死刑を直ちに執行するものと二年間の執行猶
予をおくものとがありますが、これについても、中国古代の「立決」(皇帝の許可後直ちに執行するもの)と、「監候」
(死刑に処することは許可するが、執行を留保し、多くが死刑を免れるもの)との関係に似ているという指摘がありま
す。
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 以上、主に刑法典規定の内容から、特に日本刑法と異なることを挙げました。ただ、中国刑法の内容を理解するとき
に、刑法典だけを読んでもまだ足りないところが多く存在することに注意しなければなりません。例えば、日本と違っ
て、中国では、刑法各則の中に、予備犯と未遂犯の処罰規定は設けられていません、逆に、刑法総則の中に、未遂犯と
予備犯を処罰する一般規定が置かれています。このような立法からみて、中国では、予備や未遂まで一般的に犯罪とし
ていることが分かります。このやり方は、重大な犯罪につき例外的に未遂も犯罪とし、極めて重要な犯罪についてのみ
例外的に予備を犯罪とすることに留めてきた近代刑法の伝統とはかなり異なった方向にあるのではないかという声が、
一部の学者の中から出ました。実際には、そのような疑問は間違ったものといわざるをえません。中国では、刑法典の
規定とその現実の運用の間には、相当な差があるからです。刑法規定からすると、すべての犯罪予備行為と犯罪未遂行
為を処罰の対象とするようにみえますが、実際にはそうではありません。例えば、中国刑法二六四条によれば、公私の
財物を窃取したものは、その額が比較的多額であるか、又は数回にわたって窃取した場合にしか窃盗罪になりません。
刑法総則の規定に従えば、窃盗行為があれば、たとえ他人のものを手に入れなかったとしても、必ず窃盗予備罪或いは
窃盗未遂罪として処罰することになります。しかし、後に述べるような司法解釈によれば、巨額の現金または国家の重
文化財、文物を目的とした窃盗は、行為者が現場でその目的物を窃取できなくとも、窃盗罪(の未遂)と認定されま
すが、窃盗罪の予備行為は処罰されません。
 同じような状況は偽製品生産販売罪でもみられます。中国刑法一四〇条は、生産者または販売者が、製品の中に不純
物もしくは偽物を混入し、偽物を本物と偽称し、劣等品を良品と偽称し、又は不合格の製品を合格品と偽った場合、売
上金額が五万元以上二〇万元未満であるときは、偽製品生産販売罪を構成すると規定しています。行為者が偽劣製品の
生産、販売を行って、実際の売上額が五万元以上であれば、本罪が成立します。生産者が偽劣製品を生産完了、現に生
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産中、または販売者が偽劣製品を仕入れて現に販売中の段階にあって、売上額経常利益が五万元以上になりうるとして
も、実際の売上額が五万元未満で押収額が五万元を下回るときは、本罪の未遂が成立するか、或いは犯罪不成立となる
かについて、争いがあります。一部の学者は、以上の場合は本罪の未遂が成立するとします。なぜなら、中国刑法の総
則規定によれば、刑法各則に定める故意犯のすべてに既遂、未遂の区別が存在するからです。他方、別の見解によれ
ば、偽劣製品の生産額が五万元を超えても、本製品を販売せず又は同売上額が五万元に満たない場合、或いは五万元以
上の偽劣製品を仕入れただけで実際に販売せず、または売上額が五万元に満たない場合には、一般的な行政上の違法行
為であって、犯罪は成立しない、とされます。司法解釈によれば、偽劣製品は、まだ販売せず、ただその価値金額が刑
法一四〇条に規定された売上金額の三倍以上である場合に、偽劣製品生産販売罪(未遂)で処罰するとされています。
 また、司法解釈は存在しないのですが、現在の判例によれば、予備行為の処罰は殺人罪、放火罪、強盗罪などの犯罪
に限られています。
 したがって、中国の司法実務関係者の中では、次のような会話がなされています。つまり、刑法典だけでは、刑事事
件を適正に解決できず、さらに最高司法機関の司法解釈などを読まなければならないといわれているのです。司法解釈
とは、最高人民法院または最高人民検察院が刑法の適用に関する刑法規定についての具体的解釈を示したものであっ
て、その主な機能は、刑法における難解な文言を解釈して統一的に理解させることにあります。中国では、司法解釈が
きわめて重要な法源となっています。ある意味では、司法解釈が刑法の法源となっていることも、中国刑法の特徴の一
つであるといえます。
 以上、日本刑法と対比しながら、中国刑法の特徴を簡単に概括しました。もし中国刑法についての初心者である皆様
の理解にとって、すこしでも有用となれば幸いです。
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中国刑法の特徴と犯罪構成論について
二 中国の犯罪構成論
 つづいて、私は中国では、最近非常に議論の激しい問題、即ち犯罪構成論の改革について、紹介した上で、私の個人
としての見解を示したいと思います。
 周知のように、日中の刑法学でもっとも異なるところの一つは、犯罪構成論です。中国では、犯罪構成は、犯罪を認
定する際の具体的な基準となる犯罪成立要件の総和であると解されています。これは犯罪構成要件と呼ばれることもあ
ります。しかし、その構成要件の意味は、日本における構成要件理論とは異なっています。日本の刑法理論では、犯罪
とは「構成要件に該当する違法で有責な行為である」とされることが多いと思います。これによると、犯罪成立要件
は、「行為」↓「構成要件」↓「違法性」↓「有責性」、あるいは「構成要件」↓「違法性」↓「有責性」であるとさ
れ、犯罪は、それらの要件を逐次検討して、そのすべてがそろったときに成立するものと考えられています。しかも、
それらの要件は、近代刑法原則を具体的に保障するために必要な犯罪認定の順序を示すと同時に、犯罪成立要件間や犯
罪構成要素間の序列を示すものであって、全体として、犯罪論としての体系性を持つとされます。これは犯罪体系論と
も呼ばれます。これに対して、中国の「犯罪構成論」は、犯罪を成立させる諸要素を明らかにし、それらの「総和」を
もって犯罪とするものです。したがって、これは犯罪要素論とも呼ばれます。この犯罪要素論こそ、現在の中国刑法学
界において、活発に議論されているものです。
 ただ、この犯罪構成論の問題を検討する前に、まず、中国の犯罪概念を説明しておく必要があります。犯罪概念につ
いては、形式的定義と実質的定義があります。前者は、「犯罪とは、刑法により刑罰を科される行為である」というよ
うに犯罪の本質・内容を問題にすることなく、法律に規定されたものをそのまま犯罪とする定義です。後者は「犯罪と
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は、国家のよってたつ社会の基本関係に危害をおよぼす行為である」というように犯罪の本質・内容を明らかにする定
義です。日本の場合は、主に形式の面から犯罪を定義し、中国の場合は、主に犯罪の実質的定義をより具体的に示して
いるところに違いがあります。
(一)中国における犯罪概念
 中国刑法一三条は、犯罪概念について、次のように規定しています。即ち「国家の主権および領土の安全に危害を与
え、国家を分裂させ、人民民主独裁の政権を転覆し、社会主義制度を転覆し、社会秩序と経済秩序を破壊し、国有財産
または労働大衆による集団所有の財産を侵害し、公民による私的所有の財産を侵害し、公民の人身権利、民主権利およ
びその他の権利を侵し、さらにその他社会に与えた行為で、法律に従い刑罰による制裁を受けなければならないもの
は、すべて犯罪である。ただし情状が著しく軽く危害の大きくないものは、犯罪と認めない」としています。こうした
犯罪概念を規定化する発想は、旧ソ連の一九二六年刑法に由来します。
 この一三条の文言の前半部分では、各種法益侵害行為が列挙されていますが、犯罪概念の構成要素とされるのは、①
社会的危害行為、②法律に従わない行為、即ち刑法の規定に違反する行為、③刑罰による制裁を受けるべき行為の三種
です。
 このうち、「社会的危害性」という概念は、社会的政治的実体概念であり、国家と国民の利益に対して一定の侵害を
もたらすか、或いはもたらす可能性を持つ行為を指します。行為の社会的危害性は犯罪の最も本質的な特徴をなすもの
であり、もしその行為が社会的危害性をともなわないものであれば、それは犯罪行為ではありません。その社会的危害
性の有無と大小は、社会の政治経済的条件に制約されます。さらに、行為の社会的危害性の有無と大小は、客観的存在
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中国刑法の特徴と犯罪構成論について
であり、人の意思によるものではありません。
 「法律に従わない行為」とは、中国では刑事違法性を有する行為とも称されます。ただ、この違法性とは、日本の刑
法学でいう違法性とは異なり、日本法との比較でいえば、構成要件該当性に相当するものです。中国の刑法教科書で
は、通常「社会的危害性を排除する行為」という章が立てられていますが、その内容としては正当防衛と緊急避難が想
定されています。この正当防衛や緊急避難が、日本刑法では、違法性のところで論じられているのを見ると、日本刑法
の違法性と中国刑法の社会的危害性が対応しあうといってよいと思います。
 「刑罰による制裁を受けるべき行為」について、昔の通説では、「重大な社会的危害性と刑事違法性から派生するもの
であり、従属的性格を有する」とされていましたが、現在では、可罰的な社会的危害性がなければ、犯罪にならないと
いう犯罪成立における積極的要素になっています。
 したがって、中国刑法一三条の規定によれば、「社会的危害性」と「違法性」が犯罪の基本要素であり、日本刑法論
でいわれる有責性は含まれていません。これは中国刑法における犯罪定義についての大きな欠陥であるといえます。先
ほど申し上げたように、中国刑法一三条の規定は旧ソ連から取り入れたものですが、旧ソ連解体後のロシア連邦刑法
は、過去の立法伝統を保持し、その一四条に犯罪定義を設けました。その中で、もっとも注目すべきところは、旧ソ連
刑法と異なり、犯罪定義において主観的要素を強調し、「違法であると認識して」実行された社会的危害行為のみを犯
罪としたことです。このように見ると、中国刑法一三条の犯罪定義に、どのように責任の要件を取り入れるかは今後の
研究課題の一つだと思います。
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(二)中国における犯罪構成要件論
 一、犯罪構成の定義
 中国の刑法における犯罪構成は、中国の刑法に規定されているものを指します。即ち、ある一つの具体的な行為の社
会的危害性およびその程度は、当該行為が犯罪を構成するために必要な一切の客観および主観要件の総和によって決定
されます。この定義から以下の点を見出すことができます。
 (一) ある種の行為が犯罪を構成するために必ず備えなければならない客観要件と主観要件とは、中国の刑法によっ
