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バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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経歴詐称は良いことです


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NHKの経歴をめぐる疑問
上杉隆 氏は、過去にNHKに就職して記者として働いていたと複数の箇所で述べている。この経歴について上杉氏は、ある対談では、自分は昔から「内定」としか言っていないと話し、別の箇所では、「NHK記者見習」「内勤記者」、大学卒業後に「NHKに就職」した、「入局した」などと述べている。

またこうしたNHKに関する経歴の表記について、一方では、NHK広報から複数回の苦情がきたと述べていながら、その他方でNHK広報から抗議を受けたことはないと主張している。

項目
2006年6月 上杉氏のHPにおける記載
2007年10月『週刊現代』記事
2007年9月 上杉氏のHPにおける記載
2007年10月 ダイヤモンド・オンライン「週刊 上杉隆
2007年12月『博士も知らないニッポンのウラ
2008年9月 上杉氏のHPにおける記載
2009年7月 Business Media 誠
2009年8月 Business Media 誠
2010年7月 岩上安身氏によるインタヴュー
2010年9月『脱力仕事術』
2011年7月『この国の「問題点」 ~続・上杉隆の40字で答えなさい』
2011年7月『報道災害【原発編】』
2011年8月『放課後ゴルフクラブ』
2012年3月 ニコニコ動画での茂木健一郎氏との対論
2012年3月 ニコニコ動画での町山智浩氏との討論
BOOKSCAN×著者インタビュー
2012年6月 FREEWORLDインタビュー
2013年11月ラジオ番組での発言
参考リンク1
本ページに対する送信防止措置の請求について
参考リンク2 : 送信防止措置の請求


2006年6月 上杉氏のHPにおける記載
2006年6月27日 東京脱力新聞2.0

 

2007年10月『週刊現代』記事
週刊現代』2007年10月13日号28-30頁「ベストセラー『官邸崩壊』著者・上杉隆氏の”経歴崩壊”」より
『官邸崩壊』の著者略歴によれば、上杉氏はNHK報道局勤務、(...)が、この経歴の「NHK報道局勤務」について当のNHKは大変ご立腹だという。

NHK関係者が憤懣やるかたない口調でこう語る。「上杉氏はNHK記者でも職員でもなく、アルバイトだったんです。彼は'93年頃から2年間、朝の報道番組などに関わっていたようですが、NHKではアルバイトが取材活動をすることはありえません。彼は局員に新聞を配るなどの雑用をしていました。これまでも、広報は、上杉氏をNHK記者と紹介している出版物に注意をしてきました。ところが、彼は最新刊にも堂々と『NHK報道局勤務』と書いている。いったい、何を考えているのかと局の人間はみな怒っています」

別のNHK関係者も上杉氏についてこう証言する。「上杉氏は'03年10月号の『文藝春秋』誌上でNHK海老沢勝二会長(当時)をインタビューしています。その際、広報担当者や会長秘書も同席し、『上杉さんのプロフィールにはNHK報道局勤務とあるが、何年に入局したのですか』と彼に質問したんです。上杉氏は『〇年です』と答えたらしいのですが、『こちらの名簿にあなたの名前は見当たりません』と再度確認すると、彼は『そんなことはない』とシドロモドロになったそうです」

さらに上杉氏に関してはこんな噂も聞こえてきた。「彼は過去にNHKの就職試験を受けて、一度は合格したが、大学を卒業できず、入局できなかったそうなんです。あきらめきれなかったらしい彼は、その後も3年連続で試験を受けたが、すべて落ちたとか。当時、人事担当者の間で、しつこく試験を受けている人間がいると、話題になったそうですよ」(NHK職員)

だが上杉氏は、NHKの不祥事について、NHK出身のジャーナリストとして、複数のメディアで発言をしている。たとえば、週刊プレイボーイ'06年7月10日号の特集記事「NHK『いかさま』改革にダマされるな!」に登場した際の彼の経歴は、元「NHK報道記者」となっているのだ。NHKはこのときも、編集部側にクレームをつけているが、これに対して、当時、上杉氏は自身のブログで、自らのNHK時代のキャリアを「NHK記者見習」(2年1カ月)と書き、(それから、週プレもちゃんと確認してね?)と、「記者」というプロフィールの記述は、編集部に責任があるとしている。上杉氏のいう「記者見習」とはアルバイトではないのか? なぜ経歴に「NHK報道局勤務」と書くのか? 上杉氏本人に話を聞いた。

- NHKに入局した事実はあるのですか。
「記者職に 内定はしました 。内定後、内定保留という形で、働いていたので、それは正式なものではありませんね。その形で、(入局を)待っていたので、その間、2年1カ月の勤務実態はあります」

わかりにくい言い訳だが、やはり大学を卒業できず、入局できなかったようだ。

-『NHK報道局勤務』という表現は、読者に誤解を与えませんか。
「私は実際に勤務実態があったと認識しています」

- 記者として在籍していたということですか。
「そういうことは一度も書いておりません」

- 「元NHK記者」という経歴の記事もありますが、それは出版社が間違ったということでしょうか。
「はい、そうです」

どうやら本人に”経歴詐称”の反省はないらしい。だが、「NHK報道局勤務」と経歴にあれば、読者は上杉氏を元NHK記者だと考えるのが普通だろう。


2007年9月 上杉氏のHPにおける記載
2007年9月30日 東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) ?ゴルフとスパと、時々、永田町

※前年のブログ(上掲)では、NHKから経歴の記載にかんする抗議が 複数回あった ことを述べているが、ここでは「「週刊プレイボーイ」に対して、 一回だけ 」と述べている。同じく前年のブログ記載では自らの「NHK記者見習」期間を 2年1ヶ月 としているが、ここではNHKにおける記者見習い期間は 採用から半年間 だと述べており、説明が矛盾している。


2007年10月 ダイヤモンド・オンライン「週刊 上杉隆
2007年10月17日-2012年10月26日

 

2007年12月『博士も知らないニッポンのウラ
博士も知らないニッポンのウラ』2007年12月15日放送「官邸崩壊のウラ」

上杉   NHKの記者職で内定して2年1ヶ月いた んですけど、事実上ほとんど行ってないんですよね。ところが特殊法人なんであそこ。内定を貰ったあと記者職として外に出されないで、要するに何て言うんですかね、 内勤記者 。今でいうと『おはようニッポン』という番組ですね、そこで、むかし 『モーニング・ワイド』といっていたんですけど、そこでやってたんですね 。

博士 そのときの取材というのは別に、政治...

