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バトシーラー日記

あまり知られていない様々な真実の知識をお届けします


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伝統的社会・未開部族に見る、経済活動と社会的機能

現代人の感覚では、商取引(交換、交易)は、一方の側にたくさんあるが他方の側に存在しない物品、あるいは一方の側で作製可能だが他方の側で作製不能である物品が取引されるのが通念である。しかし、伝統的社会(未開部族)においては、そうではない。元来、経済活動(物品を他集団に移動すること)には、集団間の友好関係や信認関係を形成するなど、社会的に多様な機能があった。現代のように、経済活動をお金(利益、効率etc)という指標に一元化するのは、極めて限定された思考であると言える。


伝統的社会でみられるもうひとつの交易パターンでありながら、現代社会にはみられないパターンとしては、「通念上の独占」と呼ばれるものがある。ある物品が、ふたつの集団のいずれの域内においても自前での入手や生産が可能な物品であるにもかかわらず、当該の物品の入手に関しては一方の集団が他方から独占的な提供を受けるという暗黙の了解を前提に、互いの交易関係の維持と継続がはかられる、という形態である。

この一例としては、ニューギニアのドゥグム・ダニ族とジャレモ族とのあいだでおこなわれている弓矢や編み袋の取引がある。ダニ族はジャレモ族から、弓矢や編み袋の独占的な提供を受けているが、ダニ族も自作することができる。ジャレモ族がその作品づくりに高度な技巧を駆使しているわけではない。したがって、ダニ族は、もしジャレモ族のそれをまねしようと思えば、完璧にまねができる。しかし、ダニ族はそのようなことは一切していない。また、それ以外の、森林産物のような物品に関しても、ダニ族は、ジャレモ族の域内により豊富に存在するものに関しては、その提供をジャレモ族に依存しつづけている。ダニ族とジャレモ族のあいだには、装飾入りの弓矢や編み袋については、ジャレモ族から独占的な提供を受けるという「通念上の独占」が暗黙の了解として存在している。つまり、両集団のパートナー関係は、「通念上の独占」という細い糸でつねにつながっている。そのため、ジャレモ族は、森林産物の収穫が自域内で一時的に減少したときでも、引きつづきダニ族から塩を得ることができる。

通念上の独占については、さらに複雑な形態が、ブラジルとベネズエラ熱帯雨林に暮らすヤノマミ族のあいだや、ブラジルの先住民シングー族のあいだにみられる。ヤノマミ族は自給自足で暮らしていける部族であるにもかかわらず、どの集落も自給自足の生活はしておらず、それぞれに特化した物品(生産物)を、同盟関係にある他の集落とのあいだで提供しあうという生活をしている。そのような集落特化の物品(生産物)の例としては、鏃、矢柄、かご、弓、粘土壺、綿糸、犬、幻覚剤、ハンモックなどといったものがある。同様にシングー族もそれぞれの集落がそれぞれに特化した物品(生産物)を、たとえば弓、陶器、塩、貝製ベルト、槍といったものを、他の集落とのあいだで提供しあう生活をしている。

ヤノマミ族のモマリボウェイ・テリ集落の人々は、政治的な理由から、同盟関係にあるモワラオパ・テリ集落から陶製の壺を入手していた。当時の村人たちの口癖は、自分たちは壺をつくる方法を知らない、たしかに昔は壺をつくっていたが、製法はとっくの昔に忘れてしまった、自分たちの土地の粘土は壺づくりには不向きだ、だから、必要な壺はすべてモワラオパ・テリから手に入れている、というものだった。ところが、戦いがはじまり、ふたつの集落の同盟関係が寸断されて、モワラオパ・テリから壺を入手できないという事態になると、なんと、モマリボウェイ・テリの集落では、村人が突然、その昔、彼らが壺をつくっていたときの製法を思い出したのである。しかも、突然、自分たちの土地の粘土がじつは壺づくりに最適である、ということを発見し、自作での壺づくりを再開したのである。つまり、モマリボウェイ・テリの村人はモワラオパ・テリから壺を入手していたが、それは、ふたつの集落の同盟関係を政治的に強化するために彼らがみずから選択した結果なのである。

みずからが選択した結果の交換であることが、ヤノマミ族の事例よりも、もっとはっきりとした形でうかがわれるのが、クン族の弓矢の交換にまつわる事例である。クン族の人々は、さまざまな相手と矢を交換する。しかも、彼らは、だれもがそっくりな矢をつくるので、彼らは、そっくりなつくりの似通った矢を、そっくりなつくりの似通った矢と頻繁に交換している。このことから、彼らが、みずから選択した結果としてこの交換をおこなっていることは明らかだろうと思われる。

伝統的社会には、通念上の独占というようなものが、なぜ存在するのだろうか? また、クン族の矢のやりとりのような行為が、なぜ存在するのだろうか? この問いに対する答えは、伝統的社会において交易がはたす役割とおおいに関係がある。経済的な機能だけではない。取引は、社会的な役割もになっている。人々は取引を「創出」し、それを集団間に介在させることで、社会的な目標を実現する手助けになる、と思っているのである。

そして、もっとも重要な目標が同盟関係の絆の強化である。たとえば、アラスカのイヌイット族の集団同士は、お互いが取引パートナーという相互関係にあるかぎり、必要なときに支え合う互恵的義務を享受していた-一度、居住域が飢僅に見舞われるや、集団の人々は、取引パートナーの居住域に無条件に移動し、そこに身を寄せ暮らすことができる。フィリピンの狩猟採集民のアグタ族は、同じアグタ族の集団間で取引をおこなっているし、農耕民とも取引をおこなっているが、彼らの取引は、物品の需給関係にもとづくものではない。物品を必要とする相手にその物品を届ける、これが彼らが取引をおこなう動機である。そのため、彼らは、厳密な損得勘定抜きで取引をおこなう-長期的にみれば帳尻が合い、とくに損はしない。彼らはそのように考え、結婚式があるとか、葬式があるとか、台風でひどい自に遭ったとか、収穫が不作だったり狩りが不調だったりして、パートナーがどうしても入り用なときは、自分を少し犠牲にしてでも相手を助けようとするのである。