て規定されます。これは、罪刑法定主義の中国刑法における具体的表現です。
 (二) 犯罪構成は一系列の主観、客観要件の総和です。これらの要件が一つに結合されて、その罪が構成されるので
す。
 (三) いかなる犯罪要件もすべて多数の事実的特徴を有しています。ただし、一つ一つの事実的特徴がすべての犯罪
の構成要件ではありません。行為に対する社会的危害性およびその程度が決定的な意味を有する場合のみ、ま
た犯罪を構成するのに必要な事実的特徴が存在する場合のみ、犯罪構成要件となるのです。
 ちなみに、中国の通説によれば、犯罪構成と犯罪概念とは、密接な関連をもつと同時に相違も備える二つの概念で
す。犯罪概念が回答する問題とは、犯罪とは何か、犯罪はどのような基本的特徴を有するかということです。犯罪構成
は一歩進んで、犯罪が成立するにはいかなる要件を備えなければならないのか、すなわち、犯罪を構成する具体的条件
と基準について答えるものです。犯罪概念は犯罪構成の基礎であり、犯罪構成は犯罪概念の具体化であるとされていま
す。犯罪概念は総体的に、罪か否かの限界を明確に区別します。そして、犯罪概念は、罪か否かとともに、ある罪とそ
の他の罪との限界を明確に区別する具体的基準です。
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中国刑法の特徴と犯罪構成論について
 二、犯罪構成要件の共通要件
 (一)客体
 客体とは、保護法益のことであり、従来の通説によれば、中国刑法によって保護され、犯罪行為によって侵害される
社会主義的社会関係を指します。ただ、その「社会関係」の意味が極めて不明であり、現在、日本の学説を参考とした
法益侵害説が有力説となっています。
 犯罪構成要件要素としての客体は、その範囲から一般客体、同類客体および直接客体の三種類に分けられます。一般
客体とは、中国刑法が保護する法益の全体です。この一般客体からは、全犯罪の共通本質を見出し、犯罪と闘う社会
的、政治的意義を説明することができます。犯罪の同類客体とは、中国刑法の保護を受ける法益の特定部分ないし分野
です。中国刑法は、まさに犯罪の同類客体に基づいて、社会における様々な犯罪を、大きく、国家安全に対する犯罪、
公共安全に対する犯罪、社会主義市場経済秩序を破壊する犯罪、市民の人身と民主の権利を侵害する犯罪など一〇種類
に分類しています。日本では、刑法各則における具体的な犯罪の保護法益は何かが、かなり問題になっていますが、中
国では、このような問題は殆ど存在しません。刑法各則はすでに各犯罪の保護法益を明確に規定しているからです。犯
罪の直接客体とは、刑法によって保護される法益の一具体的部分です。たとえば、殺人罪の直接の客体は個人における
生命の権利です。
 (二)客観面
 犯罪構成の客観面は、犯罪行為の客観的な外在的表現を指します。犯罪の客観的側面を説明する実際的特徴には、危
害の行為、危害の結果、行為と結果との間の因果関係、犯罪の時間、場所などがあります。
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 (三)主体
 主体とは、犯罪行為を実行し、法律に基づいて犯罪行為に対して刑事責任を負うべき者を指します。中国刑法の規定
によれば、犯罪主体は、以下の三つの条件を備えなければなりません。
 ①犯罪主体は、自然人だけではありません。単位つまり法人などの団体も犯罪主体です。中国刑法第三〇条は、会
社、企業、事業体、機関または団体が社会に危害を及ぼす行為を行った場合、法律が組織体犯罪と規定するときは、刑
事責任を負わなければならないと規定しています。
 ②自然人の犯罪主体は必ず刑事責任年齢に達した者でなければなりません。中国における刑事責任年齢の規定では、
一四歳未満の者は、社会に及ぼすいかなる行為を実行しても、刑事責任を負いません。これを完全無刑事責任年齢とい
います。一四歳以上一六歳未満の者は、殺人など八種類の犯罪を犯した場合に、刑事責任を負わなければなりません。
これを相対的刑事責任年齢といいます。一四歳以上一八歳未満の犯罪者は、処罰に際して、軽減するかまたは軽減方向
で処罰されます。
 ③犯罪主体は刑事責任能力を持つ者でなければなりません。中国刑法は、精神病者が、自分の行為を判断できず、ま
たは自己の行為を抑制できずに、危害の結果を招いた場合は、刑事責任を負わないと規定しています。ただし、その家
族または監護義務者に対しては、厳しく監護および治療に当たるよう命ずるべきであり、必要と認められるときには、
政府が強制的に治療を加えることができます。間欠性の精神病者が精神正常時に行った犯罪は、刑事責任を負わなけれ
ばなりません。刑法は、さらに、酩酊中の者の犯罪は刑事責任を負わなければならないと規定しています。なお、聾唖
者または盲人の犯罪は、処罰を軽減もしくは免除することができます。
 (四)主観面
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中国刑法の特徴と犯罪構成論について
 犯罪の主観面は、犯罪主体が自己のなした社会に危害を及ぼす行為が引き起こした危害結果に対して有していた心理
態度を指します。これには故意、過失および犯罪の目的、動機が包含されます。日本と違って、中国刑法では、犯罪の
主観面に関する故意、過失の構成を明確に規定しています。
 犯罪故意とは、行為者が、自己の行為が社会に危害を及ぼすであろうことを明確に認識していながら、なおかつ、そ
の結果の発生を希望あるいは放置する心理状態を指します。犯罪故意は、直接故意と間接故意とに分かれます。
 犯罪過失とは、行為者が、自己の行為がもたらす可能性がある社会的被害の結果を予見しなければならないのに、油
断、不注意から予見しなかったり、あるいは予見していたが回避できると軽視したことによって、その被害結果の発生
を導いた心理状態を指します。したがって、犯罪過失は、油断、不注意による過失(認識なき過失)と自己過信による
過失(認識ある過失)とに分けられます。
 犯罪目的とは、行為者が犯罪行為の実行により、達成を希望する結果です。犯罪目的は、直接故意をもってなされた
犯罪にのみ存在し、犯罪目的を明らかにすることは、犯罪の性質を認定する際に極めて重要な意義を有します。犯罪動
機とは、行為者を犯罪行為の実行へと至らしめた内心の起因を指します。犯罪動機は、行為者の主観的悪意の程度を反
映しており、刑事裁判実務における正確な量刑に対して一定の意義を有します。
 以上の四つの犯罪構成要件は有機的に統一されており、不可分な統合体です。いかなる犯罪の成立についても、以上
の四つの共通要件を具備しなければなりません。たとえば、中国刑法二三二条は故意殺人罪を規定していますが、中国
の構成要件論によって、この罪を構成するには、以下の要件を備えなければなりません。①行為者が他人の生命権を侵
害すること(客体)、②行為者が不法に他人の生命を剥奪する行為を実施したこと(客観面)、③行為者が刑事責任能力
を有し、かつ責任年齢に達していること(主体)、④行為者の故意殺人であること(主観面)。これらの構成要件は有機
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的に統一された全体であり、一つでも欠くことは許されません。
 三、犯罪構成論に関する議論
 最近、中国では、一部の学者から、中国の伝統的な犯罪構成論を捨てて、日本のような犯罪体系論を導入することが
提案されています。その主な理由は、以下の通りです。
 第一に、犯罪構成は、ある行為が犯罪を構成するかどうかを判断する唯一の基準である、ということには疑問がある
とされます。つまり、中国の通説によれば、「かかる行為が犯罪構成に該当することこそ、行為者が刑事責任を負う根
拠であり、しかも唯一の根拠である」といいます。つまり、犯罪構成は刑事責任の唯一の根拠であり、ある行為が一旦
具体的犯罪の犯罪構成に該当すると結論すれば、その行為は必ず犯罪となり、例外は存在しません。逆に、ある行為が
犯罪を構成しないと認定される唯一の理由は当該行為が犯罪構成に該当しないということです。しかし、現実には、わ
が国の刑法理論および実務関係者の中で、ある行為を犯罪とすべきかどうかを判断する際に、犯罪構成という基準以外
に、さらに二つの基準を用いています。一つは正当防衛、緊急避難などのいわゆる「社会的危害性が排除される行為」
です。つまり、ある行為が犯罪構成に該当すると認定されても、正当防衛、緊急避難として行った場合は、犯罪を構成
しません。もう一つは刑法一三条に規定されている「ある種の行為が一定の社会的危害性を有していても、情状が著し
く軽微でかつ被害が大きくないものは、犯罪と認定しない」という犯罪概念です。そこでは、行為が社会的危害性を有
するかどうか、および危険性を有した場合にはその大小が、有罪、無罪を区別する主な基準となります。このような二
つの基準の存在は、「犯罪構成は刑事責任の唯一の根拠である」という基準に反するのではないかということです。
 第二に、中国の犯罪構成論は犯罪を成立させる諸要素を明らかにし、それらの「総和」をもって犯罪とするだけで、
諸要素間に認定の順序づけや価値序列はありません。そのために、主観的要素と客観的要素が同じような重要性をも
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中国刑法の特徴と犯罪構成論について
ち、犯罪を構成するかどうかを認定する際に、主観的要素を優先的に考えることを防止できません。結局、犯罪である
かどうかを判断する際に、主観主義の道を歩みやすいのではないかということです。
 以上の理由で、現在、中国の一部の学者は、中国の伝統的な犯罪構成論を捨てて、日本、ドイツなどの犯罪体系論を
導入しようと呼びかけています。
 しかし、私は違う見解を示したいと思います。確かに、中国の現在の犯罪構成論に、一定の欠陥があることは事実で
すが、それは致命的な欠陥ではありません。私は、少し手を加えて是正すれば、その欠陥を克服することができると思
うのです。
 中国の犯罪構成論に致命な欠陥がないと考える理由は以下のようなものです。
 まず、中国の犯罪構成論によれば、かかる行為が犯罪構成に該当すると認定されれば、その行為は必ず犯罪になりま
す。つまり、犯罪構成に該当することはかかる行為が犯罪になるかならないかの唯一の基準であり、その犯罪構成該当
性以外に、犯罪を判断する基準はありません。社会的危害性が排除される行為および犯罪概念をもって、犯罪の成立基
準とすることは大きな誤解です。なぜならば、正当防衛、緊急避難はもともと犯罪構成に該当しないということです。
中国の犯罪構成論によれば、犯罪構成には形式的な内容と実質的な内容、あるいは事実判断と価値判断とを同時に含ん
でいます。形式的な内容としては、たとえば、故意殺人罪の場合は、必ず「人」が「故意」に「他人」を「殺した」こ
とが必要であり、窃盗罪の場合、必ず「人」が「他人」の「所持」している「五〇〇元から二〇〇〇元までに値するも
の」を盗まなければなりません。このような形式的な要素を備えないと、まず犯罪構成に該当しません。ただ、これだ