上杉  いや全く。記者というのはだいたい社会部から始まるんで、地方からいくんですけど、そこに行けずにですね、まあ出来が悪いんで、そのまま...。
※『モーニングワイド』は上杉氏が大学を卒業する前年、1993年4月に放送を終了している。(上杉隆 氏年表を参照)

2008年9月 上杉氏のHPにおける記載
東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) ?ゴルフとスパと、時々、永田町 2008年9月11日


NHKやニューヨークタイムスなどで記者を経験 し」という経歴の記載を自らのHPで引用している。


2009年7月 Business Media 誠
2009年7月15日 Business Media 誠「NHKを1週間で左遷され……政治とメディアの世界を“いったりきたり”」
上杉  そのころから「(...)ジャーナリストになりたい」という思いがあり、大学を卒業し、 NHKに就職しました 。そして研修を受けていたのですが、1週間後に「本社の渋谷に行け!」という命令が……。当時、本社に行くということは「俺って、偉くなったのかな!?」と思っていたのですが、実は「この 新人 は使えない。だから本社から出すな!」ということだった(笑)。

ちきりん  入社1週間で、“左遷”ですね(笑)

上杉  そして テレビ番組『おはよう日本』の前身……『モーニングワイド』という番組で、校閲を担当していました 。しかしその仕事をしていても、「取材に出たい。現場に行きたい」という思いが強くなるばかり。ある日、NHKの政治担当記者に相談したんです。「政治のインナーサークル(権力中枢部)を見てみたい」と。しかし、その人に「そんなの見られないよ」と言われてしまった。


2009年8月 Business Media 誠
2009年08月05日 Business Media 誠 上杉隆×ちきりん「ここまでしゃべっていいですか
上杉   僕は大学を卒業し、NHKに就職した。 もちろんNHK記者クラブに加盟しており、そこで働いてきました。

2010年7月 岩上安身氏によるインタヴュー
2010年7月14日 岩上氏によるインタヴュー(文字起こし)

上杉  その後NHKにあの入ったわけです。あの経歴詐称の・・・
岩上  それバイト?バイト?
上杉  違う違う、ほんとに入局、内定してるんですよ。で、内定して、これ話しします?
岩上  話して下さい
上杉  内定して
岩上  正社員なの?
上杉  正社員、当たり前
岩上  正社員なんだ
上杉  で、その時に、まぁ、あの、最初内定して、5月・・・いつだったっけなあれ?5月の5日かな?
岩上  新卒として内定したんだ?
上杉  新卒として内定、あの時ね、NHKって新卒じゃないと基本的に駄目だったんです、あと、もっと昔は、指定校制度
岩上  あー
上杉  それで、まぁ、あ、その時ね偶然、池上彰さん、実は僕のティーチャーだったんです
岩上  あーそうなの
上杉  で、当時ね、これいい話しなんですけど、ここで言うの勿体無いな
岩上  えええええええ?!最初池上彰だけは(官房機密費を)貰ってないって言ってたあれ、布石ってのはここに生きてきたわけだ
上杉  当時、池上さんがやってたのは、まだ内定貰って研修の時代ですよ、ティーチャーになって、で、そん時に、えー希望出すわけですよ、どこの支局に行きたいとか、えーどこどこで働きたいとか、まぁ 記者職 だから、当時61人だったかな?その年は、で、ティーチャーが、要するに、ついて、言ったのは、要するに、東京とか大阪とか行きたいとみんな言うだろうと、そういう所でやりたいと、でも、えー本当に、ジャーナリストになるんだったら、通信社・・・通信部を希望しろ


2010年9月『脱力仕事術』
『「結果を求めない生き方」上杉流脱力仕事術』(アスコム 2010年)29 - 31頁
■ 翌年、そうした境遇を理解してくれたNHKの人事担当のSさんという方の強い推薦もあって、NHKから記者職での内定をもらいました。都留文化大学の学生としては、大手メディアの記者として採用された初めてのケースになりました。
(...)
しかし、すぐに人生というのはそんなに甘くないことを思い知らされます。10月1日の正式内定を待って、研修扱いとして一足早く渋谷のNHK放送センターで働くことになったまではよかったのですが、そこから大きな落とし穴が待っていたのです。

問題は3月、卒業直前に発生しました。その年に導入された大学の事務局コンピュータに不具合が生じ、私の取得済みの単位が申告漏れになってしまっていたのです。その年は同様のミスで他にも30人ほどの学生の単位漏れが発生していたのですが、不幸なことにその中で数名、卒業に直接関係してしまう学生がいました。そう、私はそのうちのひとりになってしまっていたのです。

■ ただ、ドイツ語の担当教授は授業にも出て単位は取得済、一切問題ないと言って、他の教授も当然に卒業を認めてくれていました。なにしろ大学側のミスなのです。ところが世間はそれほど甘くはなかった。私は本当 の役人根性というものを知らなかったのです。地方の国公立大学の事務局長には文部省からの天下り役人 が就くことが決まっていました。その大学の事務局側が自分たちのミスを隠すために、「ルールはルールだからダメだ」として学生側の問題にすり替えたのです。信じられない思いでした。
■ そのため、3月に卒業できないことになってしまいました。でも、そうした理由をNHKのSさんは十分に理解を 示してくれて、たとえば3カ月後に単位が取れるというのであるならば、 6月にでも改めて正式に採用すること にしよう 、と掛け合ってくれたのです。ところが大学事務局と学年主任担当教官は自らのミスを隠すために、頑として譲りません。

そうした事情を抱えながら、そのまま4月1日を迎え、 私の身分は宙ぶらりんのままNHKで働き続けることになりました。 NHKの現場の人からは「体制が変われば正式採用になるから、それまでがんばれ」と応援されていたので、その言葉を信じることにしたのです(形式的に、翌年度に卒業証書を授与)。

政治の中を見る方法はないか?