けでは足りないのです。さらに、実質的な内容が必要です。実質的な内容は多岐に渡り、例えば、正当防衛は、実在す
るまたは進行中の不法な侵害行為に対してのみ行使できる行為ですから、形式上故意殺人罪の犯罪構成の諸要件を充足
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しているようにみえても、ただ、当該行為は公共の利益、本人又は他人の合法的権利、利益を守るために、不法な侵害
行為に対して実行した行為で、実質的には社会的危害性あるいは法益侵害性を有しておらず、殺人罪の犯罪構成の客観
的側面の要求を満たさないので、殺人罪の犯罪構成を充足しません。また、誤想防衛の場合もそのように理解できま
す。防衛者は誤想の侵害者を殺害して、形式上殺人罪の犯罪構成の諸要件を充足しているようにみえても、実質的に
は、防衛者は自分の行為が社会に危害を及ぼすであろうことを明確に認識していないだけでなく、逆に自分の行為が社
会の利益になる行為であると思っていますので、故意殺人罪を認めるために必要な主観的側面を備えていないことにな
り、故意殺人罪の構成要件を充足しません。犯罪の確定には、犯罪構成という基準以外に、さらに二つの基準があるこ
とによって、「かかる行為が犯罪構成に該当することが、当該行為者が刑事責任を負う唯一の根拠である」という見解
が破綻したという見解は妥当ではないと思います。
 次に、中国の犯罪構成論の下では、犯罪成立に必要な諸要素間に認定の順序づけや価値序列はないという指摘は、犯
罪構成論にとって、解決できない致命的な問題とはならないと思います。
 中国の平面的な犯罪構成論の下では、犯罪を成立させる四つの要素が同じレベルにあり、皆同じように重要性を持
ち、いずれも欠かせないように見えますが、その内部では、前後と軽重の区別があると思います。言い換えれば、この
四つの要素の順序付けには、各学者の犯罪観や価値観といったものが示されています。
 例えば、各犯罪構成要素の内部関係について、犯罪主体↓犯罪主観面↓犯罪客観面↓犯罪客体という順序付けをすべ
きだとする見解は、現実生活における全犯罪は、全て法的保護客体に対して主体が行う侵害ですが、主体が一定の媒体
を通した場合に限って客体に作用を及ぼします。すなわち、犯罪主体条件に合致する者は、その犯罪心理にしたがっ
て、一定の社会に危険性を及ぼす行為を実行し、一定の客体即ちある種の社会関係を侵害します。そして、主体が、犯
53 ( 53 )
中国刑法の特徴と犯罪構成論について
罪構成を構成する諸要素の中で、最も重要な要素であり、犯罪構成のその他の要素を含む犯罪構成全体を存立させる前
提条件であると主張します。この見解によると、犯罪構成の役割は犯罪主体つまり犯罪者を確定することにあります。
同様に、犯罪構成要素は犯罪主体↓犯罪客観面という順序づけをすべきと主張する見解によれば、現実における全犯罪
はすべて法的保護客体に対して主体が行う侵害ですが、主体が一定の媒体を通した場合に、客体に作用を及ぼします。
こうして、全犯罪構成の基本構造即ち犯罪主体、媒体、犯罪客体が形成されるようになります。その犯罪主体と犯罪客
体とは、犯罪構成の有機的統一体の両極を示し、その両極を繋ぐ媒体は、犯罪主体の犯罪活動です。犯罪構成の最高段
階の構造において、犯罪主体は、主導性と能動性を最も備える要素として、犯罪活動全過程の発起者、司祭者及び支配
者の役割を果たします。犯罪活動全過程の構造、特徴も、主体の個性、特徴とくに人格的危険性により決定、制約され
ると考えます。そして、この見解は、前の見解と同じように、犯罪構成要素の順序付けは行為者つまり犯罪主体を中心
にすると主張しています。
 逆に、犯罪構成要素の順序づけを犯罪客体↓犯罪客観面↓犯罪主体↓犯罪主観面というようにすべきとする見解は、
客観面から主観面まで犯罪を認定することは人類の発展を経て残された成果と経験であり、外国で主張されている構成
要件該当性から、違法性と有責性を経て、犯罪を認定する一般論と共通しています。さらに、刑事司法の実務でも、常
に犯罪客体に何らかの被害を受けた後に、司法機関が、誰が、何の目的で被害を起こしたかを調査するという手順で、
犯罪を捜査します。この手順からみても、やはり、犯罪構成要素の順序付けについて、客観面を前に、主観面を後にし
た方が妥当である、とします。したがって、犯罪構成要素の順序付けは、犯罪主体↓犯罪客体というようにすべきであ
るとの見解は大きな誤りであると批判します。
 以上の見解について、いずれが妥当であるか、その検討はここでは留保しますが、中国の犯罪構成論の下では、犯罪
( 54 ) 54
を構成する諸要素の間には、一定の順序づけと価値序列があることは否定できないのです。従って、中国の伝統的な犯
罪構成論の下では、諸要素間に認定の順序付けや価値序列はないという批判は妥当ではありません。
 ただ、中国の犯罪構成論には、ひとつの重要な問題があります。それは犯罪概念の唯一性の問題です。
 既述のように、中国の犯罪構成論によれば、犯罪構成は一系列の主観的要件或いは要素と客観的要件或いは要素の総
和です。いかなる犯罪構成でも、数多くの要件が包含されています。これらの要件を一つに結合して、その罪の犯罪構
成が構成されるのです。これらの構成要件は有機的に統一された全体であり、一つも欠くことはできません。したがっ
て、犯罪構成は、ある行為が罪となるか否かとともに、ある犯罪とその他の罪との限界を明確に区別する具体的な基準
でもあります。
 しかし、犯罪とは、必ず客体、客観面、主体、主観面という四つの要件を備えなければならないとすれば、ある種の
犯罪を追及することができないという状態が生じてきます。
 例えば、中国刑法三一〇条には犯人隠匿庇護罪が定められています。つまり、罪を犯した者であることを知りなが
ら、その者のために住居もしくは財物を提供し、逃亡を幇助し、又は虚偽の証拠を提供してその者を庇護した行為で
す。本罪が成立するための行為対象は、必ず「罪」を犯した者です。
 ここで問題が生じます。例えば、ある一三歳の少年が殺人罪を犯し、彼の両親がその事実を知った後に、彼に旅費を
渡し、逃亡させた場合、少年は一四歳未満だから、当然刑事責任を負いませんが、彼を庇った両親の行為が刑法三一〇
条の犯人隠匿庇護罪を構成するかどうかが、問題となります。また、同じ問題は、刑法三一二条の贓物隠匿移転購買代
行販売罪にも存在しています。
 中国での現在の犯罪構成論によれば、当然犯罪にならないでしょう。なぜならば、一三歳の少年は、たとえ人を殺し
55 ( 55 )
中国刑法の特徴と犯罪構成論について
たとしても、刑事責任年齢に達していないため、犯罪にならないからです。そうすると、刑法三一〇条に規定された犯
人隠匿庇護罪の前提は存在せず、彼の両親は殺人罪が成立しないことを認識しながら、息子を庇ったのであるから、犯
罪を行う故意は認められません。したがって、本罪が成立しないとの結論を出すのは当たり前のことではないでしょう
か。同じ問題は、贓物犯罪にも存在しています。行為者に贓物罪が成立するためには、犯罪により取得した贓物である
ことを知りながら、これを隠匿し、移転し、買収しまたは販売の代行をしたことが必要です。そうすると、一五歳の者
に盗まれた物であることを知りながら、わざと買収する行為は、一五歳の少年の窃盗行為は犯罪になりませんので、結
局、その者に盗まれた物を買収する行為も犯罪にならない、ということになります。これは中国の犯罪構成論から得ら
れた結論だけでなく、司法実務においても、かなり多くの判例でも、そのように判断されています。
 しかし、このような理解には、深刻な問題が潜んでいると言わざるを得ません。贓物罪、犯人隠匿罪のように、その
犯罪が成立するために、その行為対象としての前提行為が犯罪でなければならない犯罪類型は、架空のものになるかも
しれません。なぜならば、既述のように、一三歳の少年が殺人あるいは傷害をする場合、彼の両親に庇護されることが
常にありうるし、一五歳の人が盗んだ物を買収することも少なくありません。さらに、中国の刑事訴訟法一二条によっ
て、人民裁判所の審判を経なければ、いかなる者も無罪と推定されます。犯人隠匿罪などにおいて、もし庇われた犯人
が死亡し、あるいは捕まらなかったため、裁判に掛けられなくなり、裁判所が有罪判決を下さないとすれば、その犯人
を庇護した事実も絶対に犯罪にならない、ということになります。そうすると、犯人隠匿罪は常に適用されない罪名で
はないか、という疑問が生じます。
 実際に、犯人蔵匿罪または贓物罪は国の司法活動を妨害する犯罪であり、たとえ犯罪構成要素の中の一要素を備えな
いとしても、真犯人を庇うことが確実に国の司法活動を妨害したことは間違いありません。このような国の司法活動を
( 56 ) 56
著しく妨害する行為を犯罪としないと、犯人隠匿罪または贓物罪を規定しても、なんらの意味もないことになります。
したがって、私は、去年に公表した論文において、中国では、もう一つの犯罪概念が必要ではないかと提案しました。
この犯罪概念は、ある種の犯罪構成要素を全部揃える必要はなく、ある人が故意または過失によって刑法により保護さ
れている法益を侵害しただけで十分である、というものです。この犯罪概念は、行為者に刑事責任を追及する必要があ
るかどうかとは関係なく、客観的な法益侵害があれば、成立すると考えるものです。
 このような犯罪概念があれば、前述した問題を解決することができます。たとえば、一三歳の殺人容疑者を庇った場
合、たとえ一三歳の少年が殺人罪の刑事責任を負わなくても、他人の生命を奪ったことは事実であり、他方で人がこの
事実を知りながら、わざと少年を庇護し、間違いなく、国の犯罪捜査活動を妨害したのです。このような国の司法活動
を妨害した行為は、犯人隠匿罪として、追及することができるのです。
 中国刑法には、このような刑事責任の追及と関係ない「犯罪の概念」が実際に存在していると思います。例えば、刑
法一七条五項は以下のように規定しています。つまり、「一六歳未満のため刑罰を加えない者については、その親又は
看護義務者に管理、教育を行うように命じ、必要があれば政府がその者を収容し教育することもある」。この規定から
は、一六歳未満の者は危害行為を惹起できないのではなく、危害行為を惹起しても、刑罰を加えられないのです。この
点から見ても分かるように、悪い行為、犯罪と呼ばれる部分と犯罪と呼ばれない部分とがあります。中国の犯罪論は主
に後ろの部分を研究し、前の部分はあまり研究していません。実は、前の部分にもそれなりの研究価値があると思いま
す。
 以上、簡単に中国刑法の特徴および犯罪構成論を、日本法と比較したうえで、纏めてみました。総体から見れば、中
国刑法には、まだまだ足りないところが山ほどあると思いますが、中国が日本とかなり違う刑罰規定を適用しているこ
57 ( 57 )
中国刑法の特徴と犯罪構成論について
とは間違いありません。この意味で、近年、日中刑事法学界の有識者が活発に行っている日中刑事法学の交流は非常に
有意義な活動だと思います。
 私の報告は以上です。ご清聴ありがとうございました。
 
(本稿は、二〇〇七年一二月一二日に行われた法務研究科主催の秋期講演会の講演の内容に加筆したものです。)


中国刑法の理論と実務の現状
陳  家  林 *
一、中国刑法概说
 中華人民共和国の刑事法制度の確立には、長期間を要し、この間、紆余曲折を経験した。1949
年10月 1 日の人民共和国成立宣言以降、中華民国の『六法全書』(すべての現行法をいう)は全面
的に廃止され、同時に新しい法律の制定が承認された。これによって、50年代初期には、『反革命
処罰令』などのような刑事特別法が制定された。それ以後、立法機関には何度も刑法典を制定す
る計画が浮上し、その都度いくつかの草案が起草されたが、文化大革命などの政治運動の影響に
よって、立法作業は、結局のところ頓挫した。それゆえ、その後30年間、中国では実際には刑法
の存在しない状態が続いた。
 文化大革命の終了後、刑法典制定作業は再開された。その当時の法典の制定は、1954年以来の
各刑法草案を参考にし、最終的には第38次草案を基礎としたものであり、1979年に至って「中華
人民共和国刑法」が制定され公布されるに至った。これは、中華人民共和国史上はじめての刑法
典である(以下、1979年刑法典と略す)。1979年刑法典の公布と施行によって、中国の刑事法制度
は新しい段階に入ったということができる。
 しかし、1979年刑法典は、保守的であり、具体的な内容面でもお粗末なものであった。その理
由は、この刑法典は、それが制定された当時の政治、経済、文化及び社会治安状況に制約された
ものであり、さらに立法経験も不足していたという点にある。その結果として、この刑法典は、
その後短期間に多くの面で社会の現実生活に適応しないことが明らかになった。中国の最高立法
機関は、1981年から1995年までの間に相前後して25本の単行の刑罰法規を可決した。しかも、90
本あまりの経済、民事、行政、軍事、文化、教育、環境、衛生や社会保障等に関する法律の中に
罰則を設け(いわゆる付属刑法規範)、1979年刑法典に対する大幅な改正及び補充を行った。1997
年 3 月14日、新しい『中華人民共和国刑法』(以下、中国新刑法典と略す)が可決された。この新
刑法典は既に1997年10月 1 日から施行された。中国新刑法典は、総則と各則及び付則からなり、
全部で15章からなる。1979年刑法典の全部で192条の条文は452条の条文に増やされ、その法改正
の規模及び関連する範囲は、中国において空前絶後であるといえる。
 しかし、中国社会の発展の速度は、立法者当時の予想を遥かに超えたものであった。中国の新
編集部注 * 中国武漢大学教授 本稿は2010年 4 月24日に開催された第86回特別研究会の報告原稿に、加筆修正
したものである。
― 38 ―
刑法典が可決されて以降、13年間にも満たずして、中国では既に一部の単行の刑罰法規、すなわ
ち『為替の詐欺的購入、為替監督逃れ、為替不法売買罪を処罰することに関する決定』が可決さ
れたほか、第 7 次『刑法修正案』も可決された。これらの法律は、刑法の改訂を各則の規定に限
定したが、現在起草中の第 8 次刑法修正案では、刑法総則の内容が比較的大規模に改正されるだ
ろうと言われている。
 日本の刑法典と比べると、中国の新刑法典とその後の刑事立法には、以下のような特徴がある。
 第一に、刑罰法規の統一化という点である。刑罰法規の統一化と完全化を実現することが、1997
年中国における刑法典の改正、すなわち新刑法典の公布・施行の重要な目標であった。中国新刑
法典は、前述した25本の単行の刑罰法規および付属刑法規範をすべて刑法典の中に取り入れた。
その後、上述した1998年の『為替の詐欺的購入、為替監督逃れ、為替不法売買罪を処罰すること
に関する決定』という単行の刑罰法規以外に、刑法改正に当たって、修正案を採用し直接に刑法
の条文に増減を加えた。現在中国において、本当の意味での付属刑法規範は存在しない。すべて
の犯罪は刑法典に定められている。この点は、日本における状況との大きな違いである。現在こ
の立法方式に対して、中国刑法理論における通説は、肯定的な見解をとっている。その主たる理
由として、刑法典は、相対的に大きな抑止力を持っているのであるから、すべての犯罪を刑法典
に規定することによって、犯罪の予防に優れているのみならず、司法機関の法適用に便宜である
という点が挙げられている。しかし、ここ数年来、中国の学界においては、統一刑法典という立
法方式に対し疑問の声も上がっている。すなわち、この方式によると、本来、経済刑法ないし行
政刑法によって規定すべき経済犯罪・行政犯罪を刑法典の中に規定することになり、刑法典を常
時改正していかなければならないという事態を招き、その安定性を欠くことにつながる。この方
式が空白刑法という手法を用いるため、刑法典とその補充規範との間に相互に矛盾する事態を招
くことになるというのである1)。しかしながら、多数の学者達は、当面、この方式を維持すべきだ
と主張している。
 第二に、独自の犯罪概念という点である。中国では、違法行為と犯罪は二つの異なった概念で
ある。犯罪の成否は、社会に与える危害の程度による。中国における通説によれば、犯罪とは、
著しい社会危害性があり、刑事不法となり、刑事罰に値すべき行為を指す。中国刑法第13条には、
「犯情が極めて軽く、危害が著しくない場合は犯罪にならない」とある。したがって、中国では犯
罪かどうかを決定する主たる判断基準は、社会危害性の大きさであり、行為の類型ではないので
ある。社会危害性の軽い行為は、中国では『治安管理処罰法』(日本の『軽犯罪法』と類似するも
のである)に違反する行為であり、社会危害性が大きい行為は、『刑法』規範に違反する場合、犯
罪となる。例えば、中国刑法では具体的な犯罪を規定する中で、「情状が重い」あるいは窃盗罪に
おける「比較的多額」といった術語が頻繁に登場する。いかなる情状が「情状が重い」ないし「比
較的多額」に当たるのかは、中国では最高裁判所により司法解釈によって定まる。例を挙げると、
中国最高裁判所によれば窃盗罪に関する司法解釈の規定により、「500人民元から2000人民元」の
1) 張明楷「刑事立法の発展方向」、『中国法学』2006年 4 期。
― 39 ―
場合は窃盗罪の「比較的多額」に当たる。各省の高級裁判所は「500人民元から2000人民元」の範
囲内で地元地区の経済発展レベルによって地元の犯罪構成金額を定める。
 私が住んでいる湖北省では、1000元を盗んだ場合は「比較的多額」に当たり、窃盗罪と見なさ
れる。一方、上海市では、上海市高級裁判所の規定により「2000元」以上なら「比較的多額」に
当たり、窃盗罪と見なされる。このような差がでるのは、中国各地域の経済発展レベルも大きな
差異があり、全国統一の標準を決定し難いからである。要するに、日本には、軽微事案を処理す
るにあたって、刑法理論によって提案された『可罰的違法性論』が用いられることがあるが、中
国ではこの理論の精神が立法において直接的に表明されているのである。
 疑問の余地がないのは、中国犯罪の概念では「社会危害性」という概念が核心的な意義をもつ
ことである。この概念に対しては、中国国内でも激しく論議されている。反対者は「社会危害性」
は法律概念ではなく政治概念と思われ、犯罪認定への不確定性を導きやすくするのであって、こ
のようなソビエト式の概念を徹底的に切り捨てるべきであるという。賛成者は立法あるいは司法
解釈により具体的な犯罪の「社会危害性」の意味を明確にし、その不確実性を避けることができ
ると考える。この争論について後に述べる犯罪論体系の論争にも深く関連している。
 第三に、「単位犯罪」を明確に規定していることが挙げられる。中国新刑法典第30条は、「会社、
企業、事業体、機関または団体が社会に危害を及ぼす行為を行った場合、刑法が単位犯罪である
と規定するときは、刑事責任を負わなければならない」と規定している。これは、「単位犯罪」の
構成要件といわれている。1997年刑法改正以前には、学界では法人犯罪という用語がよく使用さ
れていたが、刑法改正後、「単位犯罪」という用語が使用されている。「単位犯罪」とは、会社、
企業、事業体、機関、団体によって行われた犯罪であると言ってよいが、「法人犯罪」や「企業犯
罪」や「会社犯罪」の範囲より広い。簡単にいえば、「単位犯罪」とは法人か非法人かを問わず、
会社か企業か機関かを問わず、すべての単位が処罰対象となるのである。単位犯罪における「単
位」は「会社、企業、事業体、機関または団体」を指している。その中では「会社、企業、事業
体、機関」が比較的に理解しやすいですが、「団体」について、中国では一般的にある目的で自由
意識によって集まり、独立した経費や規則を持ち、政府に認可され登録できる合法組織のことを
指している。例えば、労働組合、婦人連合会などが挙げられる。「単位」の可罰性の導入によっ
て、民間及び国の経済単位その他の単位自身が刑罰に服することが可能になった。単位を処罰す
るために、それが唯一可能なサンクションとして罰金刑が規定された。そうした単位と並んで、
ある組織について責任を負い、組織のために行為する自然人の刑事責任を問うことは従来通りで
きなければならないとされた。単位を処罰する可能性は、以前から一定の刑事特別法の領域には
存在したが、今回、一般的に導入されたのである。にもかかわらず、単位の処罰が認められるた
めには、各則の各犯罪構成要件が単位の可罰性を明示的に規定していなければならない。単位犯
罪の規定に対して、中国の学界はおしなべて積極的な態度をとっている。問題は、国家機関も同
様に単位犯罪の主体とするのは妥当なのかどうかであり、これについては理論上多くの異なった
見解が唱えられている。一例を挙げると、2006年に、新疆ウイグル自治区ウルムチ市鉄道中級裁
判所が、単位収賄罪の嫌疑をかけられ公訴を提起されたが、これは中国初の国家機関による犯罪
― 40 ―
が問われた事例である(おそらく世界でも唯一の例といってよいかもしれない)。この事件は、中
国国内でも大論争を引き起こした。この処罰に賛成する者は、司法機関が法律に基づいて刑罰を
科するのであり、法律の前では人はすべて平等であるという原則を尊重するがゆえであるとみな
している。他方、反対する者は、数多くの疑義を表明している。すなわち、裁判機関がもし有罪
判決を受ければ、それ以降、裁判権を行使する権限を持ち続けるのか、国家機関の費用はすべて
に財政予算から支出されるが、罰金判決を受けた場合は国家が自身を処罰することになるのかど
うか等である2)。両者の意見には大きな相違があるため、最終的には、検察院が、裁判所の起訴を
取り下げ、それ以降、収賄の罪名でのみ当裁判所の長官を起訴するという結果に決着した。
 第四に、独自の共犯規定の方式という点が挙げられる。関与者の分類に関して、行為者の、共
同される犯罪における分担を基準にして関与者を分類する方法と、関与者の、共同される犯罪に
おける役割を基準にして分類する方法とがある。関与者を正犯、教唆犯、従犯(幇助犯)に区分
するドイツ、日本、ソ連の分類方式は前者のタイプに属する。関与者を主犯、従犯に区分するア
メリカ、イギリスの分類方式は後者のタイプに属する。中国刑法は、後者の分類方法をメインに
して、混合的分類方式を採用し、関与者を主犯、従犯、脅迫犯、教唆犯に区分する。犯罪集団を
組織し若しくは指導して犯罪活動を行った者、又は共同される犯罪において主たる役割を果たし
た者は、主犯である。共同される犯罪において二次的又は補助的役割を果たした者は、従犯であ
る。脅迫されて犯罪に加わった者は、脅迫犯である。人を教唆して罪を犯させた者は、教唆犯で
ある。中国刑法では、正犯については明文の規定がなく、教唆犯の規定のみがあるため、理論上
その規定から正犯、幇助犯の概念を導き出したのである。しかし、この種の正犯概念が果たす主
要な役割は、犯罪行為の罪名を決定することであり、量刑にかかわるものではない。中国では、
量刑の程度を決定する標準が、主犯、従犯という分類である。正犯、教唆犯の大部分が主犯であ
るが、従犯である可能性もある。そのため、日本の刑法とは異なり、中国正犯の概念は刑罰の程
度には関係していないのである。日本で議論されている共謀共同正犯という概念は、中国では教
唆犯あるいは組織犯とみなされるのであり、量刑においては主犯として処罰される。それゆえ、
理論上、共謀共同正犯の概念は不要であると思われる。
二、中国の刑法理論における焦眉の論争問題
(一)犯罪論体系
 犯罪論とは、犯罪の共通な構成要素を明らかにし、それに基づいて犯罪の一般的成立要件を解
明しようとする議論及びその成果である。旧ソ連刑法の影響により、中国では犯罪成立要件を「犯