だが結局、 そんな状態のまま、2年ほどNHK局内で働くことが続きました。


2011年7月『この国の「問題点」 ~続・上杉隆の40字で答えなさい』
『この国の「問題点」 ~続・上杉隆の40字で答えなさい』(大和書房 2011/6/27)

 

2011年7月『報道災害【原発編】』
『報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪』194頁
上杉  僕がNHKにいた時は「NHKマン」と言っていたの。ちなみにこれ、男尊女卑ですよね。NHKマンって言葉があって、「我がNHKマンは」と 入局した時 の紙に書いてあるんです。「NHKマンたるもの」と(笑)。

153 - 154頁
烏賀陽  上杉さん、NHKにいたんだよね?

上杉  その話をすると、またNHKと仲悪くなるから、やめましょう。経歴詐称のままでいいです(笑)。それよりも内定後の配属で、 そのまま富士吉田通信部にいれば たぶんオウム取材もやっていたでしょうね。そのまま、まともな人生を歩んでいたら、今頃NHKの記者として官邸の記者会見でも前のほうに座って「チッ、何だよ、あの畠山っていうフリー記者は。あいつは排除だ、排除」とやっていたと思う。


2011年8月『放課後ゴルフクラブ』
『放課後ゴルフクラブ』(ゴルフダイジェスト社 2011/8/31)

 

2012年3月 ニコニコ動画での茂木健一郎氏との対論
2012年3月3日 『新聞?・テレビはなぜ平気でウソ?をつくのか』

<以下、引用>
上杉  僕はこれ、「NHKのバイトがどうのこうの」って、バイトは先ず違うし、バイトは違うし、社員というこれの事を「内定」とずっと言ってます。で「報道局勤務」と言ってるんですよ、ずっと。で、これ、 まったく一回も変えていない のに勝手に話を作っちゃうんです。


2012年3月 ニコニコ動画での町山智浩氏との討論
2012年3月14日 3.14頂上決戦 上杉隆VS町山智浩 徹底討論 (NHKの経歴にかんする部分)

※この動画の詳しい検証については、 sputnik01.exblog.jp 「町山×上杉討論NHK経歴部分」の検証、および「町山×上杉討論NHK経歴部分」を検証してを参照


BOOKSCAN×著者インタビュー

 

2012年6月 FREEWORLDインタビュー
2012年6月1日 FREEWORLDインタビューVol.23 元ジャーナリスト 上杉隆

上杉  じつは最初、 大学卒業の後はNHKに入ったんですけど 、その時はやはりみんな志をもって日本のいわゆる報道ならびに政治不安とか、きちんとよくするんだと。


2013年11月ラジオ番組での発言
『目黒FM 吉田木村の漢塾』2013年11月28日(該当箇所から)

<以下、囲みは引用>
上杉  これ先ず、NHK広報から抗議受けたって事実が一回もないですよ。
木村   抗議ないですか? ないですね? なるほど。
上杉  実際、いまのノーボーダーにもNHKの人いっぱいいますし。このまえもNHKにも出てるんで。

上杉氏は「 NHK広報から抗議受けたって事実が一回もない 」と言っているが、2006年6月の自分のブログに「 まじヒマなんだね、NHK広報って。記事についての反論は一向にしてこないのに、またまたまたまたまたまた「経歴」についての苦情です。 」と、NHK広報から複数回の抗議があったと自ら書いている。


訂正のお知らせ
 本日、先にも書いた四方田犬彦こと当時小林剛己の同級生である鈴木昌氏(既に多方面で書かれているので名前を掲載させていただいたことご容赦願う)から彼のことへのコメントのメールを戴いた。この場を借りてお礼申し上げる。その氏曰く、ただ一言「私小説ならともかく嘘を書くな」ということだった。これで、同氏や金子勝氏、更に「出鱈目かくな」と出版社に抗議したという矢作俊彦氏のような著名人となった諸氏のコメントが同様であり、世に無名ではあるが本バリストに関しては首謀者であった私自身が証言するのだから、四方田犬彦の妄信者どもはさておいて、小林剛己の言っていることは嘘であり、そうでなくても自分の都合のいいように書いているに過ぎないということは明白であろう。

 

2番手の成功法則011:落合信彦猪瀬直樹さんと地盤&カバンがない人の注意点
2013-12-28 13:02:54 | 2番手の成功法
少し前まで、東京都知事だった猪瀬直樹さんのことがニュースでもちきりだった。政治とカネの問題が問題の本質だったのだけれど、彼が一生懸命作ってきた「虚像」に執着するあまり、ある意味コミカルな状況に陥りより一層事態を悪くした気がする。

あるブログにジャーナリスト佐高信さんが、

 「佐藤優氏が私との対談で言っていたが、彼は〈本物のニセモノ〉なのです。自分の売り方には天賦の才があり、肩書にも弱い。彼を支持する竹中平蔵勝間和代……皆、同じにおいがします」

評したとあった。

本物って何なのかというか、是非は難しいが、古来ブレーンとか軍師とか言った人は、このような生き方をしてきている。諸葛孔明、ヘンリーキッシンジャー、瀬島龍三も同じにおいの人たちな気がする。

こんな軍師的タイプ、つまり看板だけで、カバン、地盤がない人が成功するためには、やりすぎない程度に自分をどう高く売り込むか(ショウアップするか)?というところが重要ではないだろうか?