罪構成」と呼ぶようになった。中国の刑法理論における一般的な理解によれば、犯罪構成とは、
刑法により規定された、犯罪の成立に必要なすべての主観的要件と客観的要件の有機的統一体で
あるとされる。犯罪構成は、四つの要件(以下では中国通説での犯罪論体系を四要件論と呼ぶ)
2) 馬克昌「機関は単位犯罪の主体としては相応しくない」、『現代法学』2007年 5 期。
― 41 ―
を含む、すなわち、⑴ 犯罪客体。犯罪客体とは、中国刑法によって保護され、犯罪行為によって
侵害される社会関係を指す。その「社会関係」の意味について、中国では多くの論争が存在し、
数多くの学者は日本刑法理論を参考にして、犯罪客体を法益と同一視している。中国では、客体
とは、行為の客体ではなく、保護の客体をさすのが一般的である。行為の客体を表すものとして、
「行為の対象」という用語が用いられている。⑵ 犯罪の客観面。犯罪の客観面とは外部に現われ
た行為、危害の結果などの客観的事実を示すものの総称である。犯罪の客観面には行為、危害結
果および因果関係などの客観的要素が含まれる。⑶ 犯罪の主体。犯罪の主体とは、刑事責任能力
者であって社会的危害性を有する行為を行った者をいう。⑷ 犯罪の主観面。犯罪の主観面とは、
社会的危害性を有する行為及び結果に対する行為者の主観的状態をいい、これには故意及び過失
が含まれる。
 一般的には、冷戦という特定の時代背景の影響のもとで、四要件論は中国において歴史的には
合理性を持ったといえる3)。しかし、四要件論が今日においても現実的合理性を有しているかどう
か、それが時代的要請に合致しているかどうかという点に関しては、前世紀の80年代から中国で
論争が一貫して存在しており、いくつかの全く対立した見解が対立している。
  1 、全面的否定説。この見解は、伝統的な四要件論は以下のような根本的な欠陥を持つと考え
る。⑴ 時代の発展と乖離している。四要件論は、一定の歴史段階の産物であるにすぎないし、主
計画経済時代の政治、経済及び法制の基本的状況を反映するものである。時代の発展につれて、
わが国の政治と経済の状況には、根本的な変化が生じている。伝統的犯罪構成理論体系を大きく
改革すべきは、歴史の必然である。⑵ 四要件論は、犯罪の認定を基本価値の方向へと誘導し、訴
訟機関が有罪につながる証拠を重視しすぎ、無罪につながる証拠を無視する傾向に導く。⑶「犯
罪性が阻却される行為」は犯罪構成理論と整合性をもたない。中国の通説によれば、「当該行為が
犯罪構成に該当することこそ、行為者が刑事責任を負う根拠であり、しかも唯一の根拠である」
といわれる。つまり、犯罪構成は刑事責任の唯一の根拠であり、ある行為が一旦具体的犯罪の犯
罪構成に該当すると結論に至れば、その行為は必然的に犯罪となり、例外は存在しない。しかし、
現実には、ある行為を犯罪とすべきかどうかを判断する際に、犯罪構成という基準以外に、正当
防衛、緊急避難などの「犯罪性が阻却される行為」という基準が用いられている。日本では、例
えば、正当防衛や緊急避難等とされるべき「犯罪性が阻却される行為」は、違法性の段階で犯罪
性で判断されるため、犯罪論体系の一部内容に属している。他方、中国での四要件論では「犯罪
性を阻却される行為」にふさわしいようなそれを適切に位置づける場所がなく、理論上の欠陥を
もたらした。⑷ 主観要件と客観要件の関係は不明である。四要件論においては、主観要件と客観
要件は同列に位置付けられており、こうした平面的な構造の中では、どの要件を先に判断すべき
かは必ずしも明らかでなく、したがって、主観要件の判断が先行するのを防止することも困難に
なるのである4)。
3) 高銘暄「四要件犯罪構成理論の合理性及び中国刑法学体系の維持について」、『中国法学』2009年 1 期。
4) 周光権「中国における犯罪論体系をめぐる論争と展開」、『環境犯罪と証券犯罪』(成文堂 2009年)、18‒28頁。
― 42 ―
 否定説に立つ論者達は、四要件論に代わるべきさまざまな提案を採用した。その中でも、大陸
法系の三段階犯罪論体系を直接に取り入れるべきだと主張する見解の影響がますます大きくなっ
てきたといえよう。
  2 、部分的修正説。この観点からは、中国の現在の犯罪構成論に、一定の欠陥があることは事
実であるが、それは致命的欠陥とはいえないとする。それによれば、主観的要素の認定の論理的
順番につき、それが客観的要素の判断に先だって認定されるという問題点が克服されて、犯罪構
成においては区別されることなく犯罪構成体系に取り入れられることになっている「犯罪性が阻
却される行為」に位置づけを与える合理方法が発見されるとするなら、通説が現在有している欠
陥は克服できるのである5)。この観点を取り入れるために、仮に四要件論を徹底的に否定して三階
層理論を採用するとするなら、中国のすべての裁判官、検察官および弁護士は、全員もう一度刑
法の基本理論を勉強し直さなければならなくなるが、そのようなことは、中国においても、そし
ていかなる他の外国においても、成し遂げ得ないことである。
 2009年には、否定説をとる学者達の提案にもとづき、「中国全国司法試験指導大要」が伝統的な
四要件論を放棄して、「構成要件該当性、違法性、有責性」という三段階体系を採用した。ただこ
のやり方は一部分学者の激烈な反対を招き、本年度(2010年)、中国の司法試験指導大要がどのよ
うに書かれるのかが注目すべき微妙な問題となっている。
(二)死刑問題
 ここ数年、中国の刑法学界が特に注目している問題の一つが、死刑問題である。中国の学者は
数多く死刑に関連する論文を著し、外国の学者特にヨーロッパの学者と頻繁に共同研究を行った。
私が奉職する武漢大学も、近時、ドイツのマックス・プランク研究所と共同で死刑に関するアン
ケートを実施したが、その研究成果は、近く中国版と英語版で出版される予定である。
 総括的に言えば、中国における死刑については、以下の特徴が強調されている。
 第一に、死刑を科する犯罪は徐々に増加してきたという事実である。日本等の諸国と比べると、
中国刑法典の中で規定されている死刑にあたる犯罪は多い。中国の旧刑法典のなかで死刑を設け
ている条文は15条あり、刑法典各則の全条文の14.5%にあたる。罪名で見ると、死刑にあたる犯
罪は28にも及んで、全犯罪の12.1%を占める。しかし、旧刑法典が実施されてからまもなく、「特
別刑事法」が次から次へと制定されるようになった。それにより、死刑を法定刑とする条文は、
新たに15条も増やされ、その犯罪は50以上もそれぞれ増やされた。1996年末までの中国では、死
刑犯罪は、なんと80以上もあったのである。この状況に対して、死刑が多すぎるという批判は、
刑事法学者を中心に展開され、死刑問題は当時進められていた刑法改正作業の中で大きな問題と
なった。1997年刑法典は、旧刑法典及び「特別刑事法」の中での死刑の規定を基本的に取り入れ
ながらも、学者達の主張に配慮し、死刑犯罪の削除や条文の統合といった小さな工夫をして、死
刑の条文と死刑犯罪の減少に努めた。その結果として、現行刑法典では、死刑の条文は49条、そ
5) 黎宏「我が国犯罪構成体系は再構成の必要がない」、『法学研究』2007年 1 期。
― 43 ―
の罪名は67にとどまることができた。現行刑法典各則が定めている罪名はあわせて444であるが、
67の死刑犯罪はその約15%にあたる。積極的に評価するに値するのは、現行刑法が公布されて以
来、中国では 7 つの刑法修正案によって、多くの犯罪が補充され増加させられたが、これらの犯
罪の全てに全く死刑の規定はなかったという点である。
 第二に、刑法総則では死刑を厳しく抑制するのに対し、刑法各側では実際には死刑の適用性を
拡張しているという事実である。両者には明らかに矛盾がある。
 中国刑法の総則では死刑の条件は、非常に厳格に適用されている。刑法第48条によると、「死刑
は犯罪行為が極めて重大な犯罪者だけに適用する」という。第49条によると、犯罪時に18歳未満
の者および裁判時に妊娠している婦女に対しては、死刑は適用されないと定めている。「死刑は適
用されない」というのは、即時執行の死刑が禁止されるのみならず、 2 年間の執行猶予つきの死
刑判決も禁じられることを意味する。 2 年の執行猶予つきの死刑は、中国刑法にある制度の一種
である。具体的に言えば、中国の刑法には刑種として死刑は一種類しかないのであるが、その執
行制度として、即時執行死刑と執行猶予つき死刑という二種類のものがあるわけである。刑法第
48条によると、「死刑の執行猶予に付された者が、死刑の執行猶予期間中に故意による犯罪を犯さ
ない限り、 2 年の期間満了後、無期懲役に減刑する。明らかに重大な功績を立てた場合は、 2 年
の期間満了後、15年以上20年以下の有期懲役に減刑する。故意による犯罪を犯したことが確認で
きた場合、最高人民法院の許可により、死刑を執行する。」この規定からも分かるように、執行猶
予つき死刑の場合は、猶予期間中の情状により、最終的には、執行されないで、無期懲役または
有期懲役に減刑される場合もあれば、執行される場合もある。ただ死刑を執行する条件は、再び
故意による犯罪を犯したことであり、それゆえ司法実務においては、死刑の執行猶予に処せられ
た者が死刑を執行されなかったという場合が圧倒的多数である。
 総則の慎重な態度と比較すると、上述した通り、各則では67の死刑犯罪が定められ、これらの
死刑犯罪の分布は、刑法各則における各章節に分けられている。故意の殺人罪といった暴力的な
犯罪以外に、大量の経済秩序を損なう犯罪と横領罪・賄賂罪、麻薬犯罪などの非暴力性犯罪にも
すべて死刑が規定されている。ある犯罪の場合は、例えば、犯罪方法伝播罪は規定されて以来20
数年間、この規定によって被告人に死刑が執行された事案は一つもなかった。このような死刑規
定が、実際上の意義をもつことがなかったことは歴然としている。
 第三に、死刑とその他の処罰方法では厳罰性という点での差異が大きい。中国刑法では有期懲
役の上限が15年と規定され、複数の犯罪を犯したことにより処罰される「併合罪」の場合も20年
を越えないとされる。中国における無期懲役は、本当の意味での終身刑ではなく、無期懲役に処
せられた者が執行が開始された 2 年後には20年以下の有期懲役に減刑されるのである。 2 年の執
行猶予つきの死刑に処せられた者は、 2 年の期間満了後、無期懲役に減刑され、また 2 年後に20
年以下の有期懲役に減刑される。このように考えれば、中国の無期懲役は実際的には22年の有期
懲役に相当し、 2 年の執行猶予つきの死刑は、24年の有期懲役に相当するということができる。
もちろんこれには更なる減刑、仮釈放の可能性もある。いま仮定するとして、20歳で罪を犯した
者が即時執行の死刑に処せられる場合は命が失われる。死刑の執行猶予に処せられる場合は40歳
― 44 ―
を過ぎた頃に刑務所から出所できる。このような立法上での不調和が、被害者の家族が以前にも
増して強く死刑の即時執行を要求する傾向をもたらし、それによって死刑執行の数の上昇をもた
らした。中国の学界は、近年日本などの国が有期懲役の上限を高めるという立法の動向に注目し
ていたが、中国で難航しているのは、死刑犯罪の削減を前提としないで有期懲役の上限を高める
ことが、中国刑法典を更に厳重化する原因となるという点である。他方、死刑犯罪を現段階で削
減するのは現実的ではない。
 中国の刑法学界では、現在、明確に死刑廃止を主張する学者はいまだ非常に少ないといってよ
い。多数の学者達は、現段階では死刑規定を存置すべきだと考えているが、死刑犯罪を削減する
と同時に、実際に死刑に処する人数も削減される必要がある。これに対し、中国一般民衆におけ
る死刑に対する支持率は非常に高い。しかし、ここ数年で起こっていた何件かの事件も、ある程
度民衆に死刑への反省を招き、中国における死刑改革の歩調を速める働きをしていた。ここで、
中国で発生した有名な 2 つの冤罪事件を紹介したい。
 その一つは聶じょうじゅひん
樹斌事件である。聶樹斌とは中国北部の農民の名前であり、彼は、1995年に、地
元の女性を強姦し殺害したとして死刑に処せられた。2005年になって、他の事件で逮捕された容
疑者が、この事件を犯したと自白し、事件の状況を詳細に供述したのである。このことはメディ
アにとりあげられて広く知られるようになった。聶樹斌の遺族もメディアのインタビューを受け
た。父親は息子を失った悲しみから自殺未遂を起こした。母親は、「一人息子でした。あの子がす
べての希望だったのです。私の未来は破壊されました。息子がいなければ、私も家族も生きてい
けません」と語ったと報道された。報道によれば、中国では多くの人々が、とくにインターネッ
トで、この事件に関心を示した。
 もう一つは、䍪
しゃ

しょう

りん
事件である。䍪祥林は、中国湖北省の警察官の名前である。1994年 1 月彼
の妻が行方不明となり、妻の親族が䍪祥林が関与していると疑って、警察に通報した。 4 月11日
䍪祥林家の付近の水溜りで妻に似た死体が見つかったので、䍪祥林は殺人の疑いがかけられて、
逮捕された。その裁判において、警察による尋問の際、激しい拷問を受けたことによって自白し
たと主張し無罪を訴えたが、死刑判決を受けた。1994年10月一審で出された死刑の判決の判断に
不服を申し立て、䍪祥林は湖北高級裁判所に上告した。湖北高級裁判所は事実が不明であり、且
つ証拠不十分を理由に差し戻すよう指示したことを受けて地方裁判所に審理をさせたのである。
最終的に、差し戻し後二審で殺人罪として懲役15年の最終判決を言い渡した。11年後の2004年 3
月、妻が突然家に帰って来たことから䍪祥林の殺人が冤罪であることが明らかになった。2005年
4 月 1 日に、全ての容疑が晴れて、䍪祥林は正式に無罪となり、釈放された。彼と彼の家族は、
45万元(およそ643万円)の賠償を受けた。2005年 5 月、䍪祥林事件で直接調査に携わっていた警
察官は社会世論の批判に耐えられなくなって自殺した。一方当時水溜りで発見された女性の死体
が誰なのかは未だに謎である。
 このような冤罪事件に対する一般市民の懸念が、死刑制度の改善、特に死刑囚が直面する裁判
の質の向上に対する運動を加速させた。2005年10月に、最高裁判所は、多くの場合は下級の裁判
所に委任されていた役割である国内の全ての死刑判決を承認する権限の再開を公式に発表した。
― 45 ―
2007年 1 月 1 日に、最高裁判所は、国内の死刑判決のすべてを再審理するという役割を復活させ
た。仄聞するところによれば、2007年中国では死刑執行率が2006年より30から40%下がったよう
である。犯罪率など多数な要素を考えると、中国の死刑を全面的に廃止するにはまだ長い時間が
かかるであろう。1994年に中国のある学者が、博士論文の中でその後有名になった「百年の悲願」
について記していた。それは、2010年までに中国の死刑犯罪を15に減らし、2050年までに死刑犯
罪を殺人罪などの少数の犯罪に制限することであった。また2100年までに死刑を全面的に廃止す
ることであった6)。当時、他の刑法学者は、この学者の観点はあまりにも悲観的なものと考えられ
た。しかし、今日に至っては、その当時の観点はあまりにも楽観的なものであったといえよう。
現段階では学界が主とする目標とは、まず司法機関は出来るだけ死刑につき厳しく認定させるこ
とを求め、その次に、一部の経済犯罪など非暴力犯罪については段階的に死刑を廃止するよう努
めることである。
 中国は劇的な変化を経験しつつある。著名な小説家ディケンズの名句を借りれば、「それは最良
の時代であり、それは最悪の時代であり……それは光の季節であり、それは暗闇の季節であり、
それは希望の春であり、それは絶望の冬であった。」現在の中国は、様々な複雑な問題に直面して
おり、刑法理論も同様に苦痛に満ちた転換を経験している。何十年か経った後には、中国の刑法
学者は、日本などの先進国に学ぶことによって、自からの理論をより一層改善し、豊かなものに
することになるであろう。ただ、この道程を歩むには、相当に長期間を要するものと思われる。


中国の死刑制度とその基準について
中国の死刑について
 第237回メルマガ配信分(2) 

中国雑学
今回は重いテーマですが
死刑制度について触れたいと思います。

日本でも死刑制度の存続か否かは
意見の分かれるところです。

どちらかを支持するのではなく、
現在の中国の状態についてお話します。

 

中国では死刑制度がある
現在世界の3分の2から4分の3の国は
死刑制度を廃止、
もしくは事実上廃止しています。

死刑制度がある日本や中国は
その観点からいうと少数派にあたります。

 

中国の死刑執行数は公開されていませんが
世界最大数であると思われています。

日本の死刑執行数は年平均10件ほどなので、
およそ100~200倍の死刑が
中国では行われています。

日本と中国の対人口比率からみても
かなり高いといえます。

 

日本ではなかなかない基準での死刑も
死刑になりうる犯罪の類も
日本と中国では異なります。

もちろん殺人や凶悪犯罪の類は
死刑になることがありますが、
その他には以下のような事件も
死刑判決が下る可能性があります。

 

横領、収賄
中国ではワイロを受け取ると
最悪死刑になることがあります。

金額や規模にももちろんよりますが、
少なくない政府関係者が捕まっています。

今中国では政府公務員の汚職撲滅に
かなり力を入れているので、
さらに今後収賄罪での死刑者が増えるかもしれません。

 

麻薬関連
中国では麻薬関連の取り締まりが
非常に厳しくなっています。

麻薬は使用しなくても、
輸送・所持だけでも処分の対象になります。

日本人旅行者がアルバイトとして荷物を預かり
知らずに麻薬輸送に関わってしまうこともあるので、
くれぐれも中身の知らない荷物を預かって
中国に行ってはいけません。

 

婦女暴行
日本でも重い犯罪にあたりますが
中国では死刑になることがあります。

中国では強姦や強盗や暴行など
暴力的な犯罪に対しては、
日本以上に非常に重い刑が科される傾向があります。

 

詐欺、窃盗罪
損害額によりますが
これも死刑になることがあります。

全国的に影響力のある商品の不正による事故なども
もちろん対象になりえます。

それでも不正を行う企業が
減っている印象はありませんが…。

 

誘拐、人身売買
中国の誘拐はそのほとんどが
身代金目当てではありません。

人身売買のために誘拐されます。

そのため子どもを狙った誘拐が後を絶ちません。

計画的誘拐などは死刑の対象となり得ます。

 

もちろんどこの国いても
法律を順守することは当たり前のことですが、
罪を犯した場合中国では日本以上に
重い刑が科される可能性があります。

旅行の時にはくれぐれも羽目を外しすぎないように
気をつけましょう。

 

それでも中国は世界的に見て、
どちらかといえば犯罪発生率は低い国です。

悪い事をしなければ
比較的安心して過ごすことができます。


密輸、窃盗など非暴力的な経済犯罪13項を死刑適用除外へ―中国

2010年8月23日、BBC放送中国語サイトは記事「中国全国人民代表大会、死刑適用罪の削減を検討」を掲載した。

【そのほかの写真】

23日、中国の全国人民代表大会常務委員会は「刑法修正案草稿」について議論した。草稿では、密輸、詐欺、窃盗など非暴力的な経済犯罪13項が死刑適用罪から除外されている。中国では現在68項目の死刑適用罪が存在するが、草案がこのまま認可されれば、1979年以来初の減少となる。

中国は世界で最も死刑執行数が多い国。しかし国際的人権組織の統計によれば、近年、死刑執行数は明らかに減少しているという。中国の最高人民法院は死刑判決の数を減らし、乱用を慎むよう複数回にわたり通告している。(翻訳・編集/KT)

23日、BBC放送は記事「中国全国人民代表大会、死刑適用罪の削減を検討」を掲載した。現在、審議中の刑法修正案草稿では密輸など非暴力的な経済犯罪13項を死刑適用罪から除外すると定めている。写真は昨年7月、死刑判決を受けた薬物販売グループ。

 

中国、裁判官の「有罪判決ノルマ」廃止検討―警官の「逮捕ノルマ」も

中国の元裁判官、ジャンウェイ・ファン氏は裁判官の人事評価制度をあからさまに批判している。裁判官の評価項目に有罪判決件数の「ノルマ」達成があるからだ。「ばかげているの一言に尽きる」。

 こうした「ノルマ」廃止を検討する動きが共産党にも広がっている。国営の新華社通信によると、共産党の司法部門である中央政法委員会は今週、警察官や検察官、裁判官などの人事評価で、逮捕や起訴、有罪判決などの件数を目標に設定するのを「断じてやめる」よう求めた。

 中国最高人民法院最高裁)も昨年12月、ノルマに基づく裁判所の評価をやめ、業務成績を評価する上でノルマ達成を重視しないよう求める判断を下した。

 新華社が指摘しているのが、えん罪事件の増加だ。「(ノルマ達成のため)罪を犯したとの前提に影響を受けたり、拷問による自白を重視して死刑などの有罪判決が出た例もある」という。