得てして、自分を売り込むことがうまい人は、口もしくは筆が滑ってドヤ顔的な話をしてしまい、勢いの盛んなときはスルーされても、後々コミカルな話題を提供することになってしまう(*)。何分にも「盛りすぎ」はよくない。

ZAKZAKの記事に、猪瀬氏の例では著書に

「ポジティブ思考の重要さを唱え、「自分の中に眠る自信を取り戻す法」として、「自分で自分を励ましましょう。これを毎日100回唱えれば、言葉の力で元気が出てきます。さあ、顔を上げて! 前進あるのみです!」と提案。閉塞(へいそく)状況を打ち破るには「不利な状況を逆手に取ってみる」こと。」などと記していたが、

これに対して「会見や都議会で自信なさげに答弁する猪瀬氏を見ると、著者本人が実践できているかどうかは疑わしい」などと、あまりにも本人の実情とかけ離れていることを、指摘されている。

”さあ、顔を上げて!”っていうところが、今となっては笑いを誘う以外の何物でもない。

こんな猪瀬氏のことを考えていると、10年ほど前に一世を風靡したものの、盗作や経歴詐称などの報道が出て最近影の薄い国際派ジャーナリスト落合信彦さん(**)のことを思いだす。

経歴詐称や盗作の真偽のほどは定かではないものの、これまた今から思うと??というコメントが多い。


ブルースリーと戦って勝った

なんてのもある。

多分今から50年くらい前に、アメリカに留学して、大学を卒業してっていうだけで結構すごい人だったんだと思う(***)。語学力を生かし、アメリカの原書のネタ本をもとに、興味深い著作をだし(****)、経歴をちょっとよく見せるようにちょっと飾って書いたっていうのは、今ならあり得ないが、あの時代ならあったかなと思う。ちょっと同情の余地もあるが、「ブルースリーに勝った」というのはコミカルでしかない。

とはいえ、猪瀬氏も落合氏(****)も一世を風靡した作家であることは変わりない。世間受けする話題への目の付け所、その売り込み方、筆力はある意味一流のものであったであろう。

残念なのは微妙な一線を越えたこと。
「盛りすぎ」かショウアップ、微妙な一線が問われる。

でも虚像がコントロールできないほど大きくなって、それでいい思いをしたら、誰しも同じようになってしまうのかもしれない。看板で勝負する人の注意点である。自戒、自律、哲学。


(*)今から思うと非常にコミカルなコメントが多い。山本一郎さんのブログによると

 メディア王ルパートマードック(Rupert Murdoch, media mogul) と相互フォローしています。

ていうのもあったらしい。
当時としてもだから何?って感じだが、今や失笑もの。

こういった面はさておき、猪瀬さんは視点としては面白いものを持っていたと思う。例えば、こちらに来て、子供の教育に悩んで言語学者三森ゆりかさんのことを初めて知ったけれど、都の「言葉の力再生プロジェクト」で彼女とタイアップして日本語教育のプロジェクトをされていた。これも今となっては失笑のネタでしかないのかもしれないが、純粋に考えると普通の人にはないよい視点だと思う。


(**)疑惑については誰も知らない落合信彦にくわしい。そういえばキャッチコピーも国際ジャーナリストでなく、「国際派」ジャーナリストだった気がする。「地鶏風」とか「みりん風」みたいな感じでしょうか?最初から確信犯だったのだろうか??

(***)孫正義のタイムマシン経営ではないが、語学力とアメリカとのコネクションを生かし、アメリカの事物を焼き直して自分のもののようにして売るっていうのは、ちょっと前には結構あったのではないだろうか?
松本清張の長編「蒼ざめた礼服」はそんな人物を追跡するサスペンスである。
インターネットが存在する前はこういう人物って意外と重要な存在だったかもしれないし。。

ただ今だとより一層の公正さが求められるのは言うまでもない。食品偽装、経歴詐称、景品表示法。。

(****)彼を一躍有名にしたアサヒビールのCMは、アサヒビールスーパードライの売り上げを不動のものにし伝説的なものになった。彼もこのCMで爆発的人気が出た。カリスマ性というか何かを持っている人だったのだろう。

落合信彦批判ブログに出ているが、彼の留学時代の話(批判者側の取材した話なので客観的なのだろう)に、彼の恩師の教授が彼のことをよる覚えており、その理由として落合の「陽性な積極性」のではないかと述べている。こんなのもアメリカで生き残るのに重要な知恵かもしれない。

 

落合信彦 オイルマン伝説の終焉 3/3  LA INTERNATIONAL 2002.01月号


落合信彦 オイルマン伝説の終焉 3/3

 

「酒を絶ち、女を絶ち、タバコを絶って100歳まで生きるバカよりは、戦いに生き、死んでいった男たちのほうがよほど輝いている!」 落合信彦


最近、日本の若者たちの間で、外人部隊への傭兵志願者が増えていると聞くが、これは、実に悲しむべきことだ。

 

オイルマン(現国際政治コメンテーター)
として生きる藤原撃の証言

 


落合信彦 オイルマン伝説の終焉 1/3 『文殊菩薩 (ブログ板)』
落合信彦 オイルマン伝説の終焉 2/3 『文殊菩薩 (ブログ板)』


LA INTERNATIONAL 2002.01月号

LA INTERNATIONAL 2002.01月号  藤原 ああ、あなたの原稿にあった話だね。ヘリコプターで酔っ払いの男と鉱区上空を飛んだっていう話は、僕らオイルマンから見たら一発で嘘とわかる話だし、そんなヨタ話をいちいち検証しても時間のムダですよ。

奥菜 うーん。

藤原 僕もヘリに乗って鉱区上空を飛んだことはあるし、そういうのをルコネッサンス(偵察)というが、ヘリに乗ってあんな左右に振れるなか、一〇〇メートル以上も上空から地下二〇〇〇メートルの油層の有無がわかるわけないよ。

奥菜 そうでしょうねえ。

藤原 ヘリの偵察でわかるのは石炭があるかどうかぐらいで ── 石炭は地表に黒々と現われているから ──、私もヘリで油層地帯を飛んだことは何百回もあるが、石油の場合は地下の状況なんてわからない。最終的には地上に降り立って、岩石や地層を調べてみることだよ。

奥菜 ああ、確かに、BPの写真集とか見ると、地表の岩石を砕いて調べているところが載ってましたよ。

藤原 そうだろ。

奥菜 あと、落合はナイジェリアでは一〇〇メートルも掘らないで石油が出てきたって言ってましたよ。

藤原 えっ? あの国で一〇〇メートルだって、少なくとも二〇〇〇メートルは掘らなきやだめなはずだよ。

奥菜 最低で、一八〇〇メートルぐらいです。

藤原 そりゃ、ポール・ゲティ(アメリカのオイルマン、大富豪)の最初の自叙伝に書いてあったことだな。昔、ポール・ゲティが若い頃オクラホマで石油を発見したという物語を読んで、それを落合がネタに使ったらしい。あの辺じゃ、「石油が出ます」と言って水しか出ない土地を売りつける詐欺話が横行したけど、その頃のオクラホマのタルサに近い北東部では、確かに一〇〇メートルも掘ったら(浅いところの)石油は出るんだよ。だが、問題はそれからだ。


奥菜 ああ、そういえば、落合は(デビューして 最初の頃、オクラホマの石油業者と一緒にオイルビジネスをやっていた、つて言ってましたよ。
案外、落合の頭の中じゃ、石油の眠る地層は万国共通だっていう概念があったかもしれませんね。

藤原 「ゴツーと音がして」なんていうのはゲティの回顧録にあった話からとったんだろうね。


 ここで言う「ゲティの自伝にあった話からとった」というのは、氏が最初に話を聞かせてくれた時からの持論「落合のオイル話は、過去出たオイル本の寄せ集めだ」という説による。氏は落合の作品内に出てくる、オイルを当てたシーンの 元ネタ〟をこう推測していた。


 (談)落合は 『ジャイアンツ』とか『タルサ』などの映画を何べんも見たんだろうな。オクラホマ州のノタ郡やワシントン郡は詐欺師の天国と呼ばれ、一〇〇メートルぐらい掘れば石油は確実に出るが、一ケ月か二ケ月で水ばかりになる。発見の成功率は高いが、投資したカネはすってしまうんだ。

  ポール・ゲティはいくつも伝記書いているけど、最初の伝記ではオクラホマで石油を掘る現場を書いていて、どうも落合はその伝記を読んで、情景をそのまま写したんじゃ ないかな。「かすかな地嶋が感じられた」後で「まもなく黒い水が吹きあがって真っ黒に染めた」と書いてある。

 ポール・ゲティが十代の後半、オヤジと一緒にオクラホマに行って、タルサに近い所の情景を措いたのを読んで、そのまま石油発見の舞台背景に使っているんじゃないの。


 ゲティの書いた本のうち、『金持ちになるには』(原題『HOW TO BE RHCH』)にはオクラホマのオイル先駆者が「オイルを当てるのは運じゃない、三〇〇〇フィートの地中に石油があるかどうかを嗅ぎ分ける鼻がいるんだ」(P6)と力説するセリフが紹介されたり、ゲティが「生涯忘れられない瞬間」と回想するオイル掘り当てのシーンでは、原油が吹き出してきて熱いシャワーのようだったと描写している(P10)。

 何だか、どこかの本で読んだようなシーンだ。

 作中、佐伯と社員の間で新鉱区奪取方法を巡って激論するシーンでは、過去の鉱区入手に関して佐伯がこう説明している。

「(前略)それにメジャーや他のインデペンデントは今あんたが言ったような条件でくるにきまっている。もしオレ達が奴らと同じ条件で行ったら、せり合いになる。せり合いになったら必ず負ける。それはすでに北海とノース・スロープでの敗退が証明している。だから競争入札で一発で奴らの息の根を止めなきやならん」
(『ただ 栄光のためでなく』P366)


これも藤原氏によると──


(談) 北海にしてもノース・スロープにしても、競争入札だったのに、まるでオークションをしているような書き方してる。これもまったくひどい、当時の状況も何もわかってない。


氏は『ただ 栄光のためでなく』を最後にこう辞した。


(談) それから、落合は「ワイルドキヤツター」とか「サイズミックスタディー」とかいろんなカタカナ言葉を使っているから、素人はみんな騙されてしまうけれども。彼が 石油開発のイロハもわかってないのは明白で、彼のくだらない『ただ 栄光のためでな く』は彼にとって売れっ子になるための手品箱みたいなものだ。

まったく馬鹿馬鹿しくて読むに耐えなくて、僕はこの本 を捨てちまおうかと思ったけ ど、せっかくいっぱい書き込んであるから捨てないで持って帰ってきたんだ。あなたか ら会いたいっていう連絡があたから、ちょっと目を通し直してみたけど。落合のインチ キのひどさは名人芸だ。

 これで若い人たちが騙されても、これはエンターティメントだから仕方がないが、石油ビジネスに触れたこともない人間が勝手気ままにでっち上げたのに騙されてナイジェリアにでも出かけたら、罪作りだね。


 落合の作品世界では『ニューヨーク・タイムズ』に取り上げられるほど有能で、世界のメジャーオイル会社にさえ恐れられるという佐伯剛。作中のタイムズ記事内では彼をこう紹介していた。


 一攫千金の夢末だ消えず読者の大部分はプログレス・オイル・カンパニーという会社の名を聞いたことがないであろう。しかし、現在アメリカ石油業界はこの会社の話でもちきりである。その理由は同社が最近南米エクアドルで大油田の開発に成功したからだ。この成功によって同社はその名の通り大きなプログレス(進歩)に向って確実に動き始めた。

 同社の社長デヴィッド・フエインシュタインは今アメリカで最も鼻息の荒い男と言えよう。彼は言う。「これでメジャーだけが石油会社でないことがわかったろう。石油はあくまでギャンブルなんだ。
この真実を忘れたらオイル・マンは失格だ。私も含めてうちに名ギャンブラーがそろっている」彼の言う名ギャンブラーの一人が今回の成功の立役者となったゴウ・サユキである。まだ二十三歳の若者だが、この成功によって彼は同社の副社長に昇進した。まだキャンパスの臭いが抜けないような若者が、資本金五十万ドルの会社の副社長に抜擢されるのは異例中の異例と言える。しかし、考えてみれば舞台は生きるも死ぬも腕次第のオイル業界である。かの大スタンダード・トラストを形成したジョン・D・ロックフェラー一世がオイルに初めて手をつけたのは二十一歳の時であり、アンリ・デタディングがロイヤル・ダッチを作ったのが二十二歳の時だった。これらを考えればサユキの副社長就任はごく当り前のことかもしれない。