 ファン氏は2000年代半ば、東部・浙江省で裁判官補を務めた。ノルマ廃止となれば、共産党が昨年10月、「法の支配」強化を発表して以降、最も大きな一歩になると考えている。

 中国では刑事事件の有罪判決率が90%を超える。ファン氏の話では、有罪判決のノルマを達成するため、裁判官や検察官が、被告人が無罪であると考えても執行猶予付き判決を言い渡す場合もあるという。


欧州が日本に「人権条項」要求・・・実は人権侵害だらけだった日本

ブリュッセル時事】欧州連合(EU)と日本が、貿易自由化に向けた経済連携協定(EPA)と同時並行で締結交渉を行っている戦略的パートナーシップ協定(SPA)に、日本で人権侵害や民主主義に反する事態が起きた場合、EPAを停止できるとの「人権条項」を設けるようEUが主張していることが5日、分かった。日本は猛反発しており、EPAをめぐる一連の交渉で今後の大きな懸案になりそうだ。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの調べだと死刑廃止国(事実上の廃止も含む)は世界の3分の2。執行しているのは約20か国に過ぎません。死刑執行数の断トツ1位は中国で、イラン、イラクなど中東の国が多く含まれます。イスラム諸国は欧州の法制度とは別の「イスラム法」に依拠するためです。先進国で制度が存在して執行が行われているのは上位10か国のうちアメリカと日本ぐらいです。

ちなみに、先進諸国の第一審有罪率の平均は約70%程度、陪審員制度を採っている米国(州によって違いはあるものの)の刑事裁判における有罪率は、平均で約78%程度、中国約98%程度、旧ソ連ですら約90%超であり、日本の刑事裁判における有罪率99.9%は歴史的・統計的にも異常値であると言えます。具体的な数値は不明ですが、様々な情報を総合すると、ナチスドイツの刑事裁判における有罪率すらも99.9%にははるかに及ばないと推定されます。

刑事訴訟法では警察の留置が原則48時間(2日)までで、警察が「裁判を起こしてもらうか判断するに足りる」と考えたら検察庁に身柄が移されます。検察の取り調べは原則20日間までで、そこまでに起訴(裁判にかける)かどうかを決めます。日本の刑事裁判の有罪率は99%以上。ゆえに検察の起訴か不起訴かとの判断はまさに運命の分かれ道となります。この間、容疑者(罪を犯したと疑われる者)は基本的に外部と接触できません。

可視化は国連規約人権委員会も日本に勧告しました。それに慎重な意見の多くは「可視化したら供述が引き出しにくくなり、本来求められている真相究明に滞りが出る」「法制化したら捜査員や検察官が萎縮する」です。


 検察の取り調べ段階で否認すると起訴後も保釈されない「未決勾留」も問題視されています。刑事訴訟法は起訴後の保釈請求を原則として「許さなければならない」としています。しかし実態は起訴内容を否認したり黙秘するとたいてい認められません。重罪の容疑の場合は認めてもダメです。結局、捜査機関に勾留されたままになって事実上「懲役スタート」のようになってしまいます。

国連が指摘する日本の人権侵害

国連が指摘した人権侵害は他にもあります。女性差別、障害者差別、同和問題、子どもの権利侵害、先住民族アイヌ)差別など。これとは別に法務省の人権擁護機関は性的少数派(いわゆるLGBT)や原発事故での被災者差別などを課題として取り上げています。女性差別は出産・育児の段階で退職してしまうM字カーブ問題(OECD加盟国でこの傾向が見られるのは他に韓国ぐらい)、男性は育児休業の取得率は2012年で1.89%という極端な少なさ。8割が取得するスウェーデンと比べるとゾッとするほど低いのです。女性管理職の比率11.1%も欧米に比べるまでもなく低く、フィリピン、シンガポール、マレーシアの後塵をも拝しています。


中国人を研修生と称して時給300円の奴隷として扱っている国があるらしい 日本人酷すぎワロタのまとめ

「判決を聞いて本当にうれしい」。島原市の下着縫製 会社(破産)で 研修生として働いていた中国人女性5人の訴えを認めた4日の長崎地裁判決。

李さんは06年に 研修生として来日。
だが、来日後の生活は「奴隷」そのものだった。早朝 から深夜まで多い時で1日800枚の下着を縫製した。 時給はわずか300円程度。判決は「労働基準法違反の程度は大きい」と指摘した。


中国人女性3人の提訴内容によると、来日後間もなく、協同組合は3人のパスポートを取り上げた。実習生の行動の自由を制限し、辞職の際に厳しい罰金を課すなどの慣行に関し、海外でも批判が強まっている。アメリカ国務省は、「2013年度人身売買報告」の中で、日本の「外国人技能実習制度」を「搾取的」と批判した。

 

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日中産学官交流機構 第 94 回中国セミナー 日 時: 2014 年 7 月 24 日講 師: 王 雲海氏(一橋大学大学院法学研究科 教授)テーマ: 「犯罪、刑罰、裁判の国際的比較から見る中国社会の特質」日中関係は今、一種の過渡期、試練の時期である。今こそ双方の違いを理解し、つきあい方を考える好機と言える。本日は刑事法における違いから中国の特徴を考えてみたい。日本では金額の多寡に拠らず窃盗すれば、警察・司法で窃盗罪として処理される。ところが、中国では刑法上少額であれば窃盗罪に問われることはない。アメリカでは州によって異なり、南部は日本、北部は中国と似ている。また、刑務所に服役した犯罪者に対する社会の反応も異なる。中国で 1986 年に初めて発表された金持ちランキングで、ベスト 10 の内 6 人が服役経験者であった。過去の刑罰歴は社会で問題視されない。ところが、日本では一生社会で受け入れられず、再犯率が高い。アメリカでは刑務所を出ると自由だが、メーガン法で性犯罪は社会・警察で厳しく監視される。犯罪捜査でも違いがみられる。日本では警官は暴力・暴言を使わず、人情に訴え取り調べる。それは捜査、刑事手続き、裁判も同様。義理人情を大切にする日本の文化に法律が追随している。中国では「禍は口から」という諺があり容易に自白はしない。そこで捜査官は机を叩き、恫喝、暴力で自白させる。アメリカでは捜査、裁判は戦いであり、中世の決闘の手続きのように、適切な手続きが求められる。そこでは、囮捜査や司法取引は常識である。しかし、日本では囮捜査はやっと組織犯罪、麻薬、テロに対して認められるようになったが、それ以外は国民が許容していない。中国では麻薬、組織犯罪、国家安全違反、テロの4種類の犯罪には囮捜査を許している。司法取引は今日本でも議論されているが、アメリカでは刑事事件の 95%は司法取引で解決され、司法コストの削減に寄与している。共同・複数犯罪で主犯を逮捕するために、共犯者の罪を不問に付す見返りに主犯の犯罪を証言させる、あるいは同一犯人の重い犯罪を不問とする代わりに軽い犯罪を認めさせ事件を解決するという手法である。アメリカは陪審員制度を実施している。同じ犯罪には同じ手続きが求められるが、素人の陪審員により異なる判決が出ても社会的に許される。日本も最近始めた。中国では共産党政権当初から陪審制を行っていたが、陪審員が見つからないという問題と裁判は裁判官が行うべきだとして 1997 年に廃止。ところが、2002 年日本が陪審員制度を導入したことから 2004 年に復活。日本における刑法上の犯罪論体系は質=犯罪である。具体的には、犯罪構成与件の該当性、違法性、責任制が揃うと犯罪とされる。刑事訴訟法上でも質のみ判断され、逃亡の恐れ・証拠隠滅の恐れがあるとどんな微罪でも逮捕できる。中国では質と量双方が考慮される。逃亡の恐れや証拠隠滅の恐れがあっても、かつては 3 年以上の懲役刑を言い渡せるほどの重い犯罪でないと逮捕できなかった。日本で三個の石鹸を盗んで逮捕された中国人がいたが、中国では石鹸三個で逮捕されたり、罪に問われることはない。暴行事件でも相手に相当の傷を負わせることがない限り逮捕されることはない。ただ政治犯は例外で厳しい。中国では違法と犯罪は異なる概念で、違法であっても余程でないと犯罪にならない。最近発生した上海における食品問題でも当該の食品会社従業員は「死ぬことはないから違法であっても犯罪にならない」と思っている。
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中国の窃盗は量がないと犯罪にならないが、2 年前までは窃盗罪でも死刑を言い渡すことが出来た。中国の犯罪は狭く刑罰は重い。アメリカでは経済犯罪、性犯罪は違法=犯罪とされ厳しい。それ以外は中国に似ている。日本では犯罪とされる行為は広いが重い刑罰に処せられることは少ない。窃盗罪の65%は不起訴となる。しかし、犯罪として宣告されたら社会から厳しい罰を受ける。今や、日、中、米とも変化の時代に入り、グローバル化・情報化・大衆化が進み、民主主義から立憲主義に軸を転換することが求められている。歴史からどういう権利と義務を負っているのか再検討し、感情的な友好関係から法律に基づく関係に進む時期に来ていると考えられる。


中国では500元以下の万引きは刑事事件になりません。一方、日本は厳罰化? [気になるニュース]
覚せい剤を日本に密輸しようとし、死刑を科せられた
日本人の刑が中国で執行され、罰が重すぎるのでは
と量刑の妥当性の是非が問題となりましたね。

それを毎日新聞の余録が取り上げています。

ちょっと読むと、少し驚くべき事実が紹介されています。

2010年4月8日、
《余録:日本で万引きによる窃盗や…》
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20100407ddm001070017000c.html
《日本で万引きによる窃盗や、警官とのいざこざでの公務執行妨害
逮捕や起訴された中国人は差別されたと不満を抱くという。
比較法学の王雲海一橋大教授によると、日本人ならそんな「小さなこと」で
刑事事件にしないと思うらしい▲
というのも中国では500元以下の盗みは刑法上の窃盗にならないという。
発覚しても大半がその場限りの行政処分や被害者との話し合い、
叱責(しっせき)ですませる。この日中の法意識の違いが
「差別」の誤解を生むのだという
(「日本の刑罰は重いか軽いか (集英社新書) 」集英社新書)》

この王教授の本を読んでいないので、断定できないのですが、
中国の部分だけを取り上げ、日本の窃盗犯(万引き)を
どのように処分するのかについて書いておかないと、
誤解を招く恐れがあると思います。

500元は、おおよそ7000円。
それ以下の盗みは、刑事事件と扱わないで、
《その場限りの行政処分や被害者との話し合い、
叱責(しっせき)ですませる。》というのが中国。

これに対して、日本は7000円ほどの盗み(万引き)を
どう取り扱うのでしょうか?

例えば、スーパー、書店などで万引きをした場合、
店員、保安員が犯人を捕まえた場合、店内で、謝罪、賠償がなされれば、
そこで、解放し、処分が終わる場合もありますが、
最近の傾向としては、警察に引き渡し、被害物件の価格のみならず、
警察の手続きにかかった店員の人件費までも賠償の対象にするという
傾向があるようです。

警察に行った場合どうなるのか?