 最後にサエキに、今回の開発はメジャーに対する挑戦と見る向きもあるが、と水を向けると、彼はそのハンサムな顔に笑いを浮べて語った。

「日本にはヘビににらまれたカエルということわざがある。われわれとメジャーの関係はまさにそれなんだ。われわれはカエルであり、メジャーはヘビ、それも単なるヘビではなく必殺の技を持つ毒ヘビだよ。そのメジャーに挑戦するなんてあまりにおこがましすぎる」

 とは言いながらも、彼の笑いの裏には不可思議な自信が読みとれる。その笑いはあたかも「メジャーが毒ヘビならオレはマングースだ」と言っているようにも受けとれるのである。
 (『ただ 栄光のためでなく』P181~P182より編集)


 落合の作品世界内では、デタラメなセリフを言うオイルに無知な日本人が、メジャーに対抗できる名オイルマンとして 『ニューヨーク・タイムズ』相手に大威張りできるわけだ。


落合信彦、「オイルマン伝説」の失敗
── 応用から入った嘘話

 それにしても、落合の「オイルマン伝説」はどうしてこんなに出来の悪い稚拙な嘘だったのだろうか? 嘘をつく時になぜもう少し工夫をしなかったのだろうか。

 むろん、その理由は落合さんに聞かないとわからない。聞いでも答えてはくれないだろう。
だから、私が想像するしかないのだが、当たっていなかったら落合さんに申し訳ないので、落合さんにはぜひとも本当のことを語ってほしいと思う。

 落合の「オイルマン伝説」は三つのパターンから形成されていた。
①オイルメジャーと産油国との関係などの高度な政治話。
②オイルマンが日常どんな仕事をするかという、専門的な話。
産油国の油田のある現場の実情、その国の年間オイル産出量、油層の存在する深度、油層地帯の地理、その国のオイル採掘の歴史等の基本的な話。

 このうち、①に類する話、『石油戦争』 に代表されるものは読んでみても、うさん臭さは感じない。②の『ただ 栄光のためでなく』類は私みたいなオイルの素人は騙せるが、藤原氏のようなプロは騙せない。が、
嘘としてはまあまあの出来だ。

『アメリカよ!』や『狼たちへの伝言』などに見られた③に類する話は子供騙しの出来だった。

 つまり、落合信彦という人物の持っているオイル関連の知識は、オイルの出る現場で採掘に関わっていた人物の持つレベルではない。「オイルの素人が本を読んでオイルマンになりすましている」という藤原氏の指摘はずばりそのものだと思うのだが、問題なのは落合がオイルマンならぬ「オイルマンだった男」になろうとした際に、何をしたか、だ。

 落合がオイル関連で初めて書いた本は『誰も書かなかった安宅処分』(七八年)だった。この本の中で、落合はオイルメジャーの動き、世界を支配すると言われたロックフェラー家等の、同じオイル関連でも高度な政治話を展開した。同書の参考文献は『オイル・パワー』『セブン・シスターズ』などの、かなり専門的な本だった。藤原氏は落合のオイル話を「過去に出たオイル話の寄せ集め」「オイルマンたちの書いた本を読んで、自分の実体験に模している」と辞したが、落合が経歴詐称を思い立ち、その「準備期間」であった七七年末~七八年中期までの間で、彼が『オイル・パワー』『セブン・シスターズ』を読んでいたことは事実だ。おそらく、オイルマンたちの書いた回顧録の類も〝参考文献〟としたことだろう。

 が、この時落合は、各国の年代別原油産出量、各国の油田採掘の細かい歴史、油田の現場が砂漠、沼地、山岳地帯のいずれに存在するのかといった地理的分布区分、各産油国における油層地帯の深度別分布等のオイルの基礎中の基礎を学ばなかった。落合の読んだ 『オイル・パワー』や『セブン・シスターズ』は半ば〝専門書″なので、基礎である産油国各国の詳細を書いてはいなかったのだ。アメリカの大学を卒業した三十六歳の男が、いまさら『各国要覧』『世界の産油国』といった基礎資料を読むのを面倒に思ったにしても、無理はないだろう。

 落合は「オイルマン伝説」を創り出す際に、「応用」のみを学び「基礎」をないがしろにしたのだ。それが落合に、国全体で日産一万バーレルもない六〇年代のエクアドルで「日産十万バーレルのジャイアンツを当てた」とか、油層地帯が沼地で、油層の存在深度が二キロ近いところに存在するナイジェリアで「砂漠の中を、百メートル掘ったらジャイアンツだった」だの、原油の日産が五万バーレルで、隣国チリに石油パイプラインが伸びているボリビアで「隣国ペルーにパイプラインが伸びているボリビアで、日産八万バーレルの油田の契約を交わした」だの、海上油田を開発はしていたが本稼動状態でなかった七〇年代初期のガーナで 「海上油田を当てて、エクソンに売った」等の、自らの手で経歴詐称を暴露するような発言をなさしめたの
だ。

 そしてそれは、落合に「ロサンゼルスの屈辱」をもたらすこととなった。


落合信彦、生涯最大の恐怖の時
── 集英社ロサンゼルス支局での「魔の刻」

 私が藤原氏に聞いた話の中で一番驚いたのが、氏が落合と面識があったという、これまでまったく未公開だった逸話だ。

 氏と落合が会った場所はどこあろう、集英社のロサンゼルス支局だった。
 落合にとって悪夢以外の何でもない出会いがあった理由は、集英社の西部海岸オフィスマネージャーで、ロサンゼルス事務所所長の奥山長春(ちょうしゅん)氏が、藤原氏の著作の以前からの愛読者であったからだ。

 八四年か八五年のある日、ロスへ来た藤原氏が奥山氏に電話連絡したら、奥山氏のほうから
「明日ちょっとお暇ですか、藤原さんにぜひ会わせたい人がいるから、明日朝ウチの事務所へ来てください」と申し入れがあったという。
 氏の話を聞いてみよう。


 (談)奥山さんが「藤原さん、石油をやっていたオイルマンがウチの雑誌の取材でちょうど来ていますので、明日の午前中お見えになればどうですか。ぜひ藤原さんとお引き合わせしたいんです。きっと二人は話が合うでしょう」と言うので、僕はその日の十時過 ぎに行ったわけです。
 落合は集英社のお抱えみたいにしていろんな本を出していたし、奥山さんは私がカンサスで石油を掘ってた頃から読者で、私がテキサスに進出して石油をやったということで、二人を会わせたかったんでしょうね。