被害額、初犯かどうか、取り調べの態度(素直に調べに応じ、
事実を述べているか、反省の弁を述べているか)、賠償したかなどを考慮し、
検察に送致せず、警察にとどめ、「微罪処分」とすることがあります。

微罪処分になった場合、警察限りで捜査が終結し、
それ以上、刑罰はうけません。
刑事訴訟法第246条但書・犯罪捜査規範第198条)。

微罪処分の場合、微罪処分事件報告書を作成し、
事件の概要を検察官に報告します。(犯罪捜査規範第199条)。

その後、訓戒、保護者、雇い主を呼び出し、
注意を与えるなどを行います。(犯罪捜査規範第200条)

刑事訴訟法第246条
司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、
速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。
但し、検察官が指定した事件については、この限りでない。》
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html

《犯罪捜査規範第198条(微罪処分ができる場合)
捜査した事件について、犯罪事実が極めて軽微であり、
かつ、検察官から送致の手続をとる必要がないと
あらかじめ指定されたものについては、送致しないことができる。

犯罪捜査規範第199条(微罪処分の報告)
前条の規定により送致しない事件については、その処理年月日、被疑者の氏名、
年齢、職業及び住居、罪名並びに犯罪事実の要旨を1月ごとに一括して、
微罪処分事件報告書(別記様式第19号)により検察官に報告しなければならない。

犯罪捜査規範第200条(微罪処分の際の処置)
犯罪捜査規範第198条(微罪処分ができる場合)の規定により事件を送致しない場合には、
次の各号に掲げる処置をとるものとする。
1被疑者に対し、厳重に訓戒を加えて、将来を戒めること。
2親権者、雇主その他被疑者を監督する地位にある者又はこれらの者に代わるべき者を呼び出し、将来の監督につき必要な注意を与えて、その請書を徴すること。
3被疑者に対し、被害者に対する被害の回復、謝罪その他適当な方法を講ずるよう諭すこと。》
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S32/S32F30301000002.html

もちろん、警察で逮捕・拘留し、検察に送致する場合もありますが、
(その後も起訴されず、不起訴処分になることも多い)
逆に、微罪処分にもせず、「説諭」で終わる場合もあるようです。

というわけで、すべての万引き犯を、
刑事事件にして、送致している訳ではありません。

なお以上の傾向が、2006年の刑法改正で変化したと言われています。

20006年に刑法の窃盗罪の規定が改正され、従来、懲役しか
科せられなかったところ、罰金も科せられるようになりました。

「10年以下の懲役または50万円以下の罰金」(刑法235条)
http://www.moj.go.jp/houan/houan_keiho-keiso_refer05.html

窃盗罪に罰金刑が導入されたのは、
万引犯が増加しており、それを抑えるという狙いです。

それまで軽微な窃盗は、上に書いたように不起訴処分・微罪処分
比較的多かったのですが、改正以後は、軽い処分ですませず、
略式起訴を行い、罰金刑を科す傾向が強まったと言われているようです。

少額の万引きでも罰金が科せられるようになったという意味で、
日本の刑法は、万引き、窃盗に厳しくなったと言えるかもしれません。


【中国】秩序はどこに?トラック横転で村人がひよこ争奪戦
sozai_589
2015年8月25日昼間(現地時間)、中国・山東省栄烏(さんとうしょうえいう)を走る高速道路で、大型トラック1台が横転しました。

トラックの荷台は数万羽のひよこ。

付近の村民がこのニュースを聞きつけて現場に押し寄せ、ひよこを保護?強奪?したというニュースです。
現場の高速道路は土を数メートル盛って、その上を通していて周囲は広大な田園です。
駆けつけた警察官が全力で止めに入りましたが、付近の村民のほか、数十キロ渋滞して車から降りた人もひよこの争奪戦に参加しました。トラックの運転手は為す術もなく「トラック1台分のひよこの総価値は5万元(約95万円)だ」と述べました。

荷台からひよこが落ちて走っている。ひよこが遠くに逃げようとする。
人々は押し寄せた。ひよこを掴む。我先にと掴む。
持ってきた段ボール箱に入れる。口元にんまり得意顔。


日本と中国では窃盗罪が違う?

持ち帰りが事実であれば、日本人にはとても考えられない事件だと思います。
もちろん、中にはきちんと保護して返す人もいると思いますが、トラックが横転したというニュースではなく、モラルや社会基盤である秩序を疑うという視点がポイントとして挙げられていることは残念でなりません。
過去にも同様の事件が報じられています(下記参照)。

他人の所有物の持ち去りは犯罪行為で、窃盗罪に該当します。
しかし中国の法律では、泥棒に遭って警察に通報したら「いくら盗られたか」が問われます。
少額の万引きでは警察は動かず、一定金額以上を盗らないと窃盗罪にならないのです。これに対して日本では、1円でも盗ったこと自体で窃盗罪が成り立ちます。

これは「量と質」で判断されることが関係しています。
犯罪行為が行われたかどうかの有無以外に、その罪における被害額・程度も重視されます。犯罪が行われたこと自体を厳しく問う傾向がある日本ですが、中国はその一因だけでは罰せられません。しかし窃盗は軽い刑かというとそうではなく、死刑の可能性まであります。
共産主義による封建・独裁制は言論・報道の自由を規制し、次々と都市部に高層ビルを建設する一方で、多くの農民の生活は窮困して格差化しています。これら背景を元に、法と秩序が守られる終着点はあるのでしょうか。

【日本の刑法】

(窃盗)
第二三五条
他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

【中国の刑法】

第二六四条
公私の財物を窃取した者は、その額が比較的多額であるか、又は数回にわたって窃取した場合は、三年以下の懲役、拘留又は管制に処し、罰金を併科し又は単科する。その額が巨額であるか、又はその他の重い情状がある場合は、三年以上十年以下の懲役に処し、罰金を併科する。その額が特に巨額であるか、又はその他の特に重い情状がある場合は、十年以上の懲役又は無期懲役に処し、罰金又は財産の没収を併科する。次の各号に掲げる事情の一つがある場合は、無期懲役又は死刑に処し、財産の没収を併科する。
一.金融機関で窃盗し、その額が特に巨額である場合。
二.珍貴文物を窃取し、その情状が重い場合。

 

警察官って何で弱い者イジメに必死なんやろな・・・。数日前に自宅のマンションに原付きバイクで入って行くときにパトカーが突然サイレン鳴らして追いかけてきた。 最初は意味不明すぎて???やったけど警官二人が歩道走ったらあかんやろと言ってきた。公道とマンションの間に歩道があるが車の駐車場の入口からバイク置場に行くには少しだけUターンする必要があるのでいつも歩道を跨いでバイク置場に直行していた。たったそれだけのことで警官はノルマの為におれから点数と罰金を取ろうとした。だがおれはマンション前の歩道はレンガ作りでアスファルトとは違うからマンションの私有地のはずやと言い返した。でも警官は違うと言っておれをパトカーに強引に乗せて免許証を見せろと言ってきた。この時点でサイレンを聞いた住人が多数野次馬で大恥。そこにマンションの管理人が来てどうしたん?と尋ねてきた。だからおれは一通り説明したら管理人がマンション前の歩道は私有地ですよと警官に説明しだした。そしたら警官は苦笑いしながら知らなかったと言い出した。おれは頭にきてボロクソに文句言って謝罪しろと言ったら苦笑いしながらゴメン!ゴメン!と軽い謝罪をしてきた。警官って肝心な時には民事不介入を理由に何の役にも立たんのに己の給料や賞与や昇格がかかることだけには必死になっとんのがイラつくわ。ネズミかて事故防止の為なんやったら何で隠れて速度計測してんねんって話しや。ほんまに速度を守らせたかったら隠れて計測せずに誰もがわかるとこに警官立たせとけや。一通違反無くしたかったら入口に立てや。なんで出口で違反車を待ち伏せてんねん。そもそも誰のおかげで給料貰えてるのか理解してんのかよ。警官はもう少し謙虚にならなあかんわ。あまりにも弱い者イジメの度が過ぎるで。速度違反で捕まてあなたの為やからとか思ってもないことを善人ぶって言

補足
ってくるが誰も警官に心配される筋合いは無いと思ってるしそもそも速度違反車捕まえる為に死角に隠れてる分際でよう言えるわ。だいたい身内の交通違反者や犯罪者に甘すぎんねん。痴漢や万引きや交通違反収賄や援交してる身内を厳しく取り締まってから庶民に偉そうにしろや。庶民なら逮捕されることが警官やったら注意や減給で済むのは筋か通ってなさすぎ。むしろ警官やからこそ厳しい処罰にするべきやろ。そう思いませんか?

 

日本の警察官は弱そうなオタクや貧乏人には職質をしまくるけど、
怖そうなヤクザや外国人、DQN、ヤンキー、不良、チーマー、暴走族には一切職質をしないw
盗んだ自転車やカッターを一つでも持っていたらすぐにしょっ引いて署に連行するけど、
警視庁の警察官はプロ野球東京ヤクルトスワローズ」のTシャツや紙袋を盗んだり、
女性をストーキングしては好きなあまり銃で殺して都合が悪くなるとその銃で自殺するw
愛知県警では銃を持った立て篭もりには優しく説得をして、
日本中の警察官は一般人には「逮捕するぞ」と偉そうにふんぞり返るw
神奈川県警の元警察官が昔警察を辞めてまで結婚した不法滞在の韓国人妻を殺害したけど、
何故か裁判ではその元警察官は殺人罪だけには問われないw
長崎県警では散弾銃を持った基地外は自殺が確認されるまで捜索しないw
茨城県警では刃物を持った殺人犯でもスーツ姿なら一切注意・確保しないw
栃木県警ではいい加減な証拠で菅谷さんを逮捕して、17年間も拘留しても今後の生活保障も賠償もしないw
警視庁では武器を持ったキチガイが追いかけてきたら、速い足で逃げるw
埼玉県警ではこれがバレルとクビだぞと留置場ではカツアゲされるw
とにかく、いつでも自分の身の安全が第一な警官達w
長野県警では長野聖火リレーでは違法行為を幾らしても中国人だけは絶対に逮捕しないww
日本の警察官は電車に乗っていない男性や無実の男性を痴漢扱いして逮捕拘留したこともあるが
一方では飲酒運転や女性への痴漢、盗撮、少女と淫行、レイプ、裏金作りは日常茶飯事で、
法律違反の一般人はすぐ逮捕するけど警官の順法精神は皆無で
こういうのを税食動物か税金泥棒と言う。
全ての警官は得点稼ぎの為に多くの人を逮捕する事が仕事だと思い込んでいる。
日本には25万人も居る日本最大の犯罪集団である警察が、
あらゆる法律を根拠に得点稼ぎに日本中を歩き回って、
これは違法である、それをしているお前は法律に違反だからと
警官共は一人でも多くの人を逮捕する為に血眼になって捜査権の拡大を行い、
結局は仕事をしている振りするついでに自分達の飯の種にしていくのだけどw
こんな警察官はマジでいらんだろうw
職務中に死んだ警察官だけが良い警察官だと思うようになりました。