 藤原氏は、会う前から落合の名前は知っていたが、落合を小説家だと考え、あまり彼の本を読んでいなかった。


 (談) その時僕は小説は作り事だと思っていたから、落合の本は一冊か二冊しか読んでいなかったと思う。落合の小説は、読むに債することは何も書いてないし。私にとっては、高校生やサラリーマンレベルが読む小説を書いている売れっ子の作家という認識だった。一冊か二冊ケネディの暗殺についての本は読んだが──「二〇三九年の何とか」っての──、もう一、二冊何か読んでたかもしれない。

 落合の本はアメリカのミッキー・スピレーンと同じぐらいひどい。大薮春彦が真似してそのスタイルでハードボイルドを書いてたが、落合のはそこまで激しくはないけどね。まあ、私が飛行機の中で読み捨てにするアリステア・マクリーンの冒険小説をマネしていたが、とてもじゃないがフォーサイスやアレックス・ヘイリーのレベルには達していない。落合のは高校生向けの冒険小説に毛が生えたようなものだと思ってたんです。

 ──奥山氏の事務所で会ったのは背の低い男であり、それが、落合でした。


 私はこの模様を藤原氏から直接にも聞いた。


 奥菜 落合の第一印象はどんなものでした?

 藤原 妙な男だったよ。

 奥菜 は?

 藤原 「なんで男のくせにハイヒールみたいなものを履いてるんだ」と思ったね。

 奥菜 ……(失笑)。

 藤原 遠くからでもはっきりそれとわかる厚底靴を履いていた。

 奥菜 それは落合の知人の間では有名な話ですね。「板の間から畳の間に上がると背が縮む怪人」って言われてますよ。


 氏が落合に紹介される前に、落合と奥山氏は隣の部屋でこんな会話を交わしていたという。


 (談) 入っていった時には誰もいないみたいで、何か奥のほうでゴチョゴチョ話をしていて、「金がないから八百ドル前貸ししてくれ」とか何か

 ──八百ドルだったか千ドルだったか忘れたけど1、そんな借金の話が私の耳に入ってきたから驚いた。

  誰も出てこないので、「こんにちは、藤原ですが」と大声で言うと、話が一段落したらしく奥山さんが出てきて、後について来た落合を紹介して、「この落合さんが昔石油をやってたオイルマンの人です」なんて言ったわけです。

 何でオイルマンの人が八百ドルぐらいのポケットマネーを、「前貸ししてください」なんて雑誌社に頼んでいるのか不思議だと思った。石油やっている者は千ドルや二千ドルのポケットマネーはいつもポケットに持っているし、クレジットカードは何枚もあるのに、何でそんな貧乏たらしいこと言ってるのかなというのが私の第一印象でしたね。


 私は直後この話を聞いた時、氏に落合の富豪ぶりを伝えた。


 奥菜 落合はインタビューじゃ、オイルマン時代は月収三千六百万円だったとか、その後は二十億円貯金があったとか言ってましたけど。

 藤原 へえ、驚いた。何で貯金が二十億円もある人が、出版社から八百ドル前借りする 必要があるの?


 落合は後に、旅行する時は、現金を「日本円で100万円。それとドルで1万ドル」を持っていくと語っていた。ドルのほうは情報の仕入代だそうである(『週刊宝石』八八年十一月四日号 P194)。この時の落合は、スパイたちへの情報の仕入代を持っていかなかったのだろうか。

 奥山氏はオフィスのソファへ二人を案内して、「落合さんも石油をやってたそうだから、どうですか、二人で」とオイルビジネスについて語り合うことを熱心に勧めたが、「落合は借りてきた猫みたいで、石油のセの字も言わなかった」という。

 偽オイルマンの落合は、本物のオイルマンの藤原氏の前では、しゃちほこぼっているだけでまともに口も聞けず、オイルのことをまったくロにできなかったのだ。

 この時落合は内心「日本にはヘビににらまれたカエルということわざがある。私と藤原氏の関係はまさにそれなんだ」とでも思ったのだろうか?


 (談) 「私は藤原と申します」と落合に自己紹介しました。
 彼には全然石油の話なんかできないし、一生懸命逃げようとしているのがよくわかったからね、かわいそうだし、「側隠の情」ということで、 オイルから話題を変えてあげたわけです。
  私は自分より若い人には、できるだけ激励してあげて、活躍してほしいと思うタイプの男ですから、彼に「落合さんねえ、あんまりあなたの本読んでなくて失礼かもしれな いが、あなたは文章が上手になってきたじゃない。だから、少し経済学の基礎でもきちんと勉強すれば、ポール・アードマンぐらいの作品書けるからね、もう少しその方面の本を読んでみたらどうですか」と、激励したつもりで言ったわけです。そうしたら、彼はぷうっとむくれてしばらくの間だけど沈黙が続きました。
 きっと自分は日本では大家だと持てはやされているので、気分を害したのでしょう。

 アードマンの本は 『1979年の破局』という中東の石油戦争の話で非常におもしろかったから、落合を誉めてやったつもりだったんだけれど、彼はぷうっとむくれて口をきかないんだな。


 藤原さんはこの時の落合の表情を「何とも言えない困惑した顔をしていた」と表現した。落合はその後「五分ぐらい黙ったままだった」という。

 氏と落合のやり取りを見ていた奥山氏は、後になって嘆息し、おもしろい形容をしたという。


 (談)奥山さんも期待外れだったみたいでね。あれだけ集英社の作品の中では派手にやっているので、せっかく落合と僕を会わせたのに、「あまり話が進みませんでしたね」って笑っていた。そして、後で「落合さんが藤原さんの前では 〝借りてきたネズミ〟でしたなあ」って言うから、僕が「何でネズミよ、〝ネコ〟じゃないの」って間いたら「だって、ネコよりもっとひどくて逃げまくっていた」って奥山さんが爆笑していたのが印象的でしたね。


 藤原氏が落合の『ただ 栄光のためでなく』を手にし、そのデタラメぶりに憤慨したのは、これより数年後のことであった。
 氏は最後をこう締めくくってくれた。


 (談) 落合を本物のオイルマンだと誤解している人がたくさんいて、落合の発言を、エコノミストとか評論家とかが新聞や雑誌に「石油問題に精通した落合信彦氏によると」などと引用しているのだから、お笑いです。

  それだけではなくて、もっとひどい公害を落合はばらまいています。それが一番ひどかったのは、落合が書いた外人部隊の本に感動して日本の若い人がフランスの外人部隊に志願し始めたというものです。落合をほったらかしておくと彼の嘘のために若い人が人生を狂わし、害悪の元凶になると思ってウソを暴く責任を感じました。

 藤原さんがここで言う「日本の若者が落合の本を読んで傭兵に志願した」という話は、落合の 『傭兵部隊』(集英社、八二年・『週刊プレイボーイ』の連載をまとめたもの) という作品を読んで、実際に傭兵になる読者がいたということだ。 落合はこの作品の中で、傭兵たちを徹底して恰好よく措いていたから、それに感化される読者がいてもおかしくないのだが。

 しかし奇妙にも、落合は『狼たちへの伝言』の「酒を絶ち、女を絶ち、タバコを絶って100歳まで生きるバカよりは、戦いに生き、死んでいった男たちのほうがよほど輝いている!」の回で傭兵のフランク・キャンパーの生き方を絶賛したが、その次の回である「人を殺し、破壊以外に生み出すことのない傭兵に憧れるより、ビジネスマンとして耐えるほうがはるかに男らしい」では、傭兵に憧れる日本の若者をバカ呼ばわりし、こう書いた。


 最近、日本の若者たちの間で、外人部隊への傭兵志願者が増えていると聞くが、これは、実に悲しむべきことだ。

 9年前、オレは、外人部隊を取材した『傭兵部隊』という本を出した。もし、最近の日本の若い傭兵志願者たちが、オレの本を読んで、「ああ、かっこいい。行っちゃおう」と、非常に短絡的に考えて、傭兵に憧れているんだとしたら、それはとんでもない間違いだ。
 オレの本を普通のメンタリティーで読めばわかることだが、オレはそんなことはこれっぽっちも勧めていない。
 (『狼たちへの伝言③』 P76)


 確かに落合サンは「傭兵になれ」とは書いていないが、「酒を絶ち、女を絶ち、タバコを絶って100歳まで生きるバカよりは、戦いに生き、死んでいった男たちのほうがよほど輝いている!」って言ってんだけどね…。

 余談ながら、その『傭兵部隊』のハッタリぶりが米本和広氏の記事に出ていた。落合は誰でも金を出せば入れる傭兵訓練校を、独自のコネを使って入ったような書き方をしたり、訓練の模様を大げさに書いたりしていたのだ。ここでは訓練の模様における落合描写の嘘を暴いた部分を紹介しよう。


  書店の一角に、事件の背後にはユダヤフリーメーソンなどの陰謀団体がいるという陰謀史観による歴史書が並んでいる。この種の本の特徴は、書いてある事柄がほんとうかどうか読者が確かめる、つまり裏を取ることが難しい点にある。

  落合さんの本も、ほんとうかどうか確かめにくいものが多く、その点で陰謀本と共通したところがある。
 (中略)

 だが、事情を知った人がいれば、落合さんの本はとたんに色あせていく。

 『傭兵部隊』の裏側を知ることができたのは、本に出てくる傭兵学校に入学した日本人がいたからである。『USサバイバル・スクール』 の著書・高橋和弘氏だ。同氏によって、落合さんが傭兵学校に入るまでの過程が誇張されたものであることを知った。

 その学校での体験話も随所で首を傾げるものが多い。本の一節と高橋氏の指摘を交互に列記しておく。

「フランクは素早く手にしたAK-47をバラバラに解体した。そしてデイヴに十秒以内に組み立てるように命じた。
十秒もしないうちにデイヴは終えていた」の言うことに耳を傾けていれば、こういう本を書かれなくてもすんだんだろうけどね」と微笑んだ。

 そして、最後に藤原さんが言った言葉が印象的だった。


 (談) ポール・アードマンは非常に優秀なエコノミストで、アメリカの投資銀行の社長としてスイスのバーゼルにいた時、ココアの商品取引に手を出したことが罪になり、刑務所に入った時に書いたのが、先ほど例に出した『オイルクラッシュ』(新潮社)という本です。

 アードマンは実力があったから刑務所の中経済小説を書いたが、落合はオイルビジネスはおろか外人部隊にも入らなかったのに、若者を惑わす小説をデツチ上げたのは見事だとはいえ、化けの皮がはがれるような底の浅さのために、プロの目にはとてもじゃないがお笑いです。

 私がフランスで買った童話集にギエスタープ・ドレが挿画を描いた、『ミュンシュハウゼン男爵の冒険』というおもしろいホラ話の本があり、同じホラ話でも「ホラ吹き男爵の最後の冒険」ほど奇想天外で痛快だと、芸術性によって全世界の子供たちの古典になる。
 しかし、落合のホラ話はカタカナ文字の羅列と外国が舞台だが、人為的に背伸びして嘘を遠慮がちに並べるので、せいぜい高校生が喜ぶレベルであり、英訳しても英米では誰も読まないマカロニ西部劇ならぬ、ザルそばウェスターンだ。


  それにしても、集英社も本物のオイルマンと偽オイルマンを対面させるとは、つくづく粋なはからいをしたものだ。

 落合信彦の「オイルマン伝説」はやはり、伝説であり、ここに完全に終わったと言わざるを得ない。この話全体は、少し前にあった偽石器事件と同じレベルの、程度の低い経歴詐称だった。

 奇しくも私は本章の最後の図として落合本人を描いたイラストを、藤原氏は「ホラ吹き男爵」のイラストを使おうとしていた。このカップリングは、あまりにうますぎるので、二つ並べておこう(図3)。

落合 図

 

 後には、ただ、落合の詐称した経歴の数々が残るのみである。これは、落合の墓標でもあるのだ。
落合信彦 オイルマン伝説」ここに眠る。今、私は死せる伝説のために祈ろう。
 南無阿弥陀